エッセー
第16回

<自分を自分で観てみる>


 多分風邪、声が別人のようになった。しかし、声が変わっただけで風邪をひいた状態かどうかも自分でも分からない。太くて低い、俗に言う「厳つい声」。初めて会う人の反応が違うと感じた。やたらと丁寧に接してくれるのだ。この声でずっと生活をしたらどうなるのだろう。また、体形や顔なども変わったら…。そんなことをふと考えたことがこれを書くきっかけになった。
 つまらないことかもしれない、しかしこれらが自分の人生を大きく左右していることにも気付かされる。自分と一生付き合うもの(一生を通して、あまり変化しないもの)は本当に多い。分析しつくすことは恐らく困難を極める作業になるだろう。
 断片的にしか触れないが、全体像が浮き上がるぐらいには表現したいと思う。

 では早速、構成要素を思いつく順番に挙げてみよう。
■性格(楽観的・悲観的など)。エゴグラムというものがあるが、自分の性格の傾向性を知り、偏りを是正したり、平均化する努力は可能だが、容易なことではないのも確かだ。そして、その平均化の作業が必ずしも良いことだとは断言できない。
■顔かたち。第一印象を決定付けるうえで、比較的注目されやすい部分の一つであると思う。心の状態(心情・心境)や体調などが、表情として表れやすい部分でもある。
■体形(骨格・肉付きなど)。両親から半分ずつ受け継いだ染色体(DNA・遺伝子)でこれらの全てがある程度決定づけられてしまうということの不思議さ。これは体形に限ったことではなく、恐らく全ての元になっている重大な要素といえるだろう。
 例えば、花の種。何の品種で何色で、どんな大きさ・形などなども種の時からおおよそが決まっているようなもの。
 話はそれるが、自然というものは本当に不思議だ。生命の不思議、生命と生命の関連性の不思議。例えば昆虫と植物の相互作用は一例。妙なる大自然の中、生死を繰り返し変化し続けている。今、自分は何を考え、何をすべきなのか。快楽の追求ではないはずだ。欲望はつきることなく、繰り返し、そしてエスカレートしていくだけだ。悔いなき一生をおくりたい、強くそう思う。
■声やしゃべり方(言語や方言なども含む)。口癖や笑い方なども自分で変えようとしても難しいものだ。
 そして、声や話し方はその人の心情や個性・性格を表し、言葉として発せられれば、人にも大きな影響を及ぼすこともある。
■癖(習慣)。日常の行動パターンはほぼ決まっている。一つ一つの行動を分析してみると、見事に毎回、同じ行動を自然に繰り返していることに気付くことができる。
*今とっている行動を分析してみよう。さあ、どうだろう。また同じ仕種、格好を!それがあなたの癖だ。人によって微妙に皆違う。じっくりと人を観察してみるのも面白い。
■感覚(センスや好みなど)。性格に由来するところが大きいと思われるが、本能的な心理も関与し、自然に好き嫌いを判別しているものである。他人の嫌な性格と感じるのは、その時の自分の深層心理と葛藤しているとも言われる。
■考え方(直感的・計画的など)。これも性格に基づき、パターン化されていることが多い。しかし、これは後天的な要素も多く含んでいると思われる。
 そういう意味では、最も柔軟に変化させられるのは、この考え方ではないだろうか。人や書物などからの影響で、幅広く良いものを選択していくことも可能になるし、浅く狭い思考に執着してしまう場合もある。こういう時は、大きく視野を広げる、発想の転換とそのきっかけが必要となる。

 詰まる所、性格(脳の働き)と、両親から受け継いだ染色体(DNA・遺伝子)で、ほとんどが決まってしまっていると言っても過言ではないことが分かる。
 ここに、後天的な環境という要素が加わり、ほぼ自分というものができあがる。

 これらによって、総合的な自分のイメージ(印象)が決定付けられる。変化することで、印象も変わり、周囲の反応も変化するというのは冒頭に述べたとおりだ。
 しかしこれらの反応は、相対的なものであって、特定の範囲内での流行や好き嫌いに基づくことが多い。当然、普遍的な評価ではないということも知るべきである。
 例えば、成長や老化による変化。これは至極自然なことである。 他にも、外傷や人為的な手術、ファッションなどによる外見の変化があるが、これらに固執しすぎることは本来的に大切なことを見失ってしまうことにも繋がるので要注意。

 よく「子供には国境がない」と言われる。互いに言葉も理解し得ない、いろんな国の子供たちが、ひとところに集まり、時を過ごしていると、たちまち友達になり、心を通わせ、一緒に遊ぶようになるというのだ。
 これも一種の本能的な一面で、当然のことだが、国境や民族などによって、人間の尊厳に差異がないという証拠といえるだろう。だから暴力や戦争は絶対悪なのである。

 このように、魚には魚の通る道があり、鳥には鳥の道があるように、人類にも歩むべき道(法則)が存在するとは感じないだろうか。
 他人と、環境に優しい生き方を真剣に摸索し、個性を輝かせながら、全ての人の幸福と平和を願い、尽力していくのが人の道だと信じて疑わない。現代社会が抱えている様々な問題群を解決するためにも、一人一人の自己変革が重要になってくる。
 特に日本では、人の生き方には口出しをしないことが美徳とされ、価値観もそれぞれで、なんでも認めなくてはいけないといった風潮がある。しかし、それはただ、自分自身に確固たる信念や理想がなく、お互いのより良い人生についての前向きな議論ができないといった軟弱な人間が増えていることに過ぎない。
 お互いの人生を深めるためには、学びあい、叱咤激励しあい、感謝し尊敬しあえる関係が最も理想的であると考える。
 話し合いができない人が増えている。威圧的に一方的な主張になったり、自分の意見を持たなかったりと。また、深い思索をした経験が少なく、想像力が乏しければ、やはり鋭い考察もできない。
 知識と知恵は違う。知識を多く持っていることだけでは解決できない。正邪、善悪を見抜く知恵が大切なのである。この知恵は苦労によって磨かれる。
 苦労を乗り越えた経験が多い人は謙虚であり、温かく包み込む包容力を持っているものだ。希望や安らぎ、勇気などを与えてくれる。これぞ人間の中の人間。
 人を見る目を養わなければならない。我が身を投げ打ってでも人のために尽くせる人間かどうか。上辺では美辞麗句を並べていても、心の底では、人を陥れる策を巡らしているような偽善者には絶対に騙されてはいけない。

 思考の変化による人生の可能性を先に示したが、これは、より充実した幸福感を実感できる規則性を述べたものである。なので、人に言われてすぐにそのようにできるものではない。それほど、培ってきた思考の方向性(考え方)は柔軟であるといえど、やはりこれも発想を転換させるのは容易なことではないと実感するところだろう。
 しかし、この思考の方向性は非常に重要である。次のようなメカニズムになっている。考え方が変われば、性格が変わり、性格が変われば、行動パターンも変わってくる。これによって、人生が良くも悪くも変わり、先に挙げた全ての要素に影響してくることになる。
 簡単な例えを一つ。大切な人との出会いというきっかけがあり、その人のためになり、喜んでもらえることはなんだろうかと真剣に考える。そのための努力をはじめ、言葉や物、様々な表現力を駆使し、心の底から伝えようとする。
 結果、相手が喜んでくれれば、目からは涙が溢れ、心が躍動し、表情は明るくなり、なんとも言えない幸福感に包まれることだろう。
 逆に、常に今の自分が置かれている環境に不平、不満を抱き、しょっちゅう愚痴や文句を言っていると、表情も言葉も暗くなり、心も後ろ向きになり、決して人生に充実感は見出せないだろう。
 しかし、これらの人間の感情のようなものは、瞬間瞬間に変化するものであり、良い状態を持続するというのは並大抵のことではない。

 まとめになるかどうか分からないが、確かに、外見や肩書き、会得した知識や特技などによって、周囲の反応(環境)が変わるのだが、そのことによって、人間にしかない『健気な美しい心』を見失ってしまうことは、本末転倒だと私は思う。
 環境が変われば、良くも悪くも、多かれ少なかれ、自分自身にも影響がある。逆に、自分の性格などが変われば、周囲の反応も当然変わっていくものである。
 したがって、環境に左右されっぱなしの自分であるよりも、自分が環境の主体となり、環境を自分の鏡とし、よりよい自分づくり、未来づくりをしていくことが大切だと思う。見た目や一時的・局所的な反応に一喜一憂(優越感や劣等感)に苛まれることのない、内面から湧き上がる喜びを持続していく人生こそ、私の望む生き方だ。
 明るく、希望を持って、他人を思いやり、楽しみを与えていける、そんな自分になりたいものだ。

文章提供:中島敏明