私は20才の時、突然の目の病気でほとんど視力を失いました。その時の恐怖といえば、気が動転し、訳もなく部屋の中をぐるぐると歩き回ったり、目の前に手をかざして、もう片手で、きちんと目が開いているかどうかを確かめ、瞼を思いっきり引っ張りあげても、やはり何も見えません。これは本当にもう、筆舌には尽し難いほどの恐怖です。
 白い杖や視覚障害者用の時計などを用意してもらっても、ありがたさよりも、激しい怒りに苛まれました。誰しもすぐにはこのような障害を受け入れることはできません。
 初めてその白杖(はくじょう)を持って外に出るにはかなり勇気がいりました。見えない中、この杖一本持ったことで、どうやって、歩けるようになるのか。また一部の人達は白杖を持って歩いている私を見て、異質なものを見るように、避けて通ったり、露骨な嫌がらせや軽蔑したような言葉を発せられることも少なくありませんでした。
 つい、この前まで、生活していた世界と見えなくなってからの世界では、こんなにも違うのかと思い知らされました。

 しかし、こんな辛い時、多くの方や友人が応援し、支えてくれました。『逆境こそ前進のチャンス、断じて負けたらあかん』と、自己を奮い立たせ、闘病のため、2年間休学していた高校にも、復学を決意し、6年かかりましたが、卒業することができました。
 その後、きっちりとした白杖歩行のやり方や点字・パソコンなどを習い、定職に就くこともできました。失明当時では想像もできないことでした。
 そして、一人暮らしもはじめ、日常生活上、ほとんどの問題がなくなりました。
 そんな時、妻との出会いがあり、周囲の誤解、決め付けから、差別的な見方もありましたが、積極的に話し合いをもつことで、それらも徐々に解消され、めでたく祝福され結婚し、現在3人の娘がいます。下二人は双子です。

 多胎児をおもちの方でしたらわかっていただけると思いますが、この大変さは想像をはるかに絶するものです。それに加え、日本では、公の制度として、多胎児養育家庭に対する、特別な支援措置は皆無に等しい状態です。今後の課題となる一つであることは間違いないでしょう。

 3人の娘を風呂に入れるのは私の日課です。ミルクを作って与えたり、おむつを換えたり、何でも妻と共同して行わなければ追いつきません。妻も私も毎日くたくたに疲れ果てていました。最近やっと少しずつ余裕が出てきました。
 双子が産まれる前にデジカメを購入しましたが、上の子もまだ小さかったので、写真を撮っているような状況ではありませんでした。そんな中、家族全員がそろって撮ったのは、この一枚のみです。6年目の結婚記念日にと前々から計画をたてて撮った貴重な一枚です。

 話は換わりますが、普段、外を歩いていて危険だと感じるのは、不完全な未整備の道路や駅ホームです。
 これまでも、数え切れないほどの大小の怪我をしてきました。
 遡ること9年前の1999年5月15日、JR大阪環状線、天満駅で、ホームから線路に転落し、左肘を骨折する重傷を負いました。
 この時、混雑していたホームに、点字ブロックを塞いでいた人があり、これを避けようとして、転落しました。
 翌日の読売新聞(1999年5月16日、読売大阪、社会14版31頁)には、脚色を加えた、感動的な救出劇として報道されました。
 この誤報記事は、本年(2008年9月10日、大阪版27頁)の訂正記事まで、私の心を苦しめ続けました。
 紙上には、客観的事実として、次のように記載されています。(一部抜粋)
 『<意外な事実>点字ブロックに人、白杖接触、回避の末。
 男性は大阪市天王寺区の中島敏明さん(38)、事故は同月15日夕発生した。読売新聞は翌日朝刊で報じたが、記事では、転落原因について、中島さんが、点字ブロックに気付かずに落ちたとした。
 しかし、再取材の結果、中島さんは何度も同駅を利用したことがあり、点字ブロックの存在も知っていたことが分かった。中島さんによると、事故当日も点字ブロックに沿って歩いていたところ、点字ブロック上に立っていた乗客がいた。前方を確認するための白杖がその乗客の足に触れ、回り込もうとして転落したのだった。
 一方、この乗客も読売新聞の再取材に「自分の足に触れたことは間違いないが、それが転落と関係があるとは当時は思っていなかったと話した。』
と、なっています。ちなみに私が取材を受けたのはこの時が初めてです。(より詳細は、読売新聞バックナンバー・またはコピーサービス(有料)をご利用ください。)

このような視覚障害者を取り巻く事件、事故について、私が常に思うところでもあり、広く知っていただきたいことなどを次に記しておきたいと思います。

★視覚障害者の歩行中の脅威とは?!
 言うまでもなく、目が見えない人達は、視覚ではなく、耳で音を聴いて、また杖で道路の端などを伝って、歩行することができています。
 目を瞑って(目隠しをして)、真っ直ぐ歩くことは誰にもできません。これを知らない人がとても多いのです。
 街などで、親切心から、「ここをそのまま真っ直ぐ行ったらいいですよ。」と声をかけていただくことがよくありますが、実はこれが一番危険なことなのです。
 例えるなら、スイカ割りを思い出してください。目隠しをして、数メートル先のスイカまで確実に到着できるでしょうか。それが、数十メートル、数百メートル先になると…?いかがでしょうか。
 目隠しをした状態で歩行すると、人間の体は自然に左回りに進んでしまうというデータもあるようです。
 音の反響で、方向や周囲の状況をキャッチし、杖で、道の端や点字ブロックを伝うことで車道に出ないように、ホームであれば線路に落ちないように神経を最大に過敏にして移動をしているのです。
 しかし、伝えるはずの道の端であっても、路上駐車・駐輪などで、道の真ん中に出なければ進めないようなところも多く存在します。
 それに加え、工事現場や風雨が強い日、賑やかな場所では聴覚が全く約に立ちません。視覚、聴覚の二重障害者は日々このような状況にあります。
 こうなると、その場から動けなくなり、時には自分がどの方向を向き、どこにいるのかすら分からなくなってしまいます。安全を確保したいと少しでも誤った方向に進んでしまうと、時にこれが逆に危機になります。
 工事現場など、大きな音が出ている所に視覚障害者が近づいていることが分かれば、通り過ぎるまでは、その原因となっている作業を一時中断する必要があります。
 視覚障害者の道しるべである点字ブロックを塞ぐ行為もこれに相当する非常に危険なことです。事故に結びついた場合、塞いだ者は加害責任を問われかねません。
 こういった事故が起こってしまっても、視覚障害者達はこの時の状況判断が難しいというハンディもあります。事故を見かけた人は、すぐに確かな状況把握のために進んで協力していただきたいものです。
 このような事故の原因となった人が過失であれ、更なる被害を防いだとしても、これは当然のことで、救出や救助とは言えないと私は思います。
 非常に単純なことです。過失で交通事故を起こしてしまい、被害者を病院まで、搬送したとしても、その人が加害者であることには違いありません。
 しかし、今の道路交通法には、視覚障害者などが歩行中に負った事故(明らかな交通事故を除く)に関して、何ら特別な措置がありません。ほとんどが「自己転倒事故」として扱われます。そのため、日常茶飯事に起こっている事故であっても、明るみには出ず、泣き寝入りをしているのが現状です。
 あらゆる人がもっと街を安全に歩けるような法律を策定すべきだと強く訴えます。
 また、線路への転落事故も後を絶たず、ホームは非常に危険な場所の一つでもあります。視覚障害者がホーム上を移動するためには、一番線路側の点字ブロックを伝うことしかないからです。ホームの真ん中には、待合のための場所、売店、柱、階段などなどがあり、そこに多くの乗降客がひしめき合っている中での移動は非常に困難です。
 この点字ブロック上に人や物があったらどうでしょう。回避するにはより線路側に回り込むしかない場合もあるでしょう。実際、私もこの状況下で転落し、重症を負ったことは前述したとおりです。
 また、どの鉄道にも優先座席が設けられていますが、さて、果たしてきちんと機能しているでしょうか。駅員がホームも含め、高齢者、障害者、妊婦、小さな子連れ客などをこの優先座席まで、誘導することが一番望ましいことですが、それだけの人員を確保するというのはすぐにはできないことかもしれません。
 そこで、一人一人が、恥ずかしがらずに、声をかける勇気を持って、譲り合い、助け合い、思いやる気持ちが何よりも大切なことであり、自分の心を耕すことにもなるはずです。
 ハード面の整備も大切ですが、最も大切なのは、一人一人の心根だと思っています。
 「最近、誰もが健康、安全、生きがいといった、お金では買えないような物に価値を見出すようになってきたと感じませんか。
 では、どうすれば、このような生活を実現できるのでしょうか。
 私は、お互いに、他人を思いやる心。そこから生じる振る舞いに、その答えがあるとの信念を持っています。

 私自身、ここまで生きてこられたのも、多くの方々の支えがあったればのことです。今となればこの『障害』というものから、多くのことを学び、感謝できるまでになりました。『逆境は人を強くし、優しくしてくれる材料になる。』そんな風にも思います。

 そして、一番下の弟が生まれてすぐ父は他界し、以来、女手一つで、私たち男兄弟3人を育て抜いてくれた母に無限の感謝の思いです。
 父が亡くなったのは、今の私の年齢と同じ38才でした。亡き父のためにも、人のために役立つ一生でありたいねといつも妻と語り合っています。
 この掛け替えのない、妻と3人の娘たちに感謝し、また尊敬し、大切に守っていきたい。心からそう思っています。

 誰しもが、平和を願い、幸福を望んでいるはずです。国家と国家であっても、元をただせば人と人、心と心の交流に帰着します。皆が地球市民、地球家族という意識に立てば、実現不可能なことではないと思います。
 私は現在、このような思いから、公演活動や音楽活動、中国語の学習にも真剣に取り組んでいます。
 今回、このような貴重なスペースを私どものために、設けていただいた瓜生様に心から御礼申しあげ、よりよい街づくりのためにお役立ていただければ光栄に存じます。
 また、最後までお読みいただいた方々に対しましても、感謝の意を表したいと思います。誠にありがとうございました。
写真・文章提供:中島敏明


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<みんな同じ。幸福とは充実!! 中島敏明編>