「いくら寄り道好きなエルダリオン様でも、そろそろ北に到着しているはずです。殿下に一任しても宜しいでしょうか?」
突然の話題に驚いたのは王のほうだ。

「よろしいですかって・・・。・・・いいのかファラミア?」
眼を見開いてファラミアを見上げ、また書類に目を戻すことを繰り返す。
その様子は、いつかとは違う種の子供だった。
「何がですか。」
いつも通り一見冷たくそっけない返事を返す。
だがそんな王の姿が見れたことだけでも、ファラミアにとっては仕事をした甲斐があったというものだった。
王はファラミアを見上げたまま嬉しそうに口を歪め、わずかに俯いた。
今の気持ちを噛み締めるように声を潜めて、だがはっきりと聞き取れる口調で告げる。


「有難うファラミア」
「・・・だから、何がですか。」
自分の言葉の中にどこか照れ隠しがあることにに気付いて、ファラミアは苦笑して王を見た。
王も顔に笑みを乗せて執政を見上げた。その眼には感謝と信頼の色が見て取れる。

「王よ。執務を続けてくださいませ。・・・いつも通りに」
ファラミアはそう言って微笑った。その顔には年相応の皺が刻まれている。


つい五日前のことだった。











石牢の王 〜笑い〜










執政家の霊廟には先代の遺体が安置されていない。
エルボロンは祖父の顔も、瓜二つだと言われてきた伯父の顔も実際に見ることなく育った。幼い頃、古ぼけた肖像画を何枚か見たことがある。しかしどんなに精巧な画家の手によるものでも、油で描かれたそれらに好感をもてたことは一度も無かった。物心ついてからは、自分の意思でそれらと向き合うことはなくなった。


彼は重く甘い香油の匂いが充満している霊廟で、一つの棺の前に立っていた。
山から切り出した石で作ったそれは比較的新しく、棺蓋にはこの国の印が彫られている。古の、もはや伝説としていい歴史をもつ木のモチーフは彼の目にも慣れ親しんだもので、その線を指でなぞれば勇気がわいた。

一週間後には忌明けとなり、彼の父はこの冷たい石の上に身を横たえるのだ。
この今の続く限り、永遠に。




「エルボロン」
突然声をかけられて肩を揺らしながら、エルボロンはさりげなく目元を拭った。
笑顔で後ろを振り返る。
そこには、王妃によく似た男が立っていた。
エルダリオンである。
彼は形のいい頭に白の木の意匠の銀冠をはめ、流れるような布地の喪服を着こんでこちらを心配そうに見つめている。
先ほど都に到着したばかりなのだろう。その顔には多少の疲れが見えた。
エルボロンは幼馴染の顔を久方ぶりに見たことを純粋に顔に乗せ、しかし王太子たる彼に優雅な礼をした。

「これは、殿下。ご挨拶にも参らずとんだご無礼を・・・」
「そんな肩ッ苦しい儀礼はどうだっていい。・・・その、・・・大丈夫か?」
言って小さく小首を傾げ、まるで子猫を相手にするような慎重さでこちらを気遣い近づいてくる。
エルボロンは以前と変わらない様子の太子に笑いかけた。

「ええ。もう落ち着きました。別に悲しみに暮れてここにいるわけではないのですよ」
「・・・じゃあ何やってるんだ?」
聞いていいものかどうか迷っている様子で問いかけられ、エルボロンは少し呆れ顔で出口へ歩を進めた。
それに少し遅れる形でエルダリオンが続く。

「いやね、父はこの上なく果報者だったなァと思いまして」
意地の悪い顔で呟くと、エルダリオンは顔つきを不機嫌なものに変えて大きく頷いた。
「ほんとになっ!父上の執政ってだけで充分じゃないかと私は思うのだがな!そのうえ最後を看取ってもらうなど、一体ドコまで望めば気が済むのだお前の親父は!」
「ええ、本当にその通りです。息子の身ですが謝罪させていただきます殿下。ウチの父親は身の程知らずです。」
「そうだ!その通りだともさ!・・・私は、あいつと約束したんだ!」
「?」
「・・・今度会うときは、エレスサール王の世継ぎに相応しい男になるってな。まぁアイツも期待なんかしてなかったと思うけど。・・・でも、・・・約束したんだよ」
エルダリオンの言葉に、エルボロンはニッコリと微笑んで頷いた。
「はい。父は無礼にも貴方との約束を反故にしました。どうかお許しください。」
その何もかも見透かしたような態度に、エルダリオンは顔を真っ赤にした。
昔からエルボロンは、何故か王太子よりもよほどエルフらしい振舞いをするところがあり、このときもその仕草と対応がエルフのようで、それがエルダリオンにとってはとても納得いかないことだった。

「私は許さないからな!・・・・・・・・・あのさ。実は、まだ父上にお会いしてないんだ・・・」
「え!?」
エルダリオンの言葉にエルボロンは心底驚いて体ごと振り返った。
エルダリオンはエルボロンのすぐ後ろについていたので彼の肩に激突してしまい、小さく呻いて自分の肩を抑えながら泣きそうな顔をする。
痛がっている様子は歯牙にもかけず、エルボロンは信じられないものを見る目で太子を見下ろし、口を開いた。

「貴方が!?あの陛下大好きな貴方がまだ謁見もしていないのですか!?・・・熱でもあるのですか!」
「うぅ・・・。予想できてたけど何なんだその反応・・・」
「だって、貴方が生まれてからの62年間一度も、・・・考えもしなかったことですよ!?」
「まだまだ若いなエルボロン・・・。」
「意味が分かりません。なれば、今からでも王にご挨拶を。・・・王にお会いもせず私などの元へ来るなど、一体何を考えておられるのか・・・」
「・・・心配だったんだよ・・・」
力なく呟くエルダリオン。
こういうところが王太子のとてもいい所だと、国中の誰もが思っているだろう。
だがエルボロンは据わった目で俯くエルダリオンを見下ろし、低い声で言い放った。

「ウソおっしゃい。貴方は王が父のことで落ち込んでいる様をもう見たくないだけです」
「・・・・・・。」
エルダリオンは微妙にエルボロンから目を反らし、あさっての方向を見る。
(・・・王妃も貴方も考えすぎです)
エルボロンはやはり呆れたような感想を抱き、眉をハの字に下げ、再び出口に向かって歩き出した。

「子供のような言い訳はその年でなさるものではありません。さて、王はこの国葬の中心におられます。王妃や姫君方も同様です。貴方だけがぼんやりしていていい状態ではないのですよ」
「エルボロン。お前だってそうだろうが」
「はいそうですね。いつまでもバラヒア一人を置いておくわけにもいけませんし、私もそろそろ表に参りましょう」
意趣返しとばかりに悪態をつくと、エルボロンは父親によく似た笑みを浮かべて、霊廟の扉に手をかけた。エルダリオンは差し込む強い光を手で遮りながら呟いた。

「お前って、笑うとファラミアそっくりだよ」

それは多少の嫌味も含まれていたが、心からの賛辞でもあった。




 + + + + 



冷たい風が吹きすさぶ、エクセリオンの塔裏の広場に、葬送の列は作られている。
そこは山を削って建築されたミナスティリスの、夏には緑豊かな草花が咲き誇り、冬には草原が衣替えする様を見渡せる場所となる。広場は中心が僅かに盛り上がった形の丘になっていて、その稜部には石の台を中心に柱がサークル状に建てられていた。国葬の間は、その石台に死者が横たえられるのだ。執政家の葬儀はここで行われるが慣わしだった。


その広場への一番の近道は、城内を突っ切ることだった。
当然ながら執政と王太子の二人を咎める者はこの場にいない。それでも二人はどこか隠れるような仕草で玉座の間に入り、そこを通ろうとしたとき、

「お帰りなさいエルダリオン」
いきなり声をかけられた。

驚いて声のした方を振り返ると、執政の椅子の傍に一つの影が見えた。エルダリオンは思わず顔を強張らせる。隣のエルボロンは無言で礼をとり、頭を下げた。
それに合わせて影、王妃アルウェンも僅かに目礼を返す。その美しい顔は今や黒のベールに覆われているが、瞳の輝きは失われずにそこにあった。

「エルボロン。バラヒアがお一人で不安げな面持ちですよ。早く行って差し上げなさい」
「はい。わざわざ申し訳ありませぬ王妃。では失礼します」
「・・・・・・。」
エルボロンはもう一度王妃に向かって礼をすると、エルダリオンを見ることなく行ってしまった。
残されたエルダリオンは少し気まずげに母親を窺う。

「・・・あの・・・」
「エルダリオン」
上目遣いでそろりと顔を仰ぐと、アルウェンは一瞬強い眼差しをエルダリオンに向けて近づいてくる。
「・・・はい」
エルダリオンが小さな返事をかえす頃には、アルウェンはもう目の前に迫っている。彼はまた自分は王太子に相応しくないことをして、それで母は機嫌が悪いのだろうかと首を竦めた。
しかし彼女は、黒のベールを美しい指で掬い上げ、その顔を息子の前に晒した。


「お帰りなさい」
「・・・・・・。」
エルダリオンはここで、母親が、何かとても不安定な状態であることを悟った。
夜の星々を散りばめたような瞳がゆらゆらと揺れて、どこか覚束ない。赤い唇は引きつって悲しげに笑みを作るばかりだ。
もともとエルフの姫である母がこのようになることは極めて稀で、少なくともエルダリオンが見たのは初めてだった。
思わず彼女の頬を両手で包み、顔を覗き込む。

「一体・・・どうなさったのですか母上・・・」
エルフは、悲しみで死に至るというではないか。
しかし何故この状態で、母がこれほどまでに悲しんでいるのかが解らなかった。
アルウェンは、自分の顔を包む息子の手に指を添えて、どこか後ろめたそうな表情をする。

「?」
「・・・あの人は・・・私を置いていくつもりなのかもしれないわ」
誰のことを言っているのか、エルダリオンにはすぐにわかった。
解ったからこそ、アルウェンの考えに苦笑する。
まったく、そんなことはないというのに。


「母上。父上が愛を捧げるのは後にも先にも貴女一人です」
「しかし、わたくしは知っているのです。あの人がファラミアさまとなさった約束を。・・・ボロミアさまとの絆を。わたくしは、どうあっても人にはなれません。・・・あの人がエルフになれぬように。」
「母上。それは私も同じです」
息子の言葉に、アルウェンはハッと顔を上げた。
エルダリオンの瞳を覗き込むが、彼は意思の強い、星の光を宿して笑っている。
アルウェンはそれを、彼女の感覚でも遥か昔に感じられてしまう、あの時の、あの黄金の丘で見たように思った。
・・・最も大切な人の中に。

「母上。どうか忘れ給いますな。あの臆病な父上が傷つけてしまう唯一の存在が貴女なのです。しかしまた、父上が最後までこの世での美しさを誇る理由も、貴女の存在あってのことなのです。大丈夫。父上は貴女を待ちます。最後まで、貴女との約束の地で。貴女だけを待ち続けます」
息子の言葉に、アルウェンはその美しい瞳から涙を流した。
もしそれを石に出来るものならば、それは至高の宝となり得るだろうとエルダリオンは思った。

「・・・エルダリオン。貴方が予見の力を強く持つことを、わたくしは今まで悲しく思っていました。それは時に辛い事実しか写さぬことだからです。しかし、わたくしは、・・・このような時にわたくしは、貴方のその力に慰められています」
エルダリオンは何も言わずに母を抱きしめた。
死の香の匂いが鼻をついたが、これもあの執政のお小言と済ませることにする。
執政家には悪いが、この母が父を愛していることが、父がこの母を愛していることが、彼にはとても嬉しいことだったから。








 + + +




「ああエルダリオン、よく来てくれた。」


石台の横に佇んで、冷たい顔を見下ろしていた王は、息子の顔を見つけると微笑んだ。
周りには二人のほかに、誰もいない。
どうやら様々なことにひと段落着いたあとだったらしい。
父の笑顔に、エルダリオンも僅かな笑みを浮かべて会釈する。それが少し引きつっていることに、王は気付かないふりをした。

いつもなら走って父親に駆け寄るエルダリオンだが、この時はかなりの距離を保ったまま動こうとしない。その大きな目も忙しなく動きまわり、石台の上を映そうとするのだが、すぐに素通りしてしまう。
「・・・・・・。」
居心地悪そうに佇んでいる息子の様子に、王はエルフの性を見た気がして、しかしすぐにその考えを打ち消した。微笑んだまま石台に手をついて、穏やかに囁く。

「ファラミア、エルダリオンが来たぞ・・・。エルダリオン」
名前を呼ばれて、エルダリオンは肩を震わせた。
そろりと目で父を窺うと、彼は石台のすぐ隣でエルダリオンを待っている。エルダリオンは一度自分の足先を見てから、顔を上げてゆっくりとそこに近づいた。その足取りはまるで初めて見る獣に近づくようなものだったが、確実に歩は進んでいる。
まず隣の顔を窺うと、王は先と変わらない表情でこちらを見ている。
仕方なく、エルダリオンは石台に目をやった。


石台に横たえられているファラミアは、とても安らかな表情だった。
確かにヌメノールの血が濃いとは言われていたが、直系でもないのに百年以上を生きた宿老にはとても見えない。その髪はマークの草原のような黄金に見えたし、年輪の刻まれた皺も執政の貫禄を増すばかりで衰えとは取れなかった。エルダリオンは、ファラミアがまるで死して若返ったような印象を受けた。

「・・・・・・っ」
そして、確かに老いて死した執政の顔を見た瞬間、顔が一気に熱くなり、両目に涙が溢れてくる。
体が震え、何とか嗚咽を漏らすことは耐えたがボロボロと涙が頬を伝うことは止められない。
「エルダリオン」
やがて小さく鼻を鳴らし始めると、横にいる父が絹の布を差し出してくれた。
「・・・・・・。」
素直にそれを受け取って俯いてしまう。

それまで、彼の死を聞いたときすらこんなことにはならなかったのに、実際にその死に顔を見たらどうだ。涙が止まることなく溢れてくる。しかし自分の立場を考えて何とか涙を止めようとしていると、そっと頭を撫でられた。
驚いて顔を上げるとそこには父の微笑みがある。

「・・・・・・。」
「お前は優しい子だねエルダリオン」
「・・・っ父上・・っ」
そんなこと言われても、余計泣いてしまうだけなのに。
「そんなお前に新しい仕事があるんだよ」

にっこりと微笑みかけられ、しかしいきなりな言葉にエルダリオンは目を大きく見開く。
王はそんな息子の様子を気にせず懐から丸められた羊皮紙を取り出すと、優雅な仕草でそれを解いた。まだ新しいその紙をエルダリオンの側を正面にして広げ、一度ファラミアの方を振り返る。
横たわる彼の執政に笑いかけると、王はエルダリオンへ振り返り、威厳のある声で言った。


「エルダリオン。そなたをアルノール王国国主とし、かの地の再建と領有を命ず。」

「・・・・・・は?」
「これは余、エレスサール・テルコンタール並びにイシリアン領主、執政家当主ファラミア二世の千思万考に拠る。」
「・・・・・・・・・。」
開いた口がふさがらない。
あまりのことに呆然としていると、王は首を傾げて、小さく笑った。

「どうだ?」
「・・どぉ・・・って・・・・・」
何と言っていいのか解りかねてなおも呆然としていると、王は再びファラミアの顔を振り返った。
じっとその穏やかな顔を見つめて、そしてエルダリオンを見上げる。目が僅かに潤んでいた。


「エルダリオン。これがファラミアの最後の仕事だ」


「・・・・・っ・・」
言われて、エルダリオンはまた大量の涙が両目に溢れるのを感じ、そしてグッと拳を握った。


「父上!」
「・・・何かね」
「ファラミアの死に目に、間に合いませんでした!」
「・・・ああ」
「よりにも、よりにもよって、オホタールなんかに報を知らされました!約束したのです、ファラミアと!二年前に!私はしっかり父上を支えられるよう、偉大に、立派になると!しかし結局はアイツは私の面倒まで見て行きました!・・・今では礼の一つも言えません!凄く納得いきません!」
「エルダリオン、オホタールがまた悲しむぞ。それと、礼なら私が言っておいたよ」
「だから、納得いきません!私が自分で言いたかったのです!それが筋ってものでしょう!・・・二人してズルいです!」
「・・お前は、本当にいい子だね・・・」
「父上・・・」

名前を呼んで、エルダリオンは父親に抱きついた。
その肩口に顔を埋め、涙を王衣に吸い取らせる。王は当然ながらそのことは気にしなかった。強く、だが優しく抱きしめ返してその背をポンポンと叩いてやる。
エルダリオンがまだ幼い頃こうしてやると、大抵の場合そのまま眠ってしまうものだった。
王はそこまで考えて思わずにやりと笑ってしまう。息子の頭をトントンと叩いて、肩を震わせて囁いた。


「エルダリオン。次にファラミアに会ったら、あのすかし顔を二人で思いっきりぶん殴ってやろう。あいつの兄上様と同じくらいにな。」
初めて聞いたようなその声に、エルダリオンは驚いて顔を離した。
その反応に王は意地の悪そうな目つきで返す。
「何だ。私はあの一族にさんざヤキモキかけられたんだ。・・・まぁ、それはあっちも同じだろうが」
「・・・・・・・・・。」
目の前に、企み顔の父親がいる。
今更ながらにこんな顔をする人だったのか、と思ったと同時、彼は妙に納得してしまった。
(・・・そういえば・・・。)

そうか、ああ、そうだったのか。
なんだ。何を心配してたんだ自分は。これじゃあんなに悩んでた母上が可哀相だ。いいやそれだけじゃない。私だってかわいそうだ。ああ、エルボロンの奴が妙に落ち着いてたのは父上がこうだったからか。何て奴だあいつ。やっぱりあいつもご立派なフーリン家の一員だ。というか、父上もあんなに落ち込んでたのに吹っ切れたようですね。・・・あの約束は、貴方をも癒したのですね。
・・・それならあの老執政も、・・・許してやってもいいですよ。


エルダリオンは思わず破顔した。
そして穏やかに眠るファラミアの顔を眺め、同情した声を返す。


「父上。父上がそんな性格だから、ファラミアが胃薬飲まなくちゃならなかったんですよ。」




場違いな、しかし楽しそうな笑い声が、葬送の餞となった。
















これまた急ピッチの詰め込みすぎ展開…?
シメはエルダリオン中心で。
そしてウチの王様もともとこういう人です。
アルウェンとかはこのまま追補に続く感じですかね…?
・・・もう終わります。