cinema / 『メメント』

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メメント
監督・脚本:クリストファー・ノーラン / 原案:ジョナサン・ノーラン / 製作:スザンヌ&ジェニファー・トッド / 音楽:デイヴィッド・ジュルヤン / 出演:ガイ・ピアース、キャリー=アン・モス、ジョー・パントリアーノ、マーク・ボーン・ジュニア / 配給:Amuse Pictures
2000年アメリカ作品 / 上映時間:1時間53分 / 字幕:菊地浩司
2001年11月10日日本公開
2002年05月22日DVD日本版発売 [amazon]
2003年12月05日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.otnemem.jp/
劇場にて初見(2002/03/09)

[粗筋]
 ――俺か? 俺はレナード(ガイ・ピアース)、元は保険調査員をやっていた。サミー(スティーヴン・トボロウスキー)の話はしたか? そう、俺の最初のクライアントで、事故からあと新しい体験や出来事を覚えておくことが出来なくなった男だ。説明が済んでいるんだったら謝る。どうして彼のことを何度も話すのかと言うと、今となっては却って忘れがたい存在になったからだ――俺もまた、新しい経験を十数分と覚えていられない記憶障害を負ったんだ。
 一番最後の記憶は、妻(ジョージャ・フォックス)の死だ。俺の妻は殺された。男に暴行された挙句に、だ。助けに向かった俺も犯人の逆襲に遭い、以来新しいことを記憶出来なくなった。――ああ、大変だよ。普通に生活しているつもりでも、次の瞬間には自分が何をしているのかも解らなくなるんだからな。
 それでも人間は、たとえ記憶に支障を来しても、継続することで習慣を作ることが出来る。サミーは下手だったが俺はその方法を完璧にマスターした。忘れてはならないことはその場で逐一メモに取る。必要とあればポラロイドカメラで撮影し、そのうえに情報を記録する。例えばこの写真――彼女の名は、ナタリー(キャリー=アン・モス)、俺と同じように恋人を殺され、同情から協力してくれている。こっちは、テディ(ジョー・パントリアーノ)、下に書いてあるのは彼の電話番号か? 裏には――「この男の嘘を信じるな」。さあ、どういう意味だろうな。
 そして、一番大事なことは体に残すんだ。「フィルムを買え」「資料を見ろ」「記憶は裏切る」「サミー・ジャンキスを忘れるな」「事実:白人、男、名前はジョン・G」「奴を見つけ、奴を殺せ」――全部、俺が俺の体に刻んだ言葉だ――刺青として。眠りから目ざめても己の目的を見失わないように。
 目を閉じると彼女の死の瞬間が脳裏に甦ってくる。俺に新しい人生など有り得ない。ただ、彼女の死に報いることだけが俺の生きる理由だ。目的を果たすまでは、どんな困難だって乗り越えてみせるよ――体に刻み込みながら、な。
 ――ところで、あんたいったい何者だ? 俺はレナード、そう――ジョン・Gという男を捜している……

[感想]
 映画を既に御覧になった方なら、私の苦衷を察していただけるのではないかと。どー書けっちゅーねんこんなのの粗筋。結果としてかなり力業を使わざるを得なかったのだが。
 いずれにしても、確かに本編の感覚は非常に特異だ。冒頭、レナードがある人物を殺害する場面を逆回転で見せ、次に同じ場面を順序通りに、そして殺害シーンが終わると、そのワンセンテンス前――つまり、レナードの記憶がリセットされる直前までの、ひとまとまりの記憶に場面は戻る。それを繰り返し繰り返し、時間は次第に遡行し、映画で語られるエピソードの発端へと回帰し、そこで終わる。勢い観客は常に前の場面での会話や事物を反芻し、検証しなおすことを強要される。一回でもこの作業を怠ると脈絡さえ見失ってしまいかねない。ただその空間に身を委ねただけでは置き去りにされる、この方式自体が既に着想である。記憶を長時間保持できないという障害を持つ主人公、という設定にこのシステムを組み合わせた、それ自体が既に大いなる創意であり、着想した時点である程度精巧は約束されていた、とも言える。
 無論、この着想のみなら超ロングラン上映には繋がらなかっただろう。本編のプロットはこれら基礎となるアイディアを存分に活かしつつ、なおも幾つかの謎を匂わせることで、恐らくは普段気負って映画を観に行くことをしない層さえもリピーターに変貌させる力を備えた。結末を知った上でもなお検証を思い立たせるほどに緻密に伏線を埋め込み、それらを魅力的に紡いでみせたからこそ、の大ヒットである。
 着想の妙に覆われがちだが、演出の確かさと演技陣の説得力も無視できない。突飛なアングルなどは用いず、しかしモノトーンと天然色の交錯する複雑なカット割を施すことで、常に観客の理解を助けながらも同時に迷宮へと誘う手腕。役者陣は場面ごとに発生する個性の断絶を巧みに演じきって、迷宮への道行きを妨げない――或いは、より深く惑わせる。メインとなる数名の人物は、場面によって性格すら異なって見えるほどなのだから。
 どこを貶していいのか解らないほど複雑で、見終わったあとまで堪能できる稀有の逸品。もはや今更私が言うまでもないだろうが、それでも改めて「必見」と言い添えたい。

 但し。非常に理知的で傑出したクオリティを誇る本編であるが、これを以てして新鋭クリストファー・ノーラン監督の力量を完全に信用することは控えておきたい。激烈な発想を支える演出力は確かにあるのだけれど、それすらもアイディアに牽引され発揮した、いわば火事場の馬鹿力のようなものという可能性も現段階では否定しきれないからだ。大きすぎる期待を抑えるのは流石に難しいけれども、なるべく静かに次回作を待ちたい。

(2002/03/09)


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