cinema / 『ニュースの天才』

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ニュースの天才
原題:“Shattered Glass” / 監督・脚本:ビリー・レイ / 原案:バズ・ビッシンジャー / 製作総指揮:トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー、トム・オーテンバーグ、マイケル・パセオネック / 製作:クレイグ・バウムガーテン、アダム・J・メリムズ、ゲイ・ヒルシュ、トーヴ・クリステンセン / 撮影監督:マンディ・ウォーカー / 美術:フランソワ・セガン / 衣装:ルネ・エイプリル / 音楽:マイケル・ダンナ / 出演:ヘイデン・クリステンセン、ピーター・サースガード、クロエ・セヴィニー、スティーヴ・ザーン、ハンク・アザリア、メラニー・リンスキー、ロザリオ・ドーソン / 配給:GAGA-HUMAX
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間34分 / 日本語字幕:栗原とみ子
2004年11月27日日本公開
公式サイト : http://www.news-tensai.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ(Screen 1)にて初見(2004/12/01)

[粗筋]
 アメリカ国内には千を超える数の雑誌が存在する。そのなかで、大統領専用機エアフォース・ワンに置かれているのはただ一誌、ニュー・リパブリックだけだ。記者の平均年齢は27歳と若く、1998年当時最年少の25歳だったスティーブン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)は、才人揃いの記者たちのなかにあっても花形のチーフ・ライターとして名を馳せていた。口が達者で、編集会議の席では取材してきたエピソードを面白可笑しく語り聴かせ、文章力もあったスティーブンはケイトリン・アイヴィー(クロエ・セヴィニー)らの同僚からは無論、有能で統率力にも長けた編集長のマイケル・ケリー(ハンク・アザリア)からも厚い信頼を受けていた。
 状況が変化するきっかけは、会社のオーナーであるマーティン・ペレスによる突然の解雇通告だった。しばしば記者たちに対して乱暴な要求を突きつけるペレスとケリーはかねてから対立関係にあったが、ある日ついにペレスはケリーを編集長の席から外し、チャック・レーン(ピーター・サースガード)を後任に指名した。つい先日までスティーブンらと机を並べていたチャックに対する同僚の評価は政治的、編集者としても記者としても未熟――編集室の空気はしばし激しく冷え込んだ。
 緊張を保ちながらもしばらくのあいだ、目立った摩擦は生じなかった。それが再び緊迫したのは、スティーブンの手に・イアンよる“ハッカー天国”という記事が掲載された直後のことだった。十代の有能なハッカー少年を、放置しておくよりは雇い入れた方がずっと経済的だと判断した大手ソフトウェア会社ジューク・マイクロニクスは彼に対して巨額の契約金を提示、契約が成立した直後、隣のビルで開催されていたハッカーたちの集会でイアン少年は凱歌を挙げた、という内容である。
 この記事にまず反応したのはオンライン出版社フォーブス・デジタル・ツールだった。ハッカー関連の記事をすっぱ抜かれたことに憤慨した編集長は、担当記者アダム・ペネンバーグ(スティーヴ・ザーン)を問い詰めるが、記事を熟読したアダムはそれがきわめていい加減な記事であることをすぐさま見抜く。イアンという少年ハッカーは同業者のなかでまったく知られておらず、ジューク・マイクロニクスなる会社も所在は定かではない。記事のなかで唯一、実在していると信じられるのは“ネバダ州”だけだった――
 アダムから事実確認をしたい旨の連絡を受けたチャックは、スティーブンとの仲介をしながら、彼がきわめていい加減な態度で記事を著したことを悟った。チャックは先方の編集長に対して内々に処理したいという要望を伝えるが、相手の追求姿勢が緩む気配はない。頭を悩ませるチャックは、だが次第に怪しむようになった――当初は奸智に長けたハッカーがスティーブンに対して誤情報を流し、それに引っかかっただけのように捉えられていたが、実は一切合切が捏造ではなかったのか……?

[感想]
 割と匿名が多く、署名記事であっても誰が書いたのかにはあまり興味を抱かれない日本と異なり、アメリカにはスター記者と呼ばれる花形が存在する。署名記事が好評を博せばそのぶんだけ記者の評価は高まり、仕事も増えれば単価も上がる。必然的に、記者たちは名を売るために様々な努力をすることになる。実際の事件の背景には、そうしたアメリカのマスコミ事情があるらしい。
 こうした説明は大前提と看做されてほとんど省かれているので、本当にこんな捏造が罷り通るのか、と異国に住む人間からすると咄嗟に信じがたく感じられるのが難点と言えるかも知れない。だが、こうした危険は決して日本といえども無縁ではないだろう。潤色ややらせは日常茶飯事だし、作中でも語るとおり、情報源の一切合切を記者が握った状態では、即座に記事の真偽を判断するのはきわめて難しい。裏では相当な数の捏造が行われていたとしても不思議ではない。
 しかし本編で描かれているのは、そうした捏造に対する批判でもなければ、決して無能ではなかったスティーブン・グラスという記者が捏造に至った心理的背景でもない。あくまで、発覚する過程を関係者の表情と事実関係のみで綴っているだけだ。なまじスティーブンの心理に踏み込もうとしていないだけに彼の真意や本当の背景が見通せず、ゆえに次第に捏造が明白となっていく過程がスリリングになっており、困惑し悩みぬくチャックの姿が浮き彫りになっていく。本編の主役はスティーブンの記事捏造という事実だが、同時にウェイトが大きいのはチャックが相対することになるマスコミとしての正義感と倫理と言えるだろう。
 現実では関係者たちはもう少し早く捏造を察知していたそうだし、発覚の過程も輻輳していたようだが、本編では発覚の契機を“ハッカー天国”という記事の内容に絞っている。その為に流れがシンプルで、スムーズに捏造発覚のさまが伝わるような話運びが出来ている。このあたりに、大袈裟な設定を丁寧なキャラクター造型で見事なエンタテインメントに組み上げてしまった『ボルケーノ』の脚本家でもある本編の監督・脚本担当ビリー・レイの巧みな手腕が窺える。
 ただ、そう考えていくと、クライマックスでチャックが編集部内での会議に臨むシーンの表現がちょっと浮いて見えるのが残念だ。いちばんの盛り上がりで提示されるあの場面は、物語の背景として存在するチャックと編集部の人間たちとのあいだにあった溝を突如物語の表面に浮かび上がらせてしまったもので、それまでの主題であったはずのマスコミの倫理や正義感といったものからは若干ずれてしまい、また表現自体もいささか情緒的に過ぎる。それなりに感動的な場面ではあるのだが、ゆえに全体から浮いてしまっているのが余計残念なのだ。
 とは言え、ほぼ全篇通して主観をほとんど交えることなく客観的に捏造発覚の過程を追っていった本編は、何ら教訓めいたことを語らないだけに静かながら深い衝撃を齎す。とりわけ印象深いのはラストシーンにおけるスティーブン・グラスの、いっそ不敵とも見える表情だ。すべてを認めてさっぱりしたようにも見える一方で、自分ひとりで片が付いたと思うなよ、と挑発しているようにすら見え、そこにアメリカのみならず、マスコミというものが内包している闇が大きく口を開けているように映る。
 社会派と呼んで差し支えない主題を手頃な尺で明快に描きながら、報道媒体が孕む矛盾と危険とをあますところなく抉り取った快心の作品。上記のような問題点はあれど、テーマの選択においても全体的な描写においても破綻のない秀作である。

(2004/12/03)


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