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サイン (ネタバレ解禁版)

Caution
 本稿は映画『サイン』の粗筋・感想を記したものですが、文中に重要な仕掛けに抵触する箇所があります。なるべく新鮮な気持ちで本編を鑑賞したいとお考えの方は、画面をスクロールせず下記リンクから別のページへ移動してください。
 既に鑑賞された方、ネタバレに拘泥しない方のみ、画面を進めてください。
























































サイン (ネタバレ解禁版)
原題:SIGNS / 監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン / 製作:フランク・マーシャル、サム・マーサー / 製作総指揮:キャスリーン・ケネディ / 撮影:タク・フジモト / プロダクション・デザイン:ラリー・フルトン / 衣装デザイン:アン・ロス / 視覚効果監修:エリック・ブレビッグ、ステファン・ファングメイヤー / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:メル・ギブソン、ホアキン・フェニックス、ローリー・カルキン、アビゲイル・ブレスリン、チェリー・ジョーンズ、M・ナイト・シャマラン、パトリシア・カレンパー / 制作:タッチストーン・ピクチャーズ / 配給:ブエナ ビスタ インターナショナル(ジャパン)
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間47分 / 字幕:戸田奈津子
2002年09月21日公開
公式サイト : http://www.movies.co.jp/sign/
劇場にて初見(2002/10/14)

[粗筋]
 グラハム・ヘス(メル・ギブソン)は今でこそ農夫だが、かつては地域の信望を集めた牧師であった。だが、知人の獣医レイ・レディ(M・ナイト・シャマラン)がたった一度きり犯した居眠り運転のために妻のコリーン(パトリシア・カレンバー)を喪い、信仰を捨てた。以来、妻の最期を繰り返し夢に見ながら、抜け殻のような日々を過ごしていた。
 とある早朝、グラハムは不穏な気配に目醒め、次の瞬間、子供の悲鳴らしき叫びを聞き、飛び起きた。離れに住む弟のメリル(ホアキン・フェニックス)も飛び出して来、二人してトウモロコシ畑のなかを走り回る。途中で発見したグラハムの娘ボー(アビゲイル・ブレスリン)を抱え、更に奥に進むと――ボーの兄モーガン(ローリー・カルキン)が見守るそのまえ、トウモロコシ畑の中に忽然と現れた空隙を、怯えたように吠えて廻る2匹の飼い犬がいた。畑には倒されたトウモロコシが、複数の円と曲線からなる幾何学的な模様を描いていた……。
 グラハムは近所の不良青年の悪戯と判断し電話で確認するが、彼らにはアリバイがあった。別の理由から早々とやって来た旧知の女性警官キャロライン(チェリー・ジョーンズ)と共に改めて現場を確認すると、トウモロコシは全て根本から綺麗に折られ、折り重なって複雑な模様を描いており、無知な人間の手で簡単に作れる代物とは思えない。では誰の仕業か? 首を傾げていたグラハムは、屋外で遊んでいるはずの子供達の声が全く聴こえないことに気づき、慌てて家に戻った。子供達は、バーベキューの串を刺され息絶えた飼い犬の傍らで呆然としていた。モーガンは「突然凶暴になって、ボーを殺そうとしたんだ」と告げる。
 その日の夜、呆然と食卓に座っていたグラハムと彼を気遣うメリルは、離れの屋根に佇む人影を見つける。再び例の悪童どもの悪戯だ、と憤ったメリルは兄の背を押して、侵入者を外で挟み打ちにしようと提案した。だが、影は驚くべき素早さで家の屋根に飛び乗り、そこから2人の頭を越してトウモロコシ畑に逃げ込んでしまう。
 翌日通報で駆け付けたキャロラインは2人が先入観で犯人を決めてかかっている事実を窘め、街にでも出て気晴らしをしなさい、と諭す。そこへボーが、「テレビが、どのチャンネルをつけても同じ事しか言ってないの」と訴えた――テレビは、世界各地に出現したミステリーサークルとUFOの話題を、延々と繰り返していた。

[感想]
 デビュー直後から評価鰻登りのM・ナイト・シャマラン監督第3作。前2作ではサプライズ・エンディングが売りとなっていたため、本編でもそれを期待していた向きは多いだろう。実際、公開ちょっと前から噂を耳にするようになるまで、私自身そう思い込んでいたくらいだ。
 が、こういう書き方をしている時点でお解りだろうが、結末に辿り着いても決して驚きは大きくない。様々なガジェットの意図が浮かび上がってくる爽快感は相変わらずだが、前2作の、人によっては天地をひっくり返されたくらいのダメージを受けそうな(人によって、よ、人によって)展開ではない。
 だからと言って前2作と較べて不出来か、と聞かれると、確実に首を横に振る。寧ろ、根っことなるアイディアひとつに邁進するのみだったかつてと較べて、ドラマ作りに成長が窺え、深みはより増していると言っていい。
 キャラクターの輪郭は平凡である。その立場と他の人々との交流に格別な新味はない。にも拘わらずきっちりと人物像が出来上がっているのは、役者それぞれの巧みさにも一因はあるが(一番目立たないはずのホアキン・フェニックス演じるメリルの際立ちっぷりときたら!)、各々が物語に奉仕する行動を、違和感なくこなしているからだ。
 シャマラン監督作品の個性がサプライズ・エンディングなどではなく、静謐、或いは主張しすぎないガジェットから構成されるスリラーと、異常な状況での人間ドラマにこそあることを、最も如実に表現した一本。宣伝の仕方との食い違いについては色々と疑義を呈したいが、先の2作と較べても熟練した演出に、改めて天才的なクリエイターであることを感じさせられた。先の2作を評価する人なら間違いなく観て損はない。
 ……何にしても、これが大ヒットするあたり、ハリウッドも捨てたもんじゃないよな、とちょっと思ったくらいで。

 シャマラン監督もう一つの売りは、ヒッチコック信奉者としてはごく自然ながら、自身の作品にちゃっかり顔を出していること。もう当然のサービスだったので、「自分で出てる」「台詞が多い」と聞いても「あー、毎回のことだよ」と驚きもしなかったのだが、実際に目の当たりにして……笑った。本当に多いわこれ。それどころか、粗筋で書いたとおり、主人公の奥さんを不注意から死なせてしまった人物で、中盤にて非常に重要な役割を果たす人物である。問題の場面では何とメル・ギブソンよりずっと台詞が多い。私は監督の演技も顔立ちも(昔よく訪れていたインド料理店のマスターによく似てるんだこれが)好きなので、出番が多いのを咎める気はないんだけど……そのうち主演しやしないだろうな、と軽い危惧を覚えたのも事実だったり。この三作のギャランティで、自費で一本撮れるくらいは稼いだはずだしなあ……ぶるぶる。

(2002/10/14)


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