cinema / 『息子の部屋』

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息子の部屋
原題:la stanza del figlio / 英題:The Son's Room / 監督・原案・主演:ナンニ・モレッティ / 脚本:リンダ・フェリ、ナンニ・モレッティ、ハイドラン・シュリーフ / 音楽:ニコラ・ピオバーニ / 出演:ラウラ・モランテ、ジャスミン・トリンカ、ジュゼッベ・サンフェリーチェ、シルビオ・オルランド、クラウディア・デラ・セタ、ステファノ・アコルシ、ソフィア・ビジリア / 配給:Warner Bros.
2001年イタリア作品 / 上映時間:1時間39分 / 字幕:吉岡芳子
2002年01月19日公開
2002年07月26日DVD日本版発売 [amazon]
2003年12月05日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.warnerbros.co.jp/sonsroom/
劇場にて初見(2002/02/02)

[粗筋]
 イタリアの港町で、精神分析医のジョバンニ(ナンニ・モレッティ)は家族と共に穏やかに暮らしていた。出版関連の仕事に携わる妻・パオラ(ラウラ・モランテ)、近付いたバスケットボールの大会に合わせて練習に余念のない長女イレーネ(ジャスミン・トリンカ)、競争心に乏しいが心優しい長男アンドレア(ジュゼッベ・サンフェリーチェ)。ランニングを好み、決して思い通りではないけれど子供達とも心を通じ合わせ、平凡なりに幸せな毎日だった。
 ある日、アンドレアの学校から連絡が入った。化学室から化石が盗まれ、その容疑がアンドレアと友人のルチアーノにかかったという。ジョバンニはアンドレアの無実を信じるが、同時に僅かな疑念が拭えない。事実、アンドレアは母に対して、悪戯心から盗んだことを告白した。ふたりのほんの少し打ち解けきれない部分が、アンドレアの口を頑なにしていたのだった。
 その頃、ジョバンニは三人の厄介な患者を抱えていた。ポルノ好きで過剰な性欲を覚えながら妻を抱くことが出来ないトマゾ(ステファノ・アコルシ)、万事予定通りに進めないと気が済まず一種の強迫神経症に陥っている主婦のラファエラ(クラウディア・デラ・セタ)、普通の生活を送りながら自殺願望に悩まされるオスカー(シルビオ・オルランド)。いずれも治療に目立った進展が窺われない。毎回、診療時に次の予定を決めるのが常だが、その日曜日、朝食を採っているときオスカーから電話があり、具合が悪いので往診に来て欲しいと請われ、切羽詰まった様子にジョバンニは断ることが出来なかった。一度はジョギングに誘ったアンドレアに詫びて、ジョバンニは車を走らせる。オスカーは病院で診察を受けた結果、胃に影が見つかったと言った。
 用件が思いの外早く片付いたため、ジョバンニは自宅に連絡するが、家族は皆それぞれの用事に出かけたあとだった。長い道のりを戻ると、自宅の前にはルチアーノと彼の父が悲壮な面持ちで佇んでいた。――アンドレアが、友人たちと出かけた海で、潜水中に事故を起こしたのだ……
 表面上平静を装っても、衝撃は隠せなかった。パオラは仕事を相棒に任せてしばらく休職することにした。イレーネは恋人と別れ、バスケットボールに打ち込もうとしたけれど審判の判定に異を唱えて退場させられてしまった。アンドレアの死後休む間もなく仕事に戻ったジョバンニもまた、自分と患者たちとの間に差を見出せなくなり、仕事に限界を感じ始めていた。とりわけ、アンドレアの死んだあの日に自分を呼び立てたオスカーと対すれば否応なしに一連の記憶が甦り、あの日に戻って行動をやり直したい、という思いに駆られてしまう。その度に、ジョバンニは港まで一緒に走るアンドレアの姿を夢想した。
 そんな矢先、アンドレアに宛てて一通の手紙が届いた。拙い文章で、アンドレアに対する恋心を綴った手紙――そうしてジョバンニたちは、生きている間は知ることもなかったアンドレアの別の素顔と出逢う……

[感想]
 不思議な作品である。冒頭から二・三十分ほどはパッチワークの感があり、目紛しく変わる場面に混乱しそうな心地になるが、心地がするだけで実際に混乱したり前後の脈絡を見失うことはない。アンドレアの死を境に急激にそれぞれの描写が結びつくが、演出はあくまで淡々と、それ以前の日常の延長で物語を続け、それ故にジョバンニたちが覚える喪失感と悲壮感とが際立ちスクリーンから迫ってくるように思える。
 アンドレアの死以前の家族を理想のように見せながら、結局物語はそこに辿り着くことなく終焉を迎える。だが、これこそが一番不思議なのだけど、顛末に悲壮感は殆どない。澱のように儚い悲しみが意識の底にあるけれど、それは清澄な海の底の砂を眺めているのに近い。一度は元に戻せないほど乾いた心を、いつの間にか深く穏やかな水が満たしている、という心地。
 終盤で、アンドレアへの贈り物として、ジョバンニがCDショップの店員に選んでもらった曲――ブライアン・イーノの“By This River”を背景に、去りゆくバスから波打ち際をそれぞれに歩く残された家族たちを撮しながら映画は幕を降ろす。アンドレアが生きていたら、あるいは不幸な顛末になったのかも知れない、という事実を描きながらも、そのことに苦しむ様子さえなく、あるがままを受け入れるジョバンニたちの姿が、CMや予告編でさんざに流れたこの曲と相俟って胸を打つ。
 あるがままの出来事をあるがままに見せ、あるがままに受け入れる――それが本編のすべてと言ってもいいと思う。ちりばめたガジェットが、ひとつ残らず結末の清澄な余韻に奉仕している。物語のベースとなる筋に殆ど小細工を施さず、真っ向から描いているからこそ、貴重で傑出した作品に仕上がっている。
 これこそ、贅言を弄するよりもいちど観て欲しい作品。どんな媒体でも構わない。退屈だと感じるのも選択肢だと思う。どういう形であれ、胸に何かを残してくれるはず、と信じる。今年、現時点までに観た映画にさしたるハズレはなかったが、その中でも間違いなくトップクラスの逸品である。

 CMや広告でキャッチコピーとして提示されていた文句は、「生きているときは、開けてはいけないドアでした。」。とは言え、見れば解るとおりジョバンニもパオラも生前から息子の留守中に部屋に足を踏み入れている。だけど、ここで言われているドアも「部屋」も別のところにある。作中の描写で最も胸を衝いたのは、この部屋――息子の知られざる一面が、具体的な形となってジョバンニの前に示されたときだった。小説風に、詳細に書き留めたい衝動に駆られるほどだが、ここは堪えて「観たときのお楽しみ」とさせていただきたい。

(2002/02/02・2004/06/19追記)


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