エッセー
第5回
<精神疾患を理解しよう!>

私は精神科医ではありませんが、自分や周囲が体験してきたことから気付いたことを書いてみたいと思います。きっと参考にしていただけると思います。

 私はこう見えても、現在パニック障害の治療中です。数種類の服薬で発作を抑制している状態です。
 このパニック障害という病気も名前だけは有名になりましたが、その実はあまり知られていないようです。この名前が誤解を呼んでいるのではないかとも思うのです。
 よく、日常会話の中で、「頭がパニクる」なんていうもんですから、頭が混乱するようなイメージが先立つのではないでしょうか。

 そういった次元のものとは全く違います。それまでは何もなく、普通に生活をしていて、ある日突然、自律神経失調症状が一気にまとまって、発作的に襲ってくる病気なのです。激しい動悸・息苦しさ・意識が遠のく・全身がしびれたり、冷水が流れるような感じがあったり・呼吸気管の不快感などなどが一度に襲い、このまま死ぬのではと思うほど恐ろしい発作です。
 ある日突然、急にですよ。原因も予兆もないのにですよ。まさしく晴天の霹靂です。これはびっくりしますよね。これをパニックと呼んだのが、この病名の由来です。
 そして、一度、この恐ろしい発作があると、またいつ、どの場面で起こるか分からないという不安が残り、必ずまたやってきます。その度に救急車で病院に運ばれて、精密な検査をしても特に身体的な原因は見つかりません。
 精神科や心療内科を受診してはじめて、パニック障害と診断されることになります。
 治療法は主には服薬です。私の場合、服薬のみです。
 発祥したのは、7年前、仕事中にいきなり発作に襲われました。薬が合って、バランスが取れるまでは、5年ほどかかりました。現在大発作は抑制されていますが、時々、軽い症状や、極度の疲労感などがあります。

 これらを周囲や職場の方々、一緒に生活している家族であっても、完全に理解してもらうのは難しいことです。

 発症前の元気だった自分に早く戻りたい。そう思いますが、そう簡単なことではありません。
 こういった人は少なくないと思いますが、ネット上であまい言葉で誘うような、情報商材などには引っかからないように注意してください。

 私の母は、一時、鬱病で苦しみました。女手一つで息子3人を育ててきて、一番下が小学校に入った頃でした。あんなに明るかった母から笑顔が消えました。仕事もできなくなり、毎日自殺願望に苛まれていました。
 母も薬が合うまで1年ほどかかりましたが、その後、回復に向かい、今ではすっかり治ったかのように元気に孫の世話をしてくれています。

 また、私の周囲にはたくさんの方が、心の病を抱えながら、生活をしておられます。
 最近は人格障害という病名もよく耳にするようになってきました。数種類に分類され、定義も諸説あるようですが、これらは、鬱病などの精神障害には入らないため、社会的な補償を受けることもありませんので、周囲の人達が悩んでいることが多いです。
 当然、本人も自覚はあっても、主には気質的な遺伝や環境による性格形成によるものですから、自分でコントロールすることは難しいと思われます。これはこの病気に限ってではなく、心の病全てに言えることです。
 しかし、これらの病気も精神科などを受診することで、寛解に向かいますので、あせらず治療されることをお勧めします。

 親の偏った性格、仕付けの誤り(褒めない・折檻を加えるなど)、過保護などから、人格形成に異常を来し、社会に適応することが困難になります。
 私の周囲には、過保護が原因で人格障害の状態にある人が比較的多いです。
 子離れできない親やその取り巻き、大人になっても、親離れできない人達が増えています。依存性人格障害はこの傾向が最も強いタイプのものです。とにかく親でなくても、自分を保護してもらえる存在を必死になってさがし、繋ぎ止めておくことに躍起になります。

 このような結果、引きこもらざるを得なかったり、自傷・他害行為に至る場合もあります。先にも書きましたが、これらは性格が原因となるものですので、障害としては精神医学上、重症扱いとはならず、周囲が手を拱いていることが多いのです。
 そのため、環境に変化がありませんから、悪循環をまねくことにもなります。

 明るい未来を創造するには、やはり、一人一人が豊かな心をもって、偽善や打算、自己満足のためではない、真の思いやりをもてる人間性を磨いていくことが今、最も求められることなのです。

 風土的にも日本人は元々、他者と関わるのが苦手な民族です。馴染みのない物事には目をそらそうとしがちです。

 私が親子連れと道などですれ違う時に、親が子供に「こっちに来なさい。見たらあかん。」など、異質なものとは関わらさないようにとの考えからなのでしょうか。また、ある人は、少しでも触れたら、大ごとが起こるかのように、必要以上に道をあけ、緊張される人もおられます。戦車が通るわけではないんですから、そんなに避けなくてもと思うのですが。
 あと面白いのは、目が見えない人は耳も聞こえないと思われているのか、私を見るやいなや突然、普通の声で、視覚障害に関する話題をはじめられます。あまり聞きたくない内容や、中には話しに参加したいなあと思う内容。様々です。一番言いたいのは、「あの〜、耳は聞こえるのですが…。」

 不快な思いをすることは度々ですが、結論的に言えば、「近寄りたくない。」と避けられていると思う時が一番嫌ですね。例えば、公共の場で比較的混雑しているようなところでも、私の周りの席は両側とも空いています。これはどういう心理なのでしょうか。
 かと思えば、上から見下し、小さな子供に対して話すようであったり、横柄なもの言いであったりと、何を勘違いされているのか、その人の人間性が現れますね。

 でも私は、このように言われる立場でまだよかったと思います。逆の立場には絶対なりたくないと思いますから。

 人を馬鹿にしてもいけませんし、人から馬鹿にされてもなりません。互いに尊敬し、学びあえる、そんな関係の輪を広げていきたいと思っています。
 そういう世の中になれば、心の病で苦しむ人も少なくなっていくことでしょう。

*次回(第6回)は、語学のことを中心に書かせていただこうと思っております。
文章提供:中島敏明