T.附島保育園ってどんな所?
 お子さんが保育園に入園されるという事はそのお子さんにとっては無論の事、お母さんの子育てにとっても大きな節目となります。お子さんは入園式の翌日からさっそく見知らぬ所へ、独りぼっちで行かなければなりません。お母さんも心配と不安でいっぱいの心を隠し、「いってらっしゃい!」と大きな声でお子さんを送り出されることでしょう。 保育園はどんな所なのでしょうか・・?
 その答えを一言でいうならば「保育園はその子供の家庭生活そのものである」と言うことが出来ます。子供は自分の家では心から信頼しているお母さんの愛情に見守られ、その事実によって活きいきと自分自身の生活を送っています。保育園に於いても家庭同様その子供の確かな生活を保証する場でなければなりません。人園当初のお子さんには、一刻も早くこの保育園が、その子にとって自分の家となるよう職員一同がんばって参ります。そして、ここ附島保育園が既に自分の家となり、活きいきと生活している子供には、将来大人となり一人の人間として力強く、豊かに自分の人生を送るために、「今」、「この時」の大切さを認識し、子供の限りない可能性を見守りながら、ともに生活して参ります。そして何よりも一人ひとりの子供と同様に、私達自身も活きいきと生活する所なのです。


U.私達が考える子供の生活
(1)私達は子供が生活するという事にこだわります。
(2)私達は自由にこだわります。
(3)私達は自主性、主体性にこだわります。
(4)私達は創造性にこだわります。

 私達の保育観をお話するためにどうしても紹介したい人がいます。その人の名は、「フリードリッヒ・フレーベル」と言います。彼は今から200年ほど前、1782年ドイツの片田舎に生まれました。彼はその生涯を子供の教育に捧げました。そして後年1840年には世界で初めて幼稚園(キンダーガーテン)を創設しました。
 フレーベルが世界で初めてキンダーガーテン(子どもの園)を開設したその背景には当時の幼児保護施設(幼稚園の前身)の現状がありました。そこでは何かしたい、何だろう、という子どもから発せられる欲求は無視され、「大人が何か子どもにさせる、何かをさせなければ子どもは育たない、何かしてやらなければ子どもは良くならない」この様な考え方が大勢を占め、子どもはまったく無知で、大人の指導がなくては右も左も判らないという認識が大部分でした。
 まさに当時の状況は現在の状況と同じではないでしようか?「3歳からでは遅すぎる」このキャッチフレーズに代表されるように乳幼児期の早期教育が注目され、それが商業ベースにも乗って異常な形で強調されています。次から次へと聞き慣れない指導法、あるいは教育機器が紹介されています。「指導」の名のもとに大人が子どもに指図し、やらせる現状。「〜遊び」の名のもとに子どもの側からの欲求とはまったく無関係に文字や数を押し付ける教育。そして肝心の子供達が大人に振り回されて、自分というものがなくなってはいないでしょうか?
 フレーベルが行った批判は、今の子供達をとりまく現状に対する批判そのものなのです。そしてそれは私達保育に携わっている者全てに対する批判でもあるのです。