エッセー

第14回

<中途失明者のジレンマ>


 本稿では、先天失明者と、後天失明者の相違点などを主眼においたものではないということを予めことわっておきます。

 中途失明した時、最も困難なのは、その状況を受け入れ、認識することです。障害受容といいますが、あらゆる障害、近親者などとの別離も、人によって、程度の差はあれ、その受容が困難なのと同様です。

 障害以前に好きだったことなどに執着し、それが叶わないといったジレンマに苦しむことになります。
 例えば、バイクや車の運転、スポーツや挌闘技などが好きだった、またはそれらを生業としていた人にとっては並々ならぬ心痛があると思います。ほとんどの仕事や趣味において、その継続を諦めなくてはならなくなり、専門性が高く、思い入れが強いものほど、そのショックと反動は大きいと思います。

 また、私は男性ですので、ここからは想像ですが、男性よりも女性の方がこのショックは大きいのではと思います。なぜなら、男性ならば、身なりなどをかまわなくてもさほど不自然さはないにしても、女性の場合は、化粧や服装、ヘアスタイルなど、こと細かなところまで気を配って生活をしている人が多いと思うからです。
 お洒落もままならず、自分の思うようにいかず、自分の姿を確認できなくなるということは、男性には想像しがたい辛さではないかと思うのです。
 これは、正直に客観的意見を言ってくれる友人などに頼み、自分の理想に近づけるよう、創意工夫をこらすことしかないでしょう。

 流行や社会情勢なども時々刻々と変化します。その変化に流動的に対処をしていくということも非常に難しくなってきます。

 障害受容ができた後も、その障害に対処するための手段の習得に関して、感覚が鋭敏な幼少期ではなく、成人以降になると、非常に困難を極め、社会復帰までに時間がかかってしまうといったこともあります。
 日常生活全般、家事、仕事、レジャー、その他のあらゆる活動において、今までとは違った代替手段を用いて行わなければなりません。
 私の場合の身近な例をいくつか紹介します。
1.コップに水などを入れる場合
 見えていた頃は当然、目で確認し、適量を注いでいましたが、今は耳で音を聞き分けて適量を量ります。この時、ある程度、勢いよく注がなければ音がしませんので、勢いよく注ぐのがコツです。ですから、周囲が騒がしいというだけで、この作業はうまくいきません。
2.物の置き場所やレイアウトなどは全て記憶
 小物から、貴重品、家の中、職場のレイアウト、道路や駅・ホームの形状、方向などなど。他人が勝手に移動させてしまうと、忽ちパニック(注:パニック障害の発作とは違いますよ!!。エッセー、第5回<精神疾患を理解しよう!>を是非ご覧ください。)です。
3.子守をする時
 音でだいたいの行動が分かりますので、目が行き届かないところでも、耳が行き届くところであれば、安全確認ができます。ただ、見守りと『聴き守り』の違いは、音や声がするまで状況がつかめないので、とっさの行動を未然に防ぐといったことは難しく、予防策ということが大切になってきます。
 ちなみに近所の保育所には全盲の保育士さんがいらっしゃいます。

 私の場合、ある程度うまく障害受容ができた方かもしれませんが、それでも2・3年はかかりました。これがうまくいかないと、肉体と精神が切り離されるような苦しみに喘ぐことになります。
障害以前の状態に回復したいという望みと、現実を見据えて新たな道を模索することとは、非常に合いまみえにくいことなのです。いずれかの方向性にしか思考が至らず、集中できなければ精神的にも苦痛を伴い、状況打開への一歩が踏み出せなくなってしまいます。
 これは、勇気を持って乗り越えるという言葉だけでは解決できないほどの難関です。
 まず、高ぶった神経を落ち着かせるための冷却期間ともいえる、休息が必要です。この冷却期間を持たず、緊張状態のまま突っ走ってしまうと、必ずと言っていいほど、後で更なる大きな苦悩に沈むことになります。

 しかし、過程はどうであれ、受容ができると、それまでの困難は前進のための糧となり、脳の活性が始まります。
 例えば、視機能を掌る後頭葉の一部も点字を読む際の触知認識機能に働きをかえることも、比較的最近の研究で明らかになりました。このように、脳のメカニズムにはなお謎が多く、人間の無限の可能性を象徴しているようにも感じられます。

そして、大いなる希望と、大いなる目標によって、それらの障害は障害とならず、むしろ原動力となり、自由自在の環境に転じていくことができます。
 全ての人が、この世に使命をもって生まれていると実感しています。無駄に意味もなく、生かされているわけではないのです。
 人から影響を受け、また人に影響を与え、人の間で生きているのです。
 これまで、多くの方々に支えられてきた分、自分もその感謝を恩返しとして、一人でも多くの方に、良い影響を与えたという実証を残していきたいと思う毎日です。その意味もあり、本エッセーを寄稿し始めました。可能な限り続けていきたいと思っています。

 そして、障害というものをを包含し、見下ろしていくほどの、大目標を堅持し続ける精神力、忍耐力も欠かせません。
 例えるなら、陽光はあらゆる闇を照らし、明らかに見ることができます。
 心に太陽を昇らせれば、何があろうと、明るく、苦労さえも楽しみに変えることができ、悔いのない一生をおくれると信じています。

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