音楽活動略歴
〜というより、むしろ備忘録?〜

 

1993年夏

14歳

ギターをやってみたくなって購入。中古で1万円也のクラシックギター。
クラシックをやるつもりではないのに、何故かクラシックギターであった。
別にミュージシャンを志したわけではないが、弾き語りというものには憧れたらしい。
何せ、いつでも何処でも歌えるのが良い。

1994年未明 16歳

で、結局フォークギターに買い換えるのであった。YAMAHAの中古のギター。
お値段16,000円也。今から思っても非常に弾き易いギターだった。

1999年秋 20歳

高校を卒業したあたりで、ギターから離れ気味ですっかりやる気を無くしていたが、
ふとしたことからZABADAKに傾倒したうしろだは、バイト代でMorrisのギターを購入。
さらに大学のインターネットルームでZABADAKに関するコミュニティを物色。
吉良知彦哀愁之歌声同好会というページを発見し、そこで当時運営されていた
メーリングリストに参加する。
音楽をやっている人と知り合うのはこの時が初めてであった。

1999年冬
〜2000年

20〜
22歳

上記メーリングリストのメンバーでカラオケボックスに集まって楽器を弾き散らかしたり、
メンバーの結婚披露宴でみんなで合奏したりしたふくよかな日々。
恐れを知らず、音楽を甘く見ていたシアワセな日々であったと今でも思う。

この頃、ザバうた友の会というコミュニティが発足したので参加。
結局ギターを持っていって弾き散らかすのであった。はた迷惑なことだ。

2000年夏 22歳

ザバうた友の会で知り合ったmoe,kayoと3人でヴォーカルユニット
PARRTHASNA(パラスナ)を結成。誰かと組んで音楽をやるのはこれが初めて。
若気の至りで、生まれて初めての音源になる3曲入りシングル「Deidre」を
さぱら氏の個人レーベル「Saparak Record」からリリース。
今から思っても、プロデュースがさぱら氏ってのは豪勢だと思う。
実は大学時代には氏のHPで試聴しまくってて、CD欲しいなあと思ってました。
まさかその人に音源を作って頂けるとは思わなかったので衝撃的であった。
ホント、アノ時はありがとうございました&ご迷惑をおかけしました。

2000年9月  

ザバうた友の会の合宿で場をお借りして、PARRTHASNAのミニライヴを決行。
「演る側」と「観る側」が居る状態で音楽をやったのはこれが初めて。
このユニットのライヴは、今のところ、最初で最後となっております。
10年後ぐらいに同窓会的にライヴ希望。

2001年5月 23歳

京都のLilian's Boogieでソロ弾き語りライブ。1人は心細いよなあ、
やっぱりハモリたいなあ、メインヴォーカルはやっぱ女性よなあ
しみじみ思ったのであった。

その直後  

というわけで、PARRTHASNAのメンバーでもあるmoeと2人で「Viento」を結成。
馴染みの楽器店「FREEK」の店員(当時)川添氏のユニット「AQUA」の前座として
以下のライヴを行う。Viento(風)、AQUA(水)という双方のユニット名から
「風水ライヴ」と命名。悩みも苦しみもあれど、振り返ってみれば気負う理由なく
気楽に音楽をやっていた時期だと思う。ライヴは2回。しみじみと楽しかった。
2001年8月  Lilian's Boogie
2001年12月  Route 9 Bird

そして 24歳

今のところ生涯唯一のバンド「PTYX」を結成。色々思うところあって詳細は省略、
以下のライヴを行う。一番音楽活動を活発に行った&心身ともに消耗した時期。
9月のライヴが終わった頃には気力も尽きれば喉もボロボロであった。

2002年2月 カトリック北野教会
2002年3月 Lilian's Boogie
2002年4月 Live Spot RAG
-----(各々の事情により、ここでメンバーチェンジ)-----
2002年7月 アルススタジオホール
2002年8月 Lilian's Boogie
2002年9月 Live Spot RAG

ライヴ終了後  

1年弱のバンド活動での疲労やストレスや喉の痛みなどが絶妙のバランスで交わって
「音楽やりたくない病」と「バンドやりたくない病」を併発。
音楽やりたくない病は2ヶ月足らずで快方に向かい始めたが、バンドやりたくない病は
どうやら重症だった模様。闘病生活は現在に至る。

その冬のこと  

PTYXで一緒だった、とび氏と2人で京都の「Linne」でアコースティックライヴ。
ライヴより、店に置いてあったダーツに燃えた気がする。
この2人でやる時には、もうちょっとマイクの加減をしないとうるさいだろうなあと
後で思ったりして。とびさんの声は物凄くパワフルだと再認識。

困ったことに 25歳

この頃から喉がさらに不調。声が枯れるとか出ないとか痛いとかってのがあって、
今後は、全力で声を張り上げない方が宜しかろうと自己判断。歌い方も工夫したりとか。
病院では「使いすぎと花粉アレルギーで荒れてますね〜」とか言われたんだっけ。

それから  

友人数人にお願いして歌詞を書いてもらって作曲中。5曲入りの弾き語りアルバムを
作成予定。機材面の問題から個人の体調から仕事のストレスなど色々あって
遅延すること極まりないが、まだまだ諦めていないらしい。

ちなみに 26歳

そろそろ小さなアコースティックライヴを出来ないかと密かに検討中。
メインヴォーカルはその都度変わってもいいかなと思っているので、
うしろだの下手なギターでも歌ってあげるよという親切な方はご一報下さい。
経験不問、未経験者可。

2008年3月 30歳

当HP上に「Solo」を公開。
4、5年前に友人数名から詞を提供してもらい、それに曲を付けるというスタイルで
作成していたものがようやく完成。ギターと歌のみで5曲。
自宅録音した音源を公開するのは生まれて初めてらしい。

2008年6月 30歳

Lillian's Boogieの「Beatles Acoustic Night」にビートルズを知らないのに巻き込まれ、
1曲ハモることに。ついでにマスターのリクエストで「Beatles Acoustic Night」なのに、
スターダストレビューの「木蘭の涙」を弾き語ることに。

で、当日蓋を開けたら「持ち時間は20分ね」と突然言われてソロライヴ。
思いつきでオリジナルやらカバーやらを4曲ほど弾き語り。初心者のようにドキドキした。

その後、マスターが急逝されたので、これがLillan's Boogie最後のライヴに。
11月か12月あたりにライヴを予定していたものの、永遠の延期となってしまった。

2008年12月 30歳

きっかけは風呂上がりの一本の電話。saparaさんからのお誘いを受け、
saparaさん、はくりうさんの「あしたのユニット」のサポートとして、
岡本の商店街でチャリティーイベント的ストリートライヴ。
初めて聴いたはくりうさんの素晴らしい高音に衝撃を受ける。
そして久々に屋外で歌うのは懐かしく、楽しかった。

2009年2月 31歳

昨年8月に急逝されたLillian's Boogieのマスター、大石正巳さんの追悼ライブに、
僕も出演させて頂けることに。RAGのステージに立ったのは何年ぶりだっけか。
それもこれもマスターがセッティングして下さった機会だったので、多分これが最後になるでしょう。
マスターに最後にリクエストしてもらった曲「木蘭の涙」をはじめ、数曲を歌う。
会場には出演者とマスターに馴染みのある人達、一部親族の方もいらっしゃってほぼ満席。
マスターは誰もが認める変人だったけど(失礼)これだけ沢山の縁を築いていらっしゃったんだなぁと感動する。

2009年7月 31歳

ライブイベント「天気雨男・天気雨女」でちょっと弾き語り&あしたのユニットのサポートとして参戦。
まあ、色々ミスとかトラブルとかあったけど、楽しいライブだった。
ステージを純粋に楽しんだのは久しぶりかもしれない。あしたのユニットのお2人、ベースのかないさん、
関東から遠征してきてくれた5dlのお2人、またやりましょうね。

2010年 32歳

出来心でストリートとかやってみた。
楽しかったけど、ちょっと向いてない感じがしたのでやめてみた。
でもまだやってみたいなぁという気持ちは残っていたり。

2010年12月 32歳

ひっさびさに1人でライヴ@Four Seasons(http://four-seasons.6.ql.bz/
地元の山科でリーズナブルにまったりとお酒を飲めるバーということで
ちょいちょい通ってたけど、やっとライヴが出来ました。
ライフワーク的に次に繋いで行ければなぁと。
1人ってのもたまにやると楽しい。企画とか準備とか打合せとか練習とかって気負いが無くて。

2011年2月 33歳

でも、時には気負いがあるのも楽しい。
ってことで、すぎもとさゆりさんの企画にて、中津ToDo(http://mstodo.jp/)をお借りしてライヴ。
ご縁のある方をお呼びしようとした結果、自分ソロでライブをして、
さらに他の出演者(3組)のサポートをするという荒行に自らを投じてしまった。

『音の歌宴』
・うしろだやすたか
・すぎもとさゆり
・紗綾(いつかライブしようと何年も言ってたのですが、この度、東京から来てくれました)
・あしたのユニット

参加したのは全部で21曲。さすがにキャパを超えていたw
でもなあ、楽しかったよなあ。またやりたいよなあ、でも大変よなあ・・・(以下ループ)
や、いずれきっとまたやりますよ。

2011年9月 33歳

ちらいゆうみさんにご紹介頂いて、
というか初ライブをするというのでサポートする形で、
大阪駅ビルの中にある喫茶店「スパニョラ」でアンプラグドミニライブ。

『ケーキセット ライヴ付き』
・ちらいゆうみ
・すぎもとさゆり
・うしろだやすたか
・F原&Fツマ(ユニット名失念)

2012年3月 34歳

友人にしてミュージシャンの紗綾ちゃんが仕事の都合で日本をしばらく離れるというので、
じゃあ日本を離れる前にもう1回やっとく?というわけでメインイベンターにお迎えして再度ライブ。

さらに関東から5dlも来てくれるというのでちょっと話が大きくなりまして。
Mrs. Dolphinという、今は移転したけど生音が綺麗に響いてリーズナブルな箱を借りてちゃんとライブ。
紗綾ちゃんとは前日にスタジオ入りしてリハしただけだったけど彼女はさすがでした。

『春夜旅立歌宴』(はるのよのたびだちのうたげ)
・ちらいゆうみ(Gt. Cho.うしろだやすたか)
・自分ソロで2曲だけ
・はくりう(Gt. Cho.うしろだやすたか)
(休憩時間はsaparaさんのパフォーマンス)
・5dl
・紗綾(Gt. Cho.うしろだやすたか)

2012年9月 34歳

新大阪の「Tamariba Cafe」という、
何故か2階にミニステージが備え付けられているカフェでミニライブ。
この緩い雰囲気のライブ会場が最近気に入ってます。ドリンクやご飯も美味しいですよ。

『Afternoon Tea Live』
・ちらいゆうみ
・すぎもとさゆり
・うしろだやすたか

2013年10月 35歳

関東から諸般の事情でギターボーカリストのぼろんじ君が来て、
一晩泊めてくれというので、じゃあついでにライブもしようじゃないか、という
よく分からない流れで1年振りに再び「Tamariba Cafe」へ。

『ぼろんじを迎撃する 2013年、秋のライブ』
・すぎもとさゆり
・うしろだやすたか
・ぼろんじ

   

 

 

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