エッセー
第7回
<私の趣味・好きなこと・人生の醍醐味>

趣味は何ですか。と尋ねられると、今までは非常に困っていました。なぜなら、何かをやり出すと、とことんまでやりたくなって、趣味という感覚とは少し違う気がするからです。
 中学の時に通信販売でエレキギターを購入し、エディーヴァンヘイレンやイングヴェイマルムスティーンといったギタリスト達に魅せられるようになり、自分で作曲も始めました。そして、将来は音楽活動を仕事にしたいと思っていました。
 自作の曲の録音をする時に他のパートのメンバーがいなかったこともあり、全てのパートを自分でプレイして、録音もするという風でしたから、寝食を忘れて、ふらふらになっていても、きりがいいところまで録音しないと気がすみませんでした。
 当時の録音機材はマルチテープレコーダーでしたので、今のような便利な機能は何もなく、最初から最後までミスをせず、録りきらなくてはなりませんでした。
 アップしていただいている曲は、当時の私の曲の代表作ともいえるものです。曲名は「情熱」といいます。
 今は亡きドクターシーゲルこと、成毛滋さんにアドバイスを受け、幾度かラジオ局でオンエアーされました。
 成毛さんとは中国語の趣味や精神疾患についてなど幾度か書簡を交わし、お互いに成毛先生、中島先生と呼び合っていました。ここでいう先生は日本語でいう「さん」の敬称を表すものです。成毛さんは広東語で、私は北京語(普通話)でしたが。

 それでも、音楽を専門としてやっていくのは容易いことではありませんでした。ということで、今は、音楽活動も一つの趣味ということができます。

 しかし、私と同じく全盲でやはり、成毛滋先生に多大な影響を受け、実質のプロとして活動をされている人もいます。山口県下関市出身の田川ヒロアキさんです。是非、下記アドレスに訪れてみてください。驚きますよ!
http://fretpiano.com/hiechan/

 また、私は小さい頃から、スポーツも全般に好きでしたが、どれもこれも視力が弱かったことで、満足にはできませんでした。全く視力を失って以降は、観戦すら面白みがなくなるものがほとんどです。
 視力がなくてもできるスポーツもありますが、今はまだそれらを始めようとは思っていません。
 見えなくなる前は、ビリヤードにもこっていましたが、見えなくなってはできません。

 家電製品等も日進月歩で便利になっていきますが、私たち視覚障害者にとっては、使いにくくなるものが増えるというリスクの方が大きいともいえます。それによって、QOLの格差が広がってしまいます。

 娯楽やファッションなどの流行にも関心がなくなり、諦めなくてはならないこともたくさんありました。良い方に考えれば、無駄づかいをすることはなくなりました。
 新しい物を買うと、使い慣れるまで、人に説明書を読んでもらって、教えてもらわなければ使えませんし、物によっては、一部分、大部分が使えないというものもあります。そんな時、せっかく思い切って少々高価なものでも購入しても、使えなければ腹立ちと惨めさで自己嫌悪感に苛まれます。新規に何かを購入する時は、かなり慎重になっていても、たまにこのようなことがあります。
 身近な例ではオーディオ機器です。店で大まかな説明を受けて、最低限の操作ができると思い購入するも、もう一歩踏み込んだ操作をしようと思ったら、どうしても視覚が必要になるといったことが多いのが現状です。
 一般の商品は、視覚障害者も使うだろうとの想定で造られていませんので、説明書も同じく、写真を用いるなどし、理解しがたい表現になっています。

 電子辞書や楽器類にまで、ユニバーサルデザインを採用しているメーカーは私が探した限り見つかりませんでした。
 中国語の学習の際、辞書が使えないというのは大きなハンディです。発音が音で出るものはありますが、入力時に音でガイドできるものまではありません。技術的には可能らしいですが、需要が少なくコストもかかるので造らないと、あるメーカーの答え。
 携帯電話でもある機種においては、全盲でもメールの送受信の操作までできるものがあるぐらいですから、さほどのコストがかかる時代ではないように思えるのですが、どこかで特注でもいいので造っていただけるメーカーはないものでしょうか。

 このように、視覚障害者が、日本に居ながらにして、英語以外の外国語を学ぼうと思ったら、普通であればなんでもないようなことが、とてもとても大変だということを知っていただき、この問題の解決のために協力いただける業者の方にこの声が届くことを願っています。

 たまにですが、友人から、写真や絵画などの展覧会に誘われることがあります。最初はそんなものに行っても、見えなければ何も得るものがないのではないかと思っていました。しかし、友人と行くことで、その友人が感動している心に触れてこちらも感動するということがあると分かりました。旅行やレジャーも同様で、人の反応によって、自分も楽しめます。

 今は、子供達の成長が楽しみで、子育てに喜びを感じると同時に、そのしぐさや言葉に心が癒されます。
 小学校などに講演に行かせていただくことも、たくさんの純粋な心に触れることができるので大好きです。そして、道などで気軽に声をかけてもらうと、とてもうれしく、このような瞬間がとてもうれしいです。
 また、悩んでいる人の役に立てたり、人が喜んでいる姿をみると、なんともいえない感動につつまれます。
 以前はこういう気持ちになることは少なかったです。子供も苦手でしたし、人と比べては一喜一憂して、人より勝りたいという気持ちも強く、実力で負けていると思うと嫉妬心と悔しさで悲惨なものでした。
 なぜこう変わったかというと、人から学ぼうと思い、比べる対象は過去の自分と今の自分。また、自分らしく、今の自分から一歩ずつ前進していこうと決めたことがきっかけでした。断然、今の方が幸福感を実感できます。
 みんなそれぞれ違い、悩みや考え方も全く異なります。それでも不思議なことに、誰でも平等に幸福になれるチャンスはあるのです。これこそが人間の強さでもあり、人生の醍醐味ではないでしょうか。

 当然のことですが、私は視覚障害の不便さなどを自分の生活の中から、感じたままを表現していますが、同じ視覚障害者でも物事のとらえ方も様々ですし、他部位の障害であれば、それもそれぞれの不便さがあるのは言うまでもありません。
 それらをこのように声をあげていかなくては知ってもらいたくても知る術がありません。その意味においても瓜生様がこういった場を私どもに提供くださることに改めてお礼申しあげたいと思います。
 誰もが円滑に生活をおくれるよう、周囲の方々と、もっともっと協調しあい、人に優しい社会の実現のため尽力していきたいと思っています。

*次回(第8回)は、多胎児養育家庭への支援について書かせていただこうと思っております。
音源・文章提供:中島敏明