cinema / 『スパニッシュ・アパートメント』

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スパニッシュ・アパートメント
原題:“L'auberge espagnole” / 監督・脚本:セドリック・クラピッシュ / 製作:ブリューノ・レヴィ / 撮影:ドミニク・コラン / 美術:フランソワ・エマニュエリ / 編集:フランシーヌ・サンベール / 共同製作:マテ・カンテロ、ステファーヌ・ソルラ、フリオ・フェルナンデス / 音楽:ロイク・デュリー(KOUZ-1) / 出演:ロマン・デュリス、ジュディット・ゴドレーシュ、オドレイ・トトゥ、セシル・ド・フランス、ケリー・ライリー、クリスティナ・ブロンド、フェデリコ・ダナ、バーナビー・メッチュラート、クリスチャン・パグ、ケヴィン・ビショップ、グザヴィエ・ド・ギユボン / 配給:20世紀フォックス
2001年フランス・スペイン合作 / 上映時間:2時間2分 / 日本版字幕:松浦美奈
2004年04月03日日本公開
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/spanish/
日比谷シャンテ・シネにて初見(2004/04/03)

[粗筋]
 卒業までの一年間、どう過ごすかによって、僕の将来は決まる。
 パリの大学で経済を学ぶ僕、グザヴィエ(ロマン・デュリス)は来年の卒業を控えて、焦りを覚えていた。布石のために父のコネを使って役所のお偉方に面会すると、言われたのはスペイン語とスペイン経済を学べ、ということ。EUの学生にはエラスムス計画、という交換留学の制度が用意されている。僕はいまいち実態のよく解らない偉人の名前を冠したその制度に乗っかって、スペインはバルセロナへの留学を決意した。
 自分で決めたことだから、泣くつもりなどなかったのだけど――それでも、空港で恋人のマルティーヌ(オドレイ・トトゥ)と別れたあと、どうしても涙が止まらなくなってしまった。その様子を見ていた、如何にも軽薄な態度の医師ジャン・ミッシェル(グザヴィエ・ド・ギユボン)とその新妻アンヌ・ソフィ(ジュディット・ゴドレーシュ)に、困ったことがあったらいつでも連絡してくれ、と名刺を手渡されたけれど、もちろん連絡をするつもりなどなかった――本当は。
 ところが、母に紹介されたアパートが気楽に過ごすという表現からはほど遠い状況で、僕は早々に立ち退いた方が無難だ、と判断するよりほかなかった。ジャン・ミッシェルの部屋のソファに寝起きさせてもらいながらアパート探しを始めたけれど、何のツテもコネもない不動産探しは想像を絶して難しい。結局、当面はジャン・ミッシェルのアパートから大学に通うことになった。
 標準スペイン語=カスティーリャではなくバルセロナ特有の言語カタロニアでの講義に戸惑いながら、同性は無論異性にもイザベル(セシル・ド・フランス)という気の置けない友人が出来た頃、ようやくこれというアパートに巡りあった。そこは既に五人の学生が身を寄せ合って暮らし、家賃を折半している一室。面接に訪れた僕は、その垣根というものがない独特の雰囲気、思わぬタイミングで勃発する口論に、まるで昔からここで暮らしているような感覚を抱いた。熱意が認められて、間もなく合格の連絡が届き、僕は晴れて“スパニッシュ・アパートメント”――奇しくもフランス語のスラングに言う“ごたまぜ”の住人となった。
 その名の通り、アパートでの生活は混沌としていた。冷蔵庫のなかはそれぞれ固有の棚が用意されていて、ときどき眼鏡が冷やされていたりする。電話台の横には各国の言葉で断りの台詞が用意してあって、受けた人間が使えない言葉が聞こえてきた場合はその中から適当に選んで話す。イギリス人のウェンディ(ケリー・ライリー)はたまたま受けた僕の母からの電話に出た“ラ・ファク”(大学の略)という言葉を盛んに気にしているようだったけれど……
 間もなく、僕たちの暮らしに大きな問題が生じた。学生の溜まり場になった部屋の現状に苛立った大家が新しい店子を入れると言いだし、仲介に立った僕に向かって家賃の賃上げを条件に譲歩したのだ。もうひとり同居人を増やさなくちゃならない、となったとき、僕の脳裏にまず浮かんだのはイザベルの顔だった。
 女の子たちの評価は微妙だったけれど、男達の賛成多数でイザベルは無事アパートの仲間入りを果たす。音楽の好みも僕と近くていい気分だった僕はしかし、間もなく意外な事実を知らされる。
 ……彼女、実はレズビアンだった。

[感想]
 フランス語、カスティーリャ、カタロニア、ドイツ語、英語……こんなに沢山の言語を一度に聴ける映画は初めて見たように思います。ていうかスペイン語って二種類あったんだ。
 最初に疑問を呈しておくと、これだけ多様な言葉を用いているのに、字幕で特に区別していないのはちょっと困る。一見、そのほうが解り易そうだし、実際観る字幕はひとつなので楽なのだが、例えばそれ以前はフランス語で話していたのが一転して英語になったり、会話の直前に「スペイン語で話す?」と確認を取ったり、という面白みが、一元化された字幕のためにかなり緩和されてしまった。言語によって字幕の色を変えるとか、書体を(通話相手の台詞を斜体にするように)変えるといった工夫がひとつ欲しかった。
 言語の混乱自体が示すように、作品は冒頭から未整理のままにエピソードが繰り出されている印象がある。一年間のモラトリアムが終わったあと、素っ裸でディスプレイの前に座りキーボードを叩く主人公の姿から、パッチワークのような独特のヴィジュアルによるオープニングに突入したかと思うと、何の説明もないまま就職活動の前哨戦に突入した様子が、早送りを多用した異常なくらいにスピーディな映像で描かれる。この混乱っぷりはスペイン上陸後も続き、観ている方もかなりこんがらがっているのだが、それが突然安定する瞬間が、実はアパートでの同居が決まったあたりなのだ。その頃になると観客のほうも独特のテンポに慣れてくる、という事実もあるのだろうが、より雑然とした状況に投げ込まれてようやくペースを掴んでくる、という呼吸の妙が面白い。
『スターウォーズ episodeII』、『ヴィドック』などで使われているHD24pカメラを駆使し、画面上に別の映像を重ねたり、早送りをしたりというスタイリッシュな映像演出を施してリズミカルに、しかしランダムに描かれる出来事は、けっきょく最後まで一本の筋に纏まることはない。だがその無秩序、青臭いまでの無軌道っぷりが、変にストーリーで彩られるよりもずっとリアルで、身近なものに感じられる。あれだけ多くの人種・国籍の人々に囲まれての留学生活など普通に体験できるものではないだろうが、それがごくありがちの光景に見えるのだ。
 それは、多くの言語と生活様式というモチーフによって、誰にでもあり得るトラブルを高い密度で、なおかつコミカルに代弁させているからだろう。粗筋では描ききれなかったが、恋人との別れとかいきなり現れた我が子とか迷惑極まりない隣人とか、主人公以外の人物にそうした要素を詰め込むことで、ありがちな事件が一年以内に続発する不自然を和らげるとともに、その滑稽さを助長しているわけだ。
 一方で、それぞれのお国柄や生活様式をきっちり笑いのネタに盛り込んでいることも見逃せない。標準スペイン語とカタロニア語を巡る問題をはじめ、言葉の違いから生まれる妙なすれ違い、コミュニケーションの混乱……考えられるトラブルをあますところなく盛り込んでいて、ストーリーの一貫性がないにも拘わらず終始飽きさせない。
 ラストは若干説明不足ながら、変に書き込みを濃密にするよりも、それまでの軽さをいい形で昇華していて、実に爽やかだ。バルセロナでの出来事は決して主人公にとって望ましいものではなかったはずなのに、悲壮感をほとんど感じさせない、前向きな雰囲気が実にいい。
 視点は驚くほどオリジナリティに溢れているのに、総体としては普遍的な青春映画に見えてしまう、それでいてヨーロッパ社会を生々しく活写することに成功した不思議な作品。より理解を深めるためにはスペイン・バルセロナという土地柄に加え、登場人物たちの出身国についての知識を備えている必要があると思うが、虚心で観ても充分楽しめるし、彼らの混乱ぶりには共感を覚えること請け合いです。
 ……ただね、そこまで多様性を理解したんだったら、仮面社会人として生活しながら、裏では物書きを目指して……みたいな生き方も選択肢にあったと思うんだが、ま、そういう「暴走」っぷりも若さの特権なのです。

(2004/04/03)


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