/ 『ロード・トゥ・パーディション』
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『light as a feather』トップページに戻るロード・トゥ・パーディション
原題:ROAD TO PERDITION / 監督:サム・メンデス / 原作:マックス・アラン・コリンズ(文)、リチャード・ピアーズ・レイナー(画) / 脚本:デイヴィッド・セルフ / 製作:リチャード・D・ザナック、ディーン・ザナック、サム・メンデス / 製作総指揮:ウォルター・F・パークス、ジョーン・ブラッドショー / 撮影:コンラッド・L・ホール,ASC / 美術:デニス・ガスナー / 編集:ジル・ビルコック / 衣裳:アルバート・ウォルスキー / 音楽:トーマス・ニューマン / 出演:トム・ハンクス、ポール・ニューマン、ジュード・ロウ、タイラー・ホークリン、ダニエル・クレイグ、スタンリー・トゥッチ / 提供:ドリーム・ワークス、20世紀フォックス / 配給:20世紀フォックス
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間59分 / 字幕:戸田奈津子
2002年10月05日公開
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/roadtoperdition/
劇場にて初見(2002/10/05)[粗筋]
1931年冬、マイケル・サリヴァン・ジュニア少年(タイラー・ホークリン)は冬の白い波打ち際に佇みながら、その六週間を回顧していた。ひとつの人生そのものだった、長い六週間を。
イリノイ州ロック・アイランド。マイケル少年は同じ名を持つ父(トム・ハンクス)と母アニー(ジェニファー・ジェイソン・リー)、それに愛らしい弟のピーター(リーアム・エイケン)の四人で、慎ましくも幸せに暮らしていた。
ただひとつ、少年の心に曇りを残していたのは、父の仕事のこと。大恐慌のさなかにあってサリヴァンを息子のように想い重用してくれた恩人ジョン・ルーニー(ポール・ニューマン)のために働いている、という話は聞いていても、具体的な内容は知らない。ただ、銃を手放せないほどに危険な仕事だということ以外は。
父の同僚の通夜がルーニー宅で執り行われた数日後、父は音楽祭に行く約束を反故にして仕事に出かけると言った。好奇心を抑えきれなかったマイケル少年は、父の車の座席下に潜り込む。父がルーニーの子息コナー(ダニエル・クレイグ)と共に雨の中訪れたのは、とある倉庫。壁の下に空いた隙間からマイケルが見たものは――ジョン・ルーニーを侮辱した仲間をコナーが射殺し、射殺された男の部下たちを機関銃で一掃する父の姿だった。恐慌に陥りながら逃げ出すマイケルだったが、ほどなく見つかってしまう。
関係者たちの対応は複雑なものになった。我が子のように愛情を注ぎその才覚も認めていたサリヴァンとその家族を傷つけるに忍びないルーニーはなるべくことを荒立てぬように気遣ったが、コナーは違った。サリヴァンに父からの手紙と偽って、取り立ての相手にサリヴァンを殺すよう指示した文章を手渡し、自分はサリヴァンの自宅に向かう――
父の暗い一面を目の当たりにして情緒不安定になっていたマイケル少年は些細なことから喧嘩沙汰を引き起こし、反省文を書かされていたために帰宅が遅くなった。暗いなか家に辿り着いた彼が目撃したのは、興奮した様子で出て行くコナーの姿と――浴室で処刑された、母と弟の無惨な姿だった。
辛くも一難を逃れ家に戻った父は、ただひとり残された息子を護り通す意を固める。妻子の仇を討ち、安心して普通の人生を歩めるように。
マイケル少年を乗せた父の車は、一路シカゴへ向かった。そこでサリヴァンはかつて仕事を共にし、アル・カポネとも通じるギャングの大物フランク・ニティ(スタンリー・トゥッチ)を訪ねる。彼の庇護を受けながら、コニーを始末するつもりだったが――フランクは首を横に振る。いくら才能があっても、ルーニーの威光あってこそのサリヴァンであったことに変わりはない。息子を連れて逃げろ、とだけフランクは言い募り、やむなくサリヴァンはシカゴをあとにする。サリヴァンはせめてマイケルの安全を保とうと、パーディションに住む伯母サラの元へと再び旅立った。
一方ルーニー親子はこのとき既にフランクに匿われていた。煩悶するルーニーだったが、こうなってはサリヴァンを始末するほか収拾をつける手立てはない。フランクは親子のためにひとりの男を雇う。死体専門のカメラマンであり、同時に殺し屋という裏の貌を持つ危険な男――マグワイア(ジュード・ロウ)が、サリヴァン親子の背後に忍び寄る――[感想]
御免なさい参りました完璧です。理由もなく激しく頭を下げてしまいたくなります。
とりあえず、先に弱点を挙げておこう。キャラクターがやや型に嵌りすぎている。トム・ハンクスは相変わらず巧いが相変わらず善人で、逞しい父親像のステレオタイプになっているし、ポール・ニューマンも格好いいが自らの地位と感情との板挟みに悩む老いた巨人というのは既に繰り返し描き込まれてきたキャラクターに過ぎない。ただひとり、従来の清潔な役柄を捨てて完璧に化けたジュード・ロウを除けば配役もキャラクターそのものも凡庸だった。
また、あまりに理想的な筋を辿っているため、伏線が明確すぎて展開が見えてしまうことが多かった――但し、これは根が臆病者の私がいつのまにやら防衛本能から、驚かされるような展開をあらかじめ読んでしまうことに起因していることも否めないのだが。こと、戦闘場面ではほぼどこでどういう手段を選ぶかが解ってしまい、そういう意味での意外性は少なかった。
だが、それ以外は殆ど間然するところがない。前述した意外性のなさも、伏線の丁寧さが災いしてのことだし、ドラマとしての筋書きはオーソドックスながら随所で意表を突いたもので、それを違和感を抱かせず自然に描ききってしまったという意味では長所にも数えられるのだ。広大で荒涼としたアメリカ特有の淡色のトーンで画面全体を憂色で覆い、その中で、決して特異でない人々が拒み得ぬ運命によって生命の遣り取りに駆り立てられる様を、自然に見せている。凡庸と映る配役も、理解する上での障害を排除したと捉えれば計算のうちと言えるだろう。
更に特筆すべきは、哲学を感じさせるカメラワークである。冒頭近く、僅かに開いた扉の隙間から、護身用の銃を外している父マイケルの姿を眺める息子マイケル。この場面以降、彼は常に暗い場所から、明るい場所で行われる父とその仲間たちの陰鬱な所業を見つめることになる。
また、物語のなかで死は常に画面の死角から齎される。殺人者の全身が描かれることは殆どと言っていいほどない。この2つの特徴的な画面構成はクライマックスで重なりあい、重厚な余韻を残す。これに限らず本編のカメラワークは全体に自己陶酔的と言いたくなるほど異様なこだわりを感じさせるが、この息子の視点と殺人の象徴的な描き方は特に印象深い。
そして脚本の巧みなこと。CMで披露された台詞は、単体ではあざとく聞こえるが本編の中に収まると激しく響く。本編では3種類の、ある意味ドラマの基本といえる親子関係が交錯しており、その枠の中で交わされるルーニーとサリヴァンのこの会話の重みは、やはりストーリーの中に身を置いてみなければ解らないだろう。
「お前に約束できることはひとつだけだ。私達は、天国には行けない」
「いや、俺の息子――マイケルは行けるさ」
デビュー作にしてアカデミー作品賞に輝いた『アメリカン・ビューティー』の監督の第2作だが、前作がただの僥倖でなかったことを存分に示す大傑作。横溢する暴力のなかで綴られる絆の物語、出来れば劇場で堪能してください。
毎度ながら余談を数点。
その一。広告上はどうしてもビッグネームが大きく取り上げられがちだが、本編では最も重要な役所を見事に演じきった子役タイラー・ホークリンに注目していただきたい――まあ、視点人物であり実質的な主人公でもある少年なので、意識せずとも目がいってしまうはずだが。作品賞などを獲得できるかは別として、いずれかの部門で引っかかるのは確実と思われる本編、出来ればタイラー少年に助演男優賞あたりを獲って欲しいくらいである。
その二。よくこのコンテンツでプログラムの不出来を腐している私だが、今回ばかりはプログラムにもシャッポを脱いでしまおう。インタビューすら含めずスタッフ・キャスト紹介にプロダクションノートと定番の記事ばかりだが、必要充分な書きっぷりが好ましい。何より、使用した写真が実に素晴らしい。鑑賞前はただのスナップに見えるのだが、記憶を辿りながら再度眺めると、実に意味深なカットばかりを選択しているのだ。特に表3・表4に掲載された写真を、観賞後に改めてご確認いただきたい。度肝を抜かれます。
もひとつ。本編にはいわゆるミステリの要素は殆ど含まれていないが、原作者であり、映画の脚本に基づいて新たにノヴェライズを行ったマックス・アラン・コリンズは、他の様々な映画作品のノヴェライズを手掛ける一方、小説家としても『リンドバーグ・デッドライン』という作品で高い評価を得ていたりする。……発掘して読みたくなってきた(ちゃんと持っている自分がちょっと好き)。
最後にもう一つ解説を添えておこう。パーディション――作中に登場する架空の地名であると同時に、「地獄」や「破滅」を意味する。つまり本編のタイトル“Road To Perdition”は、サリヴァンが息子を安全圏に連れていくための旅路そのものであると同時に、犯罪の世界で生きて来た彼らの末路そのものを指し示している――(2002/10/05)