〜わたしとさくちゃん〜
 動物にもそれぞれ性格、性質があると思います。
もしも、犬が飼い主を「家族」と思うとしたら、この「手乗り文鳥」は「恋人」と思うそうです。
1羽しかいなくて、「可哀想」と言われた事もありますが、ヒナの時から人間を親と思い育ってきた小鳥は仲間が増えても、受け入れるどころか、嫉妬やヤキモチで喧嘩になってしまう事が多いそうです。とってもテリトリー意識が強い、しいて言えば「わがまま」なのかもしれませんが、私には、その「わがまま」がとっても可愛く、この「文鳥」と言う小鳥を飼い続けています。

 「さく」がおうちに来たのは、1991年5月4日。ヒナの入っているケースから一番に私に向かって飛んで来たのが「さく」でした。もう飛べるほど大きく育っていた中ヒナの「さく」は、手乗りにするには手遅れかも。。と思いながらも、可愛がればきっと大丈夫だろうと、自分なりに一生懸命育てました。
 仕事が遅くなった時は、朝と夜、ほんの20分ずつぐらいしか、遊んであげられませんでしたが、気が付くと、「さく」はきちんと私を「飼い主」として覚えてくれてました。

 「さく」が4歳ぐらいの時から、母から、「あんたの足音が分かるみたいだよ。靴の音がすると鳴いて待ってるみたい。」と言われ、それはそのうちに「車の音」も聞き分けるくらいになってたらしいです。
きちんと「お迎え」もしてくれるの?凄いなぁ〜(^o^)//
こんな雀ぐらいの小鳥の頭の中に飼い主の姿だけで無く、「音」まで聞き分ける能力があるなんて!! 発見でした。

「さく」・7歳冬、私の結婚と同時に、「さく」もおうちを出ました。
母の「連れて行くの〜?」と言う寂しそうな顔を今でも覚えています。寂しいと思う気持ちも分かるけど、それよりも、もっと私が一緒に居たい気持ちが強かったし、何のためらいも無く、一緒にお嫁に行きました。(さくはお婿かな?)
知らない土地で過ごす毎日。そもそも私自身、一人でも大丈夫な部分があるのですが、それは「さく」がいたからかもしれません。買い物などでも出かける時、「お留守番だよ、さくちゃん」と言って出かけ、帰って来た時は「ただりん♪(ただいまのつもり)さくちゃん」と挨拶をしてました。

「さく」・9歳春・・・関東へ引越し。初めて乗る新幹線でも、騒ぐこと無く、とても良い子で、その頃から(きっと「さく」は私さえ居れば、どこでも安心してるのかなぁ)なんて、思いはじめました。
新しい土地には小鳥を診てもらえる有名な先生がいて、初めて「健康診断」を受けました。9歳には見えないくらい元気で褒められましたが、食事などは指導を受けました(^^;;;
人間の食べる物は与えてはいけないそうで、大好きなパンやご飯粒などはダメ!(>_<) 果物はOKなので、りんごやみかん、梨などを一緒に食べてました。

「さく」・10歳春。少しずつ異変が起き始めました。
何かに驚くように急に飛びまわり、壁にぶつかって呼吸困難になった時があって。。それから夏には、目の曇りが分かり。。進行の誤差はあるものの、両目とも白内障と診断されました。
とうとう、私の姿が見えなくなるのも近いのだと思いました。
10歳・秋、関西へ引越し。
新しい家にに戸惑ったのか、また急に飛び回り、壁にぶつかる事が起きました。そんなに体力が落ちてる様には思えなかったのですが、確実に視力は低下してる。出来るだけ、そばに居ようと決めました。

11歳を過ぎた頃から、止まり木から落ちるようになり、「下に降りる」ことに不自由になってきました。
止まり木や餌の場所を、あまり動かなくて済む場所に変えたりしたのですが、今までの慣れた場所の方が過ごしやすそうだったので、元に戻しました。
秋・北海道旅行〜人間に例えると100歳過ぎてる「さく」を、ペットショップや病院に預けるかどうか迷いました。色々調べると、自家用車&フェリーだと、連れて行ける事が分かり、一緒に旅行しました。引越しと旅行を合わせると、鹿児島から北海道まで行った事のある「さく」は、飼い鳥の中では、凄い移動距離を経験してるのではないか?と二人で話したものでした。

秋・寒くなる頃から、老化は目に見えて着々と進んでいました。
食欲はあるものの、寝てる時間が多くなり、1日の大半を、食事と寝る時間で過ごすことが多くなりました。それでも、私の気配が分かると、起きて手に乗ってきてくれました。
止まり木に下りる事やその場所から180°くるりと逆方向へ向く事もママならなくなって来ました。出来るだけ、気を配り、困ってる時は手を差し伸べるようにしました。

2003年、お正月、九州へ一緒に帰省。私のおばあちゃんの喜寿のお祝いもあり普段よりたくさん親戚が尋ねて来ました。叔母や従姉妹からは、「一緒に帰って来たね、さくちゃん元気だね」っとみんな言ってくれました。
結局、元気な姿を家族や親戚に見て貰えたのは、この時が最後になりました。。。

2003年1月16日(亡くなる前日)に、たまたま撮った写真が最後になりました。
さくちゃん。

>お別れ・・・・2003年1月17日、その日は突然やってきました。
朝、「きよ」を見送ったあと、(昨日、寒かったし、さくちゃんにホッカイロでも、あてておこう)と寝床を覗きました。
AM7:23・・・・そこには、眠ったまま冷たくなってる「さく」がいました。。
うそ・・・どうして・・・・・ごめんね・・・・ごめんね・・・・
そうゆう言葉しか思いつかず、気が付いたら冷たくなってる「さく」を必死に温めてました。本当に何の変わりも無く眠ったままの姿だったので、温めると生き返るんじゃないかとしきりに思ってました。手のひらに乗せて「起きて」「起きて」と言っても何の返事もありません。
「きよ」に泣きながら亡くなった事を告げ、弟に短いメールを送りました。まだ家にいる時間だったので、おばあちゃんに伝えてもらえるかなと思って。。自分ではとても話せる状態では無かったので・・・

「帰らなきゃ・・・・・」
ずっと前から、実家に埋葬する事は決めていたので、帰る為の交通手段を調べました。新幹線で帰る時間を調べて、「きよ」にも最後に「さく」に会わせたいし、会社の外に出られるか聞きました。返事は「一緒に帰ろう」と言う言葉でした。その日が金曜日だったのも、「さく」の親孝行だったのだろうと思います。
「きよ」は翌月曜まで休みを取ってくれました。時間が十分ある事が分かり、車でゆっくり帰る事にしました。私たちは、旅行や競馬場への遠征と同じように、「さく」を私の膝の上に乗せ最後の時を過ごしながら3人で帰りました。

 実家で過ごした7年間、日当たりの良い縁側が「さく」の場所でした。縁側から見えるお庭に埋葬の場所を決め、両親が仕事から帰るまで待ってました。
父の提案では、お庭は手入れのたびにお墓を踏んでしまうかもしれないので、おじいちゃんのお墓の中に入れて良いと言ってくれました。たまに里帰りする時に、おじいちゃんと一緒に墓参りも出来るだろうと。私だけじゃない、父も母もおばあちゃんも、みんな「さく」を可愛がってくれてたんだと思いました。
その日はもう遅かったので、翌日早い時間にお墓に行く事になり、あと1晩だけ「さく」と一緒に過ごしました。
埋葬の時は比較的冷静でいられました。「さく」が大好きだった、甘いみかんを2房とりんごを1切れ一緒に。。。
年に何度か、必ず戻るからね。またねっ。さくちゃん・・・・

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11歳9ヶ月で亡くなったさくちゃん。
文鳥の平均寿命が7〜8年と言われてる中、誰もが長寿をまっとうしたと思っているかもしれません。
でも、私はどうしてもそうは思えないでいます。前の日の晩、寒くて眠れず、(さくちゃん寒くないかなぁ・・)とふと思いました。どうしてその時、起きて確かめなかったんだろう、もっと保温し、管理してあげてればと、悔いて悔いて仕方がありません。看取ってあげられなかった事が悔しくてたまりません。
10年以上も一緒に暮らしてきたのに、最後の瞬間に一緒にいてあげられなくてごめんなさい。その頃、体調を崩してて寝込んでてごめんなさい。
母は、「さく」は私をあんまり悲しませない為に一人で逝ったのだろうと言います。
でも、私はどうしても手の中で眠らせてあげたかった。寒くて暗くて、どんなに私の手を捜していたかしれません。
寒かったね、さくちゃん。ごめんね、さくちゃん。

「さく」の声の無い生活。。一人ぼっちで何日も泣いて過ごしました。
私と過ごした12年近く・・さくちゃん、幸せだった?  幸せであったと思いたい。そう願うしかありませんでした。。
結局、寂しさ、悲しさは同じ小鳥で埋めるしか無く、また新しい小鳥をお迎えしました。
「さく」の小さい時と同じように、大きな口を開けてご飯を催促するヒナを見ると、可愛いくてたまらない。。。
きっとこの子達も、大切にしてくれるお迎えを待っている。愛される為に生まれてきているはずだから・・・
ちゃんと元気になるから、許してね、さくちゃん。どうか、どうか見守っていてね。
長い間、一緒に居てくれて本当にありがとう・・・ 可愛いさくちゃん。、ずっとずっと忘れないよ。

随分掛かりましたが、やっとさくちゃんのお部屋も整理する事が出来ました。
こちらを覗いて下さる方々、「さく」を可愛がって頂き、本当にありがとうございました。m(--)m

2003年4月

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