エッセー
第2回
<幸・不幸≠便利・不便!>

幸、不幸を論ずる時、得てして、便利・不便を基準に考えがちなことに気付いているでしょうか。
 幸・不幸と便利・不便は決してイコールではありません。
 頭では分かっていても、こういった観点で人や自分を判断して優劣を決め付けてはいないでしょうか。
 そもそも、人の尊厳に優劣は存在しないと私は思っています。

 視覚障害そのものは、決して便利なことではありません。不便なことだらけと言ってもいいかもしれません。

 私は学生時代、ハードロックバンドのリーダーとして活動をしていました(写真:当時)。
 しかし、中途失明をし、ライフスタイルが変わったことで、一時バンド活動を休止せざるを得ませんでした。
 まず、生きていくための最低限の技術や手段の確保を優先しなくてはなりません。そのためには、今まで描いていた将来設計も変更せざるを得ませんでした。とても辛い決断でした。
 何をするにしても、視覚的要素が多いのは動かしがたい事実です。
 楽器の手入れ、機器類の操作、ステージングなど、今までと同じようにはできなくなりました。
 スポーツ観戦やレジャー、買い物などといったことにも常に歯がゆさを感じます。
 それまでなら、目で見て、好き嫌いを判断し、感動したり、嫌悪感を抱いたりと。目が見えなくなって、視覚から入ってくる情報は万般に渡って、非常に多いことに気がつきます。まる一日目隠しをして生活することを想像してみてください。生活全般、外出をする、テレビや雑誌などを見るといった日常生活にどんな影響があるでしょうか。

 このように不便なことだらけです。
 しかし、これらのことを周囲に理解してもらえず反発をしているのではなく、また、単に同情を誘うというのでもありません。

 むしろその逆です。これらの不便さを嘆き、劣等感に苛まれるのか、そうではなく、この不便さを克服するための努力、工夫から、新たな物事を見出していくことに価値観や喜びを得るのか。
 この心の持ち方、方向性によって、幸・不幸といったことなどを実感するのだと思います。

 逆にいくら便利な生活をしていても、苦労がなく、人の痛みが分からなかったり、物事の価値観や本質を見極められないといったようなことは、感情を持つ人間として生まれてきた以上、非常に寂しいことだと思います。

 とりわけ、現在の社会問題ともいえるのは、子供たちへの道徳教育や情操教育といったことです。昨今、様々な要因から、子供たちに豊かな道徳観や情操を身につけさせることが難しくなってきています。
 親等の過保護であったり、或いは問題解決をせず、力で圧制するといったことを継続的に行うと、その子供たちの心には、何らかの障害が残ると言われています。いろんな人との交流が少ないことも考え方などを固定していってしまう原因になります。

 真面目に誠実に、信念を持って生きるということが、今ほど難しい時代はないのではないかと思います。恵まれすぎて、価値観がどうしても、心ではなく、見栄や肩書き、経済的に裕福かどうかといったようなことばかりに目がいってしまっているように思えてなりません。非常に危険なことです。

 昔から、「可愛い子には旅をさせよ。」といいますが、旅をさせるということは、自立心を養ううえで、何でも自分でさせ、考える力などを身につけさせるとの意味あいですから、我が子を大切に思うのなら、苦労や壁に当たった時、時に一歩離れて、温かく見守るということも重要だということです。

 また、幸、不幸は言うまでもなく、環境で決定づくものでもありません。他人から見て幸せだと思っても、その人の心の中に幸福感(充実感・感謝)がなければ不幸ですし、人から見て、哀れに思っても、その人の心は希望に燃えて晴れ晴れとしているかもしれません。私は、後者を幸福な人と呼びます。

 以上のように、便利か不便か、また環境によって、幸、不幸ということは決まらないのです。
 不便や苦悩などといった逆境から学ぶことは非常に多く、体験によってのみこれらが実感できるものなのです。

 そのうえで、便利さというものは正しく活かされ、全体の利益として用いられるべきものでなければなりません。
 ユニバーサルデザインというのはこういった考え方の基、作られる、あらゆる建築物や商品デザインのことをいいます。

 また、IT技術はワールドワイドウェブとの名のとおり、世界中を結ぶ通信網となっています。
 しかし、ここにもやはりアクセシビリティやユーザビリティをはじめとする、様々な問題もあります。

 全ての物事は便利さが進むと同時に危険性も伴うということがいえます。
 言い換えれば、善と悪は表裏一体で常にそれを選択して生活をしていることになります。この選択を誤ると、便利さは脅威と化し、地球や人間をはじめとする生命体に、大小様々な影響を及ぼすことになります。問題群についてはここでは省略いたします。

 私は、善の方向へ、連帯の方向へとの信念を堅持しつつ、これからもあらゆる活動に取り組んでいきたいと思っています。
 このような志を持って今日まできましたが、不思議なことに、障壁は障壁ともならず、その時々で、支援してくださる方々やタイミングにも恵まれ、自由自在に行動できていることを今さらながらに気付き、全ての物事に感謝の念でいっぱいです。

 人生は艱難辛苦との間断なき闘争だと心得て、どんなに辛い時でも忍耐強く、また楽観視して、希望を絶やさず、一歩一歩前進していこうと思っています。
*次回(第3回)は娘の誕生時のことを中心に書かせていただこうと思っております。
写真・文章提供:中島敏明