今後の活動についての話し合い記録(2006年5月28日 場所:東京都杉並区 井草教会)

開催日:2006年5月28日 16時~18時
場所:日本基督教団井草教会
出席者:小柳義夫、木原諄二、久米あつみ、浜辺達男、古谷圭一 (兵頭圭介(遅刻))
開会祈祷:浜辺
市川さんからメール。次回は出席とのこと。
青木先生(入院中→その後ご退院)から葉書。 この運動を後世に残すことを考えて欲しいと要請があった。
大学キリスト者の会の歴史をまとめ、出版したいという意図で話し合いを行った。
*青木先生は50年代からすでに会史をまとめる必要を唱え、構想ももっておられるので相談する。
*年表は小柳が既に制作した物を古谷が補完する。資料となる文章は「学生キリスト者」「大学キリスト者」「開拓者」などから引用する。
*出版の目的 我々自身の資料か もっと広い対象か。
久米:大学キリスト者の運動とその時代、という一つの証言としてまとめる(あとから考えたこと)
      *ターゲットは? 全国の大学キリスト者か(OB含む) (現職の)神学者、牧師か、若い世代か、絞って検討する。
英語版はどうか。 その場合、年表は載せられない。
「大学キリスト者の会編集」にすれば  キリスト教主義大学図書館には入れてもらえるのではないか。
ダビンチコードやユダの福音書に関して意見交換
YMCA関連の動向について情報交換
日本のプロテスタントのあり方
浜、古、木:全体としての方向性がない 各個バラバラ
木:この会から何を得たかをメッセージとして出す。 座談会形式もよい
意見を開陳する場があるのだから各自でターゲットを考えてメッセージを発信すべき
昨年の小柳氏主催の進化論をめぐるメール討論なども 自然科学者の立場からキリスト教とどうかかわるかという視点からメッセージになる
ユダの福音書やダビンチコードについて 
木(木原):学生時代「福音書にはユダのことを悪く書きすぎでは・・・」と発言したことがある。
  ユダはキリストの命を受けて自分の使命を遂行したとも言える。
久(久米):ユダはたしかに裏切り者として、他の弟子達もそうではないか。
?:神の計画と、人間のかかわりと両面がある。
浜(浜辺):バルトもユダについては「裏切り」とは言ってない。「私自身」と言う。
古(古谷):日本では「キリシタンは謎めいた存在」という考えがある 禅は合理主義か?
久:禅の道場ではとにかく何も考えずただ「座る」のだと、森本和夫氏が言っていた。
浜:丸山真男はキリスト教にあこがれていた部分がある。ただし60年安保まで。
木:朝日ジャーナルの記事で丸山真男が「市民の常識」で運動をしなければ、と発言したら。黒田寛一が「それは権力の首を真綿で絞めることか」と言った
浜:1957年頃には丸山真男の論文集に「革命の実現に必要なのは主体の確立である」というくだりがある。
木:手島さんとのメールで述べたが、愛国者の教師が敗戦と同時に共産主義者に「転向」したり、「民主的」な学級活動の中で「抑圧的な」「校則」ができる課程を見ていると、社会の主体性のなさに起因するのではないか。
古:執筆者に森野、本郷、中川、塩月、藤森、後藤などが考えられる。自分で大学キリスト者だという自覚のある人がまだたくさんいるはず
浜:YMCA同盟の中では主体性のなさを強く感じた。
久:今の若い人はどうか
木:違いがあるから我々がまだがんばっている
小:ある程度自己満足になっても仕方がないのでは?
木:今の若い者は「自分が社会でボコボコになる」という意識がない。共通一次試験の監督をしていると、「きっと助けてもらえる」という考えをもっているようだ。
久:今の子は「知らない大人を信じるな」と育てられているのだが?
木:「自分はひどい目にあうはずがない」という概念がある
浜:テートの著書を読んでいるが、ヒトラーはドイツ近代化にとって有益だったかどうかという議論がある。階級を取り払ったことなどのプラスはあるが、女性問題や幹部の専横などのマイナスをあわせてみると、形だけの近代化で中身はだめだったという結論である。
戦後日本50年の総括は?
木:政治・外交・経済の面から言えば、占領政策の完結では?一言で言えばアメリカ化
浜:それと今の子どもたちの状況とつながるものがないか?
木:日本の高校生は靖国問題についても「人の心の問題を外国が言うのはおかしい」という意見を言うようになった。
古:若い年代での朝日の購読数が減っている。朝日はだめ。
小:読売・産経が朝日より優れているとは思わないが・・
古:戦後のある時期は古い考え方を「封建的」と言った。今まで言われていた「近代化」は果たして「近代化」だったのかという問いがある。特に70年代以降はそう。
浜:丸山真男の「近代化」とは意味がないのか?
古:時代の中でどのような役割を果たしたかということを解説するだけでも意味があるのでは?
古:若い世代は我々よりも楽観的見通しが少ないのでは?
木:歴史にこだわるのは陰謀史観、という思考になってしまう。
古:歴史よりも場が大切なのでは?
久:リクールは著書『記憶・歴史・忘却』の中でも、時間と場の両方を重視している
木:時間はグローバルではない
小:世代論に翻訳すると、浜辺世代・小柳世代でもギャップがある。
浜:50代の人でも「戦争のことはまったく聞いたことがなかった」という発言がある
小:住んでいた地域でも違うのでは?湘南地域では戦争の跡などを見る機会はなかったのでは?
久:今の人は別な意味での不安を持っているのでは?
小:戦争体験と近代化は結びついているのか?
浜、古:敗戦体験が大きなトラウマになっている。「『近代化』しなかったから負けた、『近代化』のモデルはアメリカだ」というスキームだった。
小:中川さんなどの先輩たちもそのスキームにとらわれたのでは?
古:それは確かで、その「近代化」に批判をしたのは紛争世代。
木:「マックスウェーバーに対する誤解」は「旧世代の過ち」だった
古:隅谷氏も「日本の近代化とキリスト教」で『近代化幻想』にとらわれている
木:学問のみに集中することへの批判が知のモラル。これは新世代との闘争テーマ。
  旧世代への闘争としては「近代化」の捉えなおし。主体性の問題とからめて。
  とりあえず過去の雑誌に掲載された記事をまとめるのはどうか。
浜:東神大の紛争が日本基督教団に与えた影響もふりかえるべき?

結論
小:本を作るとしたらどのようなスタンスにするか
浜:運動の総括としては「何でもよし」ではだめ
木:歴史的に言えば、我々が松村委員長の下で運営を任せられてからのことを「先代」への批判もこめて記載すべきだ。
浜:ドイツではユダヤ人迫害のモニュメントを作るのに19年かかった。日本では?
古:日本には罪責感がない。それに対して日本のキリスト教界は「罪」を主張してない。
久:次回の予定
7月11日か18日を候補にする。本作りとなると市川さんには是非出てほしいので、彼の都合を訊く。
兵頭:本田さんから四谷の同盟を使って会議をしてはどうかという提案が以前からあった。
日時と場所、決定したら、メールで回す。浜辺さんには兵頭が連絡

閉会祈祷(各自黙祷)
以上