エッセー
第3回
<生命の誕生、その重さ!>

反対意見もあった中、2002年に結婚をし、2年後の2004年に長女が誕生しました。
 一部の人達は「目が見えない子が産まれてくるのでは」との心配とも差別とも取れる意見や忠告のようなものがありました。
 私の病気は遺伝するものではないと分かっていることですが、誰から産まれてくる子であっても、必ずしも、障害がなく産まれてくる保証なんてないのです。
 私とて、障害をもたずに産まれてほしいという気持ちもありましたが、どんな形で産まれてこようが、この世で成すべき使命を佩びた大切な子であることになんらの変わりはないとも思っていました。
 妻の希望で和痛分娩法を選択しました。欧米では一般的ですが、日本ではあまり認知されていない分娩法です。
 3842gという大きなベビーだったにも関わらず、リラックスをして、私も立ちあう中、元気な産声があがりました。その瞬間、えも言われぬ感動で胸がいっぱいになり、涙を抑えられませんでした。

 この長女の誕生以降、私たちの結婚や出産に反対していた人達も応援してくださるようになり、いつも気にかけてくださるようにまでなりました。
 私と妻の心に安らぎを与えてくれた我が子を腕に抱いた時、生命の不思議さ、重さをひしひしと感じました。

 妻と私が出会ったきっかけになったのが、音楽演奏だったことから、これに因んで、「美音(みおん)」と名付けました。
 そこで、妻と私で作詞をし、私が演奏と歌を手がけCDに録音しました。

 いざ、子育てとなると、当初はどのように携わればいいかと悩みました。母乳育児ということもあり、母親にべったりで、妻の負担もかなりのものだったと思います。常に心身ともに疲労が貯まっている状態でした。
 にも関わらず、私は今思えば、沐浴以外ほとんど何も手伝えていなかったのではないかと思います。

 長女が1才を過ぎた頃、妻が突発性難聴を発病し、この時は大変驚きました。インターネットで、原因や治療法などを調べ、完治のためにいろんな手段を尽くしました。まだ、断乳もできておらず、服薬をするのも困難な状況でしたが、西洋と東洋の治療法を併用し、完治することができました。再発もしていません。

 このことがあって、少しずつではありますが、育児や家事にも参加するように心がけました。

 最近、ジェンダーの問題がよく言われますが、私は何が何でもを同じにすればよいという考え方は、少し行き過ぎで、それぞれの特性、良さを活かすことにはならないのではと感じているところもあります。
 私の考え方としては、それぞれの個性があって、集団の中で、その個性や特性を活かしながらバランスを取り、役割を分担することが最重要だと考えます。
 固定化を防ぐという意見には賛同できますが、一方で本来的に具わっている、それぞれの良さ、特性、違いなどを認め合うことを忘れてはならないと、私は思います。

 そこに欠かせないのは、生命の平等意識と相手を敬い感謝する心だと思います。どちらがどちらを軽蔑しても、ジェンダーの平等は成り立ちません。

 また差別用語とされているものについても、同様の考え方ができます。
 というのは、差別語、そのものの「音の並び」に差別があるのではなく、「その言葉をどういう意図で用いているのか」が問題なのです。
 人間が同じ人間を蔑むということは、結局、自分で自分の心をけなし、けがしていくことになることを知らない愚かな人と言わざるを得ません。
 ですから、用いる人の価値観が粗末なだけで、音の並び方に拘り過ぎる必要もないとも思うのです。でなければ、差別語は無限に増えていくことになります。
 とは言っても、長い間差別語として、使われてきた言葉は、多くの人が聞いて不快感や嫌悪感を覚えるものです。これらについては、やはりあえて用いるべきではないと思います。

 話を戻しますが、娘は既に私の障害を受容できているうえで、プラスに考えることもできています。妻のおかげでもあると感謝しています。
 「今後、いろんな問題があっても大丈夫!私がお父さんのことを誇りに思えるように、教えてあげられる自信があるから。」とまで言ってくれています。

 娘はとても感受性が豊かで、親の影響か、天真爛漫。
 いろんな人と出会い、教わることで、優しい思いやりのある子に育ってほしいと願っています。

*次回(第4回)は多胎児養育のことを中心に書かせていただこうと思っております。
音源・文章提供:中島敏明

(音源あり)