cinema / 『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』

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ザ・ロイヤル・テネンバウムズ
原題:The ROYAL TENENBAUMS / 監督・共同脚本・共同製作:ウェス・アンダーソン / 共同脚本・製作総指揮:オーウェン・ウィルソン / 製作:バリー・メンデル、スコット・ルーディン / 製作総指揮:ラット・シモンズ / 撮影:ロバート・ヨーマンA.S.C. / プロダクション・デザイン:デイヴィッド・ワスコ / 編集:ディラン・ティシュナー / 音楽:マーク・マザーズボー / 音楽監修:ランダル・ポスター / 出演:ジーン・ハックマン、アンジェリカ・ヒューストン、ベン・スティラー、グウィネス・バルトロウ、ルーク・ウィルソン、オーウェン・ウィルソン、ビル・マーレー、ダニー・グローバー、シーモア・カッセル、クマール・パラーナ / ナレーション:アレック・ボールドウィン / 提供:タッチストーン・ピクチャーズ / 配給:ブエナビスタ
2001年アメリカ作品 / 上映時間:1時間50分 / 字幕:森本 務
2002年09月07日日本公開
公式サイト : http://www.movies.co.jp/royal/
劇場にて初見(2002/09/14)

[粗筋]
 テネンバウム家の長男チャスは10代にして金融の才能に目醒め、長女のマーゴは12歳で劇作家として活動を開始し、次男のリッチーはジュニアスクール3年の頃からテニスプレイヤーとして知られた存在となった。天才兄弟として才能と名声とをほしいままにしていた3人だったが、彼らの唯一にして最大の不幸は、父親――ロイヤル・テネンバウム(ジーン・ハックマン)が、桁外れた大馬鹿野郎だったことだった。さんざっぱら家族を引っかき回した挙句、浮気他の素行不良で妻エセル(アンジェリカ・ヒューストン)に三行半を突き付けられ、子供達も家もエセルに奪われてホテル暮らしを始める。
 ――それから22年の月日が過ぎた。
 チャス(ベン・スティラー)は離婚後、コンバットゲームで味方だったはずの父に後ろから手の甲を打たれたことがきっかけで父親不信に陥り、以来稀にしか連絡を取っていない。加えて1年前の家族旅行で飛行機事故に遭い、自分も息子も積み荷扱いで連れて行った愛犬も無事だったのに、妻ひとりを喪ってしまった。その為に神経過敏になり日夜避難訓練に明け暮れ、とうとうアパートを出て2人の息子共々実家に戻ってきた。
 マーゴ(グウィネス・パルトロウ)はその後も劇作家としての活動を続けていたが、12歳の時に煙草を覚え、それから家族にすら秘密にしていることが増えた。あるときリッチーと家出し市立図書館で数日を過ごし、16歳の時には本格的に家出、しばらく消息を絶った。実は養女であり、失踪中に実の父親を訪ねたらしいが詳しい経緯を語ろうとしない。失踪中に右手の薬指を喪い義指をつけ、神経学者のラレイ・シンクレア(ビル・マーレー)と結婚したが、兄弟の幼馴染みであるイーライ・キャッシュ(オーウェン・ウィルソン)と何やら相通じているようで、いよいよ謎が多い。
 リッチー(ルーク・ウィルソン)は天才テニスプレイヤーとしての経歴を着実に積み重ねていたが、3年前の国際試合で最悪のプレイを見せると即座に現役を退いた。その後は客船や貨物船を乗り継ぎ、五つの海を股に掛ける旅に出る。彼の奇行の裏には、実はマーゴへの秘めたる想いがあった。
 聡明で美しく魅力的なエセルには、籍を抜いていないにも拘わらず求婚者があとを絶たなかった。どんな名士が求婚しようと軽く袖にしていたエセルだったが、今回だけは様子が違っていた。長年彼女の会計士を務めてきたヘンリー・シャーマン(ダニー・グローバー)が職場で囁いた迂遠なプロポーズに、初めて「考えておくわ」という答えを返したのだ。
 一方その頃一家離散の元凶であるロイヤルはというと、ある事件を契機に職場であった法曹界を追われ、以後稼ぎもないままにホテル暮らしを続けてきたために破産しツケも溜まり、居場所を失う瀬戸際に来ていた。そんな矢先に、古い友人であり今もエセルたちの家で執事をしているパゴダ(クマール・パラーナ)からの密告でエセルの気持ちが再婚に傾きはじめていることを知ると、嫉妬からか居場所を失いそうな危機感からか、俄に一計を講じる。
 エセルの前に突如舞い戻ったロイヤルは、彼女にこう告げる。自分の命はあと六週間しかない、その間に家族との絆を取り戻したい、と。

[感想]
 なんちゅーか、情報量の多い映画だ。
 ナレーションという奥の手も使っているとは言え、2時間足らずとは思えない設定と描写の密度の高さ。誰かが発表した本の体裁を取った作品で、序章・第一章・第二章――という具合に要所要所で場面を区切ることによって情報量を調整しているために、観ている間はそのことを意識せずに済んでいるのだ。この一事だけでも、製作者のマニアックさとこだわりが垣間見えると言うものだ。
 しかしストーリーの要素ひとつひとつは、結構バラバラである。意味不明のまま投げ出された描写もあったし、人物の関わり合いが強引だったり御都合主義的であると批判することも簡単だ。だが、その為に展開の予測が困難で、気分はしっちゃかめっちゃかなのだが知らず知らずのうちに引き込まれてしまう。その意表の突き方が巧い。
 当初、家族をテーマにしたコメディと認識して劇場を訪れたのだが、そういう意味では期待とは違っていた。あまり笑いどころがない。しかしこれはコメディとして不出来なのではなく、基本的な笑いどころが過去の名画のパロディや、人々の微妙な遣り取りにあって、大笑いするというよりはニヤッとさせられる種類の笑いだからだろう。
 出ている人間みんなどこかしら壊れていて、展開も御都合主義的に見えながら実は決して思い通りに進んでいない。にもかかわらず、「これはこれで幸せなんじゃなかろうか?」と思わせるところまで引っ張ってしまうストーリー・演出の巧さ、というか力強さ。劇場を出てからもしばらく胸に残る切なさと暖かさ。テーマはかなり異なるのだが、その深い余韻と印象深さは『アメリ』に通じるところがある。
 監督のウェス・アンダーソンは、デビュー当時からアメリカでは評価が高く、本編ではアカデミー脚本賞候補をはじめ各賞の候補に名を連ね2001年の映画ベスト10にランクインするほどの好評を博したそうだが、なるほどの出来。
 強いていうなら親子のくせにあまりにも似てないのが妙だが、その辺のおかしみさえ含めて見所満載の傑作である。わたし、機会があったらもう一度劇場に行くかも知れません。

 上のスタッフを見てお気づきの方もあるだろう、若手俳優のオーウェン・ウィルソンが共同脚本・製作総指揮という深い位置から制作に携わっている。それもその筈で、監督とオーウェンは大学の同級生であり、ウェス・アンダーソン監督のデビュー作からして共に制作を行っているくらいなのだそうだ。ために、『エネミー・ライン』『シャンハイ・ヌーン』など日本では俳優としての功績のみが知られがちだが、あちらでは若手製作者としても着目を浴びている。私も驚いたのだが、アカデミーの主演男優賞・女優賞を独占した『恋愛小説家』の製作にも名前を連ねているのだそうな。
 更にこの監督、非常に友人を大切にしているようで、本編ではデビュー以来の付き合いであるオーウェン以外にも、オーウェンの実弟ルークがテネンバウム家の次男として出演させ、実兄アンドリューも登場しているらしい(でも何の役だったんだ?)。それどころか、本編で非常に味わい深い役柄を演じているクマール・パラーナは実は役者ではなく、監督とオーウェンが学生時代贔屓にしていた喫茶店のオーナーの父親なのだそうだ。無論あれだけ雰囲気があるからこその起用だろうが、この製作者のアットホームな構成も作品の仕上がりを暖かなものにしているのかも知れない。
 日本ではこれが初めての劇場公開作となるウェス・アンダーソン監督、今後も要注意である。ああ、またチェックする作家が増えてしまった。

(2002/09/14)


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