cinema / 『モンスター』

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モンスター
原題:“Monster” / 監督・脚本:パティ・ジェンキンス / 製作:シャーリーズ・セロン、マーク・デーモン、クラーク・ピーターソン、ドナルド・クシュナー、ブラッド・ワイマン / 製作総指揮:サミー・リー、ミーガン・ライリー=グラント、スチュワート・ホール、デイヴィッド・アルヴァラード、アンドレアス・グロシュアンドレアス・シュミット / 撮影:スティーヴン・バーンスタイン,A.S.C. / 編集:アーサー・コバーン、ジェーン・カーソン / プロダクション・デザイナー:エドワード・T・マカヴォイ / 衣装:ローナ・メイヤーズ / メイクアップ(シャーリーズ・セロン):トニー・G / 音楽:BT / 出演:シャーリーズ・セロン、クリスティーナ・リッチ、ブルース・ダーン、リー・ターゲセン、アニー・コーレイ、プルイット・テイラー・ヴィンス / 配給:GAGA Communications
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間49分 / 日本語字幕:松浦美奈
2004年09月25日日本公開
2005年05月28日DVD日本版発売 [プレミアム・エディション:amazon|通常版:amazon]
公式サイト : http://www.gaga.ne.jp/monster/
渋谷ライズXにて初見(2004/12/03)

[粗筋]
 リーことアイリーン・ウォーノス(シャーリーズ・セロン)の生活は幼い頃からとうに破綻していた。13歳から売春をはじめ間もなく男児を出産するがすぐに養子に出された。その後も破滅的な暮らしを送り、幾度も犯罪を行っては刑務所に送られていた。
 そんな彼女がセルビー(クリスティーナ・リッチ)と出逢ったのは、ただビールが飲みたくて偶然に立ち寄ったバーでのことだった。実父と揉め、親類の家に一時的に身を寄せていたセルビーは孤独感に苛まれ、話し相手を捜してリーに声をかけた。はじめは警戒していたリーだったが、酒を酌み交わし話をしているうちに意気投合、そのままセルビーの部屋で一泊する。
 翌朝、別れ際にふたりはまた会う約束をするが、セルビーの叔母はリーを悪い素性の女と決めつけ会うなと命じる。しかし、父や叔母達への反発もあって、セルビーは約束していたスケートリンクに駆けつけた。
 あなたは娼婦なの? と訊ねられ、やむなく認めたリーを、セルビーは決して軽蔑しなかった。カップルに混じってリンクで踊りながらふたりはキスをし、その瞬間からお互いをかけがえのない存在と感じるようになる。何処かに逃げてふたりだけで暮らそう――そんな結論を出すまで、さほど時間はかからなかった。
 待ち合わせの前日、リーは旅の資金を稼ぐために、久し振りに路傍に立った。何人かを相手に“仕事”をしたあと、やがてその男と出会ってしまう。男はリーを乗せて、人目につかない森の中へと車を走らせた。途端に乱暴な要求を突きつける彼を、そこまでは出来ない、とリーが拒否すると、男はリーを殴りつけ、昏倒させる。
 気づいたとき彼女は両手首をドアの取っ手に縛り付けられていた。男はリーを罵倒しながら残虐な性行為に及ぶ。必死に藻掻いたリーの手を縛っていたロープが外れたとき、指先が見つけた拳銃のトリガーを引くことを、彼女は躊躇わなかった……
 待ちぼうけを食わされ親類の家に戻っていたセルビーのもとを訪ねるとリーは懸命に詫び、もう一度チャンスを欲しい、と懇願した。やがて首に振った愛しい人を連れて、リーは旅に出る――セルビーと一緒に、今度こそ真っ当な暮らしをするつもりだった。リーは自分のバイタリティを信じていた。ほどなく裏切られることも知らず、暢気に。

[感想]
 実在の殺人犯をモデルにする、というのは映画や小説などでは定番の手法である。ヒッチコックの『サイコ』などの原型となったエド・ゲインは繰り返し映画の素材となっているし、独自性の強い『羊たちの沈黙』などのレクター博士も多くのシリアル・キラーの特徴を反映している。最近ではガス・ヴァン・サントの『エレファント』もその系統に加えられるかも知れない。
 本編に登場するアイリーン・ウォーノスもまた実在の人物であり、本編の撮影中には死刑囚としてまだ存命であり、公開から主演のシャーリーズ・セロンがアカデミー主演女優賞を獲得するそのあいだに死刑が執行された、という経緯があって、製作者達は頻繁に当人と接触して人物像を構築していったようだ。
 結果として生み出された本編のアイリーン・ウォーノスは、確かに真人間ではなかったが、しかしはじめから殺人鬼となるような要素はあまり見当たらない。出自は不幸だが、それでもどうにか生き続け、死を覚悟したときにたまたまひとりの女性と出会ってしまったこと――そして、彼女と一緒に生きるため、最後と決意して拾った客が暴力でアイリーンをねじ伏せようとし、それに反抗して引き金を引いたこと、このふたつがなかったら、連続殺人犯に変貌する可能性は低かった――そういうかたちで描かれている。いわば彼女は、生まれ育ちのためにもともと低かった道徳心と自己防衛心の強さのために、殺人鬼になることを余儀なくされた、という恐らくは当人の証言に最も近い形で再現されているのだ。
 真偽はどうあれ(ただ、最初の犠牲者が暴力的なレイプを行って刑務所に入れられた過去があったことは事実らしい)、その心理的変遷の描き方には説得力がある。セルビーという最愛の人との生活を安定させるために当初は堅気の仕事を探し求めるが、娼婦であり前科もあるという来歴のために職を得られず、骨折というハンデのためにやはり職に就けないセルビーを支えるためにふたたび客を取り、そのとき初めて金銭目的で凶行に及んだ、という具合だ。いちど殺人を行っており、それが発覚しなかったからこそ、敷居が下がって犯行に及びやすくなった、という図式が解りやすい。
 だが、実際にはもう少し紆余曲折のあったと思われる犯行から逮捕・処刑に至る経緯をここまでフィクション風に綺麗に並べ直したのは、物語の流れをスムーズにすることで、アイリーンと彼女に唯一深く関係するセルビーの心理描写に力を注ぎたかったからだと思われる。アイリーンの孤独と共鳴するセルビーの環境、だがセルビーには反面、意識がいっそ幼稚と表現したくなるほど純粋であり、自分が犯罪者となることなど想像もつかない代わりに、他人がどんな素性であっても容易く受け入れてしまう。だからこそアイリーンと初めて接したとき、ほとんどの人が遠巻きにするなかで彼女だけが意を決して接触することが出来た。一方でその幼稚さは虚栄心などにも簡単に結びつき、アイリーンが職を得られず苦しんでいるときに「何も食べさせてくれない」と愚図り、アイリーンが口にした話をさも自分のことのように他人に吹聴する。彼女のそうした性質が、アイリーンの凶行にある意味で拍車をかけていた――自分はどれほど汚れてもいい、この娘だけは守りたい、という方向へ。
 だが、そこまでして抱いていた信念も、一連の殺人が同一人物による犯行と断定され、少しずつ犯人像がアイリーンとセルビーのふたりに迫っていくにつれ揺らいでいく。胸に迫ってくるのは、いちばん最後の犯行である――アイリーンはこのとき初めて、自分が手にかけないと信じていた、決して殺してはならなかった人物に銃口を向ける。作中ただの一度も口にしたことのない神への祈りと共に繰り返し引き金を引くシーンは壮絶極まりない。
 その上、更に物語は――現実を下敷きにしたこの物語は、過酷な状況をアイリーンに強いる。まさにそこまで描かれた事実があったからこそ、彼女は最後まで一貫した行動を守り続けた。悪い方向ではあったにせよ、まったく揺るがなかったその姿勢には畏れすら感じさせる。
 アイリーンが遺言として製作者達に閲覧を許した手紙などに記されていた彼女の独白を背景に、物語は幕を下ろす。幻想へと唾を吐きかけるような台詞のあと、看守に両腕を掴まれながらカメラのほうをいちど顧み、そうして光が溢れる扉の向こう――恐らくは刑場へと赴くアイリーンの姿は、残酷すぎるがゆえにいっそ美しく映る。
 実に良く整頓された脚本とテンポのいい演出、アイリーンをある意味堕落させるほどの無邪気な魅力を見事に体現したクリスティーナ・リッチも秀逸だが、やはり本編の功績はほとんど、体重を13kgも増量し特殊メイクまで施して、現実の澱みが生み出したと言うべき“モンスター”を完璧に演じきったシャーリーズ・セロンに帰すべきものだろう。本編はセロンの名前と共に、映画史に残ること確実の大傑作である。

(2004/12/05・2005/05/27追記)


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