退院までの日々


動けるようになってからは、もう毎日が退屈の日々であった。
2週間の入院期間であったが、初めの1週間は手術をはさんでいるので、それなりに時間がすごせた(潰せた)しかし2週目は体の自由が利くので、ほとんどベッドに居なかった(というより、病室に居られなかった。理由は前出。)かといって、行動範囲は限られている。最後は院内図書室にいるか、デイルームで本を読んでいるかだった。たまに外へ出ては一方的にメールを送る。夕方には主人へ電話。
身内と会社にしか入院のことは言っていないので、もちろん見舞い客もなし。それはそれでよかったのだが、ないとこんなに退屈なものかとわがままに思ってしまう。たまに見舞いに来る母のなんと待ち遠しいことか・・・。

入院から一緒だった、別室の患者さんと散歩?の途中何度もすれ違う。彼女は子宮筋腫でわたしの後に手術を受けたらしい。開腹で筋腫を摘出したとのことだが、子宮はムリを言って残してもらったらしい。
ウチの母の情報によると、どうも彼女も子供がいないらしく、背の高いご主人とお母さんが手術に付き添っていたという。自分の娘が手術を受けているというのに何を観察しているんだ、ウチの母は!(ちなみにウチの主人は私より背が低い。私も本人も気にしていないのに何故かウチの母だけ気にしている。なんでだろう・・・)
その彼女がデイルームでお母さん(実母?)と話している会話が聞こえてきた。食生活のことや、生活リズム、おまけに寒くなってくるので体を冷やすな等を話しているようだ。そういえばウチの母も見舞いのたびに同じことを言っていた。どこの親も心配する内容は同じなんだな・・・。

<2004年10月31日(日) 退院の日>

術後の経過もよく、予定通り2週間で退院の運びとなった。
市立病院なので空き待ちの患者さんが多く、何もない限り当初の予定通りに進んでいくということを前回の入院の時に聞いた。初めは2週間で退院?と思ったものだが、いまでは2週間でよかったと思う。
日曜退院なので、金曜夕方に書類等を受付にまわし、土・日のどちらかで。救急窓口で支払いをするようにとのことだったが、日曜朝に支払いを済ませた。
患者サイトでお腹周りのゆるい服のほうがいいと書いてあったので、2度目の入院はワンピースを着て来ていた。確かに帰りはとても楽だった。

主人が休みだったので、迎えに来てもらい一緒に帰宅する。荷物を持ってもらったのだが、それでも主人の方が歩くのが早い。ちょっと待ってよお〜そんなに早く歩けないよお〜。

2週間ぶりの我が家。こんどはさすがに色々なものがたまっていたが、主人にしては片付いている方かな?と思いながら少しずつ片付けていく。もう入院はゴメンだな・・・と思った。