cinema / 『バニラ・スカイ』

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バニラ・スカイ
アレハンドロ・アメナーバル監督の映画『オープン・ユア・アイズ』に基づく / 製作:トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー、キャメロン・クロウ / 監督・脚本:キャメロン・クロウ / 作曲:ナンシー・ウィルソン / 主題歌:ポール・マッカートニー / 出演:トム・クルーズ、ペネロペ・クルス、カート・ラッセル、ジェイソン・リー、ノア・テイラー、キャメロン・ディアス / 配給:UIP
2001年12月22日日本公開
2002年07月26日DVD日本版発売 [amazon]
2004年05月28日DVD最新版発売 [amazon]
公式ホームページ : http://www.uipjapan.com/vanillasky/

[粗筋]
 デイヴィッド・エイムス(トム・クルーズ)。雑誌三誌を抱える大手出版社の重役。富と美貌とを兼ね備え、人生を謳歌している――ように、見えた。亡き父親から株式の51%を譲られたというだけで経営権を得た無能な若造と捉える役員達から軽んじられ、友人である作家ブライアン・シェルビー(ジェイソン・リー)に対して「時々一緒に寝る友達」と評したジュリー・ジアーニ(キャメロン・ディアス)はデイヴィッドに独占欲を抱き始めている。そんな矢先、デイヴィッドの誕生日を祝う席上で、彼はひとりの女性と出会う。ブライアンが図書館で出逢い誘い出したという彼女の名前は、ソフィア・セラノ(ペネロペ・クルス)。だが、ソフィアとの出逢いこそ、果てしなく繰り返される悪夢の発端だったとは、この時のデイヴィッドに知る由もない……

[感想]
 流石にネタバレは望ましくない作品内容故、粗筋はいつにも増して省略しております。
 新人や海外・インディーズからの名作発掘に熱心なトム・クルーズが、1997年にスペインで製作された『オープン・ユア・アイズ』という作品に注目、リメイク権を獲得して製作したのが本編である。一筋縄でいかず、予想もつかない結末を迎える作品ということで、様々な話題性を別にしても公開以前から注目していた。さて、結果はと言うと。
 所謂意外な結末は、だが正直予想がついた。しかし、冒頭から欠かさず伏線を張り巡らし、そこへ向かう必然的な空気を醸成している細やかさには頭が下がる。絡繰りに関わるため詳述できないのが悔しいが、こと、BGMすら素材として機能しているあたりには感心した。
 今回、敢えてオリジナルは観ずに出かけたため、果たしてこれが『バニラ・スカイ』独自の要素なのかは不明だが、本編を特徴づけている最大のポイントは、ひたすらポップな作品作りと言えるだろう。本来、極めてダーティな心理描写に終始しても仕方のない物語なのに暗さがないのは、多くの色彩を流し込んだ画面をポップ・ロック・ヒップホップと明るめでダウナーに導かない歌もの中心のサウンドトラックを背景にリズミカルに切り替えていく演出方法に寄っている。そのこと自体が実は作品の仕掛けと共鳴しており、一筋縄ではいかない世界観を比較的受け入れやすいものに仕立て上げている。前述の通りオリジナルに関する知識を私は欠いているが、この演出への姿勢自体がどこかハリウッド的であり、この点において物語を敢えてハリウッドにて映像化した意義を確かに感じた。
 とりわけ、楽曲の挿入する位置に独特の感覚がある。普通ならば暗めの曲を持って来るであろうところへ躁状態の曲を、スローなメロディの方が似つかわしい場面で敢えてアップテンポのものを取り入れる、といった具合。下手をすると緩急を損なうところだが、物語として必要な沈黙を挟むことで補っている――というよりも、これも作品全体のカラーを暗くしないための策と考えてもいいだろう。兎に角、行き届いた組み立てが、危うくすればただの不条理ものとなりかねない筋をエンタテインメントの位置に押しやっているのだ。
 先程「ハリウッド的」という形容をしたが、しかしひとつひとつの演出を見るとそういう単純な腑分けも、実はし辛い。既成のポップスをはじめとする歌ものをBGMとして多用する手法は、ハリウッドと言うより寧ろイギリス若手の演出家がよく用いるものだし、善悪・現実と夢の境を見失うようなストーリーは(たとえ原作通りと言っても)ハリウッドの主流とは言い難い。そもそも具体性よりも世界の構築のために伏線を鏤める、という考え方自体が若干ハリウッドの定石と異なるのだ。が、それらをハリウッドの寵児たるトム・クルーズと職人的な資質を備えたキャメロン・クロウ監督が手掛けることによって、いい形でハリウッドナイズされたからこそ生まれた秀作であろう。原作の質と価値を別にしても、意義のある仕上がりではなかろうか。
 すれたミステリ読み・SF読みにしてみれば、結末にもう一ひねりあっても良かったんじゃないかという微かな不満も生じるだろうが、それでも見る価値は充分にあるはず。というわけで、この年末お薦めの一本と断じましょう。

 最後に役者についても触れておく。製作も兼ねたトム・クルーズに、オリジナルにも登場しこの作品によって彼と結ばれた(らしい)ペネロペ・クルス、最近やっったらお目にかかるキャメロン・ディアスという魅力溢れる主演陣を、カート・ラッセルにノア・テイラーなど味のある脇が支える、という役者構成は定番だがそれ故に全体の安心感にも繋がっている。公開時にトム・クルーズとペネロペ・クルスの恋愛が話題となったために、作品の中でもこのふたりの関係やラブシーンに注目してしまう(してしまった)向きも多いだろうが、個人的にはキャメロン・ディアスの方が作品的にも演技的にも重要な位置にいたのでは、と感じた。そして、そういうある意味では損な、しかし実際に必要不可欠な位置にきっちりと収まってみせた彼女の演技力に唸らされる。それより何より、なるべくなら役者の私生活は忘れて映画を観ましょう。――いや、考える必要がなくなるほどでなければいい作品とは言えないのかも知れないが。

 そしてひとつ余談。本編は贅沢にも、ポール・マッカートニーが同題のテーマソングを書き下ろしている。それに合わせたのか、或いは当て込んでか、さもなくば単に適当な例が他になかったのか、兎に角作中で次のような会話が登場するのだ。
 精神分析医であるマッケイブ(カート・ラッセル)が、デイヴィッドと対話している最中に、話の流れである男の話をした。一匹狼と呼ばれ孤高を貫いてきたその男は40にして結婚、二女をもうけると彼女達との対話が生き甲斐となってしまったという。マッケイブはこう言う、「曲の好みも、ジョンからポールに変わってしまった」デイヴィッドはこう応える「僕ははじめからジョージだ」――合掌(されて嬉しいかどうかは知らないが)。

(2001/12/22・2004/06/18追記)


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