Tears 



きっかけは偶然行った運動場で試合をする君の姿を目にした時から。

そこで初めてテニスをする君を見た時、心の中の何かが揺れた。

・・・それは初めて人を“美しい”と思った瞬間。

 “強くなりたいから・・・”
こんな場所でプレイしている意外さに思わず声をかけた自分にそう返し、君はそう言ってはにかんだように笑った。

 

それ以来、君を見る度、心の何かがざわめいた。
気付けば君が気になって、気付けば君を目で追っていて。
そして気付かぬうちに君は、落ちる雫のように少しずつ僕の胸に積もっていった・・・

 

でも・・・君の瞳は僕を素通りしてはるか遠くを見つめていた。
 僕と出会う前から。



「手恁N。」

自分を呼び止めた声に振り返るとそこには同級生の大石がいた。

「今帰りかい?」
 「ああ、大石君も?」
 「ああ、オレはボール当番だったから。」

そう言って爽やかに笑いながら大石は手怩ノ歩み寄る。
「・・・いよいよ明日はランキング戦の初戦だね。」
そのまま手怩ニ肩を並べて歩き出すと大石が待ちかねたように瞳を輝かせながら口を開いた。
「初戦では無理だとは思うけど頑張ってみるつもりだ、精一杯ね。」
そう言ってまっすぐ自分を見つめてくる大石の視線が眩しくて、手怩ヘ少し目を細める。

 「頑張ろう。」
 「ああ。」

何か気の利いた言葉を言いたいとも思ったが、結局それだけを口にした自分に大石は力強く頷く。
明日は3年が引退した後、初の青学のレギュラーを決めるランキング戦が予定されていた。
そしてそれは1年が参加する事が晴れて許された初めてのランキング戦でもあった。
 
 「今回の初戦では1年はどのくらいレギュラー入りできるんだろうな?」

大石が指を折って数える。
 「今いる1年生は君と乾君に河村君、菊丸君・・・そして・・・」
 「不二君。」
 「あ、そうだね。」
手怩フ言葉に大石がぽん、と軽く手を打つ。
 「校内の練習ではほとんど基礎トレばかりでみんなのプレイってあまり見た事がないから、誰がどの程度の強さかあまり見当がつかないけど・・・」
そう言って大石は空を見上げる。

「誰がどんなプレイをするかは楽しみだな。」
 「ああ。」

その大石の言葉に手怩ヘ頷く。
このテニス部の部員は仲間であると同時にライバルなのだ。そのライバル達の試合運びを見られる意味でもこのランキング戦は重要なものだ。
そこを的確に捉えている大石の冷静さに手怩ヘ改めて彼を見直す。
きっと彼も上がってくる。そう確信して。

 「・・・あれ?そっちだったっけ?帰る道??」

校門をくぐった手怩ェ帰宅する道とは反対に歩き出したのを見て大石が首を傾げる。
 「用事があるんだ。」
自分はあまり口数の多い方ではない。こんな無愛想な自分の対応に大抵の人間は眉をひそめるのだが、大石はにっこり笑って頷く。
 「そうか、じゃ、また明日。」
 「ああ、また。」

そんな大石にそう言葉を返して手怩ヘ歩き出す・・・慣れた道を。



 “もう何度この運動場に足を運んだ事だろう。”

そんな事を思いつつ、手怩ヘ慣れた足取りでテニスコートへと向かう。
ここは都内の運動場の中でも施設の揃っている方で、そこそこの広さもあり、練習には都合のいい場所である。今も何組かのプレイヤーがコートを使用している。
しかし、その中に探している姿は見当たらず、手怩ヘ眉を寄せた。

 “来ていないんだろうか・・・”

明日はランキング戦。それに備えて彼は部活終了後、まっすぐ帰宅したのかもしれない。
そう思いつつコート裏へと足を運ぶと、どこからか規則正しい高音が聞こえて来る。
手怩ヘ首を巡らせ、その音のする方へ目を向ける。
・・・自分の視線のずっと先に探していた姿があった。
彼は壁に向かってボールを打っていた。緩急をつけ、角度を変え、一心にボールを追っている。
壁打ちに集中しているせいか彼は自分に全く気付いていないようだ。
自分もあえて声をかけようとせず、そんな彼のフォームをじっと見つめる。
しなやかで流れるようなそのフォームはいつ見ても美しい、手塚はそう思う。
いつまでもそれを見ていたい、と思うほどに・・・

・・・と、彼の足が軽くもつれ、僅かに上体が揺らいだ。と同時に速度のついていた球が彼の脇を掠め飛んでいこうとする。

 “!”
それを見ていた手怩ヘ思わず身を乗り出す。
しかしその球は伸ばされたラケットの先が鮮やかにすくい上げ、その勢いのままガットの上を軽やかに回る。
その動きで流れた彼の視線がふっとこちらを向いた。
 「・・・あ」
自分を視線に捉えた途端、彼は小さな声を上げ、自分を凝視した。
注意が逸れたラケットヘッドからせっかく捕えたボールが滑り落ち、軽い音と共に低くバウンドして地面を転がっていく。
 「不二・・・君?」
そのひどく驚いたような彼の顔に手怩ヘ訝しげに彼を呼ぶ。

 「あ・・・手塚・・・君。」
その呼びかけに自分だと気付いたのか、不二は確かめるように自分を呼ぶと、はにかんだように笑った。
 「いつからそこにいたの?」
落としたボールを拾い上げると不二は手怩フ元へと歩み寄ってきた。
 「声、かけてくれればよかったのに。」
 「集中しているのに悪いと思った。」
 「壁打ちぐらいでそんなに遠慮しなくてもいいのに。」
軽く目を見開いた後、くすっと笑う不二にまさか彼のフォームに見惚れていた、とは言いづらくなり手怩ヘ話題を変える。
 「今日、君、試合は・・・?」
・・・この運動場に来ると不二はその場にいるプレイヤーに試合を申し込んで、プレイしている。
それは試合慣れするという事も含め、色々な対戦相手を経験する意図もあっての事なのだと手怩ヘ気付いていた。
技術だけではなくどれだけ試合慣れするかはプレイヤーにとって重要な条件だ。色々な人間が集まってくるこの場所はそれに対してベストな練習場所といえるだろう。
そんなしっかりと目的意識を持っている彼・・・いわばここに“試合の練習”にくる不二が相手を見つけず壁打ちをしているのは意外で。
 「君こそ試合をしにここに来たんじゃないの?」
 そんな自分の指摘に不二はちょっと笑って手塚を見る。
 「最近、よく来てるけど気になるプレイヤーでもいるの?」
 「・・・・・」
その問いかけに思わず言葉に詰まり、視線を逸らした手怩ノ不二は不思議そうに小首を傾げるが、ふっとその顔を改める。
 「・・・ねぇ、手恁N。」
改まった調子でそう彼に呼びかけられ、手怩フ視線が彼へと戻る。
 「もし、対戦相手が決まっていないなら僕と試合してくれないかな?」
 「試合・・・?」
 「・・・実はね、待ってたんだ。今日ここで君と会えたらそう言おう、って。」
そう言った自分を不思議そうに見る手怩ノ、不二は少しはにかんだ調子でそう言うと視線をまっすぐ彼へと向ける。
 「試合してもらえる?」

 “・・・不二君・・・?”
そのいつにない真剣な不二を、手怩ヘまじまじと見つめ返した・・・



 「手恁N。」
コート整備を終えた後クラブハウスに向かう途中、呼びかけられた声に振り返ると、大石が爽やかに笑いながら自分を見ていた。
 「レギュラー入りおめでとう。」
 「・・・ありがとう。」
言葉少なくそう言う手塚に大石が弾むような調子で続ける。
 「やっぱり君はすごいや。結局、全戦全勝だったもんな。」
 「・・・組み合わせに助けられたところもあったから。」
ややあってそう言った手塚に大石はちょっと目を見開くが、すぐににっこりと笑う。
 「でも、全勝は全勝だよ。」
 「・・・・・」
 「でも、正直びっくりしたよ、今回1年からレギュラーが2人も出るなんて。」
ふっと眉を寄せた手怩ノ気付かず、大石がため息をついて宙を仰ぐ。
 「・・・不二君があんなに強かったなんてね。」
これは大石だけの感想ではないはずだ。手怩ニ違って今までノーマークだった不二が全戦全勝という成績でレギュラー入りを果たした事を周囲は驚嘆の目で見ていたから。
 「すごいな、不二君は。」
 「・・・ああ。」
しかし、不二の能力を知っていた手塚は言葉少なく答える。
“・・・本当はあんな物じゃない、彼の実力は。”
手怩ヘ昨日の試合を脳裏に描き出す。

今まで彼と打ち合ったことがなかったわけではない。幾度か試合もした事もある。
自分が知っている彼のプレイスタイルは持つ技を全面に繰り出して戦う技巧派のそれで、同時に試合や相手の流れに逆らう事なく試合を進めるプレイヤーだ。
・・・しかし昨日の彼は違っていた。
一球一球をただまっすぐに打ちつけ、そして自分の攻撃もその持ち技でかわすことなく全て真正面で受け止めて返して。
そこにはいつもの華麗さ、緻密さはなく、変わって圧倒するほどの気迫と力強さがこもっており、自分は思わず目を見張った。

“彼はこんな試合運びもするのか?”
・・・それは本気になれる相手が少ない自分の背中をひやりとさせながらも同時に心臓を高鳴らせた。
試合は自分が征したものの、一度感じた心臓の高鳴りはいつまでも消える事はなかった・・・



 「そういえば不二君、姿が見えないね。」
 「ついさっき帰ったよ。」
周囲を見回す大石に手塚が言う。
 「用事があるとかでね。」
 「何だ、一足遅かったか。」

彼にもおめでとうと言いたかったのに、そう言って残念そうに眉を寄せる大石に手怩ヘふっと目を細める。

「・・・今度は君だね。」
 「・・・手恁N?」
 「待っているから。」
そう言った自分を驚いたような目で見つめる大石の視線を手怩ヘ眩しそうに避けると、
 「オレも用事があるから。」

そう言い残して彼に背を向ける・・・




運動場は昨日と同じようにテニスに興じるプレイヤーでそこそこの賑わいを見せていた。
そのコートの最奥・・・Cコートに視線を投げると、コートを臨むベンチに腰を下ろしている学生服姿の彼を見つけ、手塚はその表情を緩めた。
 「・・・手恁N。」
今日は自分の姿に気付いたのか、歩み寄る途中で不二はその顔をこちらへと向ける。
「おめでとう。」
「?」
不意に投げかけられた言葉の意味がわからず目をしばたくと、不二は苦笑する。

 「レギュラー入りのことだよ、君のね。」
 「・・・それは君もだろう?」
 「そうだね。」

自分を称える不二に言葉少なに言い返す手塚。そんな彼を不二は上目遣いに見上げる。

 「まさか、レギュラーを取るとは思ってなかった?」
 「・・・いいや。」
その問いかけに手怩ヘ少し目を見開いたが、そう答える。

 「君なら取れると思っていた。」
 「君に一度も勝てた事ないんだよ?それなのに??」
不二は軽く目を見開くと、そう言ってくすっと笑う。
 「まぁ、君とやって勝てる人なんてそうそういないとは思うけどね。」
 「それはわからないさ。」
そんな不二の言葉に手怩ヘ軽く肩をすくめる。
 「オレより強い人間、その可能性を秘めた奴なんていくらでもいる。」
そう言って手塚は彼の隣に腰を下ろすとちらり、と不二を見る。
 「・・・今日は試合は?」
そう言ってから、昨日と同様のセリフを口にした事に手怩ヘ気付く。
でも、いつもならこの運動場にいる彼はテニスウェア姿で、そんな彼が学生服のままでいる事が意外に思えて。
 「ああ、うん。」
そんな訝しげな手塚の視線と言葉に不二は頷き、ちょっと笑った。
 「・・・今日は・・・っていうか、もうここの運動場で試合はしないよ。」
その言葉に驚いたように自分を見る手怩フ視線を眩しそうに避けると不二は続ける。
 「だって、学校のコートが自由に使えるじゃない、レギュラーになれたんだから。」
 「不二君・・・」

そう言った不二に手怩ヘふっと眉を寄せる。

 「でも・・・君がここに来ていたのはそれだけの・・・練習のためだけじゃないだろ?」
少し迷った後、そう口にした自分を驚いたように不二が見つめる。

そんな不二の様子に手怩ヘ抱いていた自分の思いに確信を持った。

・・・いつの頃からか気付いていた。彼は練習のためだけにここに来ているのではないと。
強くなりたい・・・彼は言った。そしてその理由。 

“会いたい人がいるんだ・・・”

・・・それは初めてこの運動場で彼と話した時、彼が呟いた言葉。
彼はその“会いたい人”をこの運動場で待っているのではないのか、と。
・・・そしてそれに気付いた頃から自分の胸が一層ざわめきだしたのだ。

その理由はその時はわからなかったけれども・・・

 

「レギュラーになったらもうここには来ない、前からそう決めていたんだ。」
ややあって不二はぽつりとそう言った。

「だから昨日は君と試合がしたかったんだ。・・・最後のけじめとして。」
“その人に会うのを諦めたの・・・か?”

そう思いかけた自分の耳に不二の言葉がゆっくりと落ちる。

 「ここに来ていた僕を知っている君とね。」

“ここに来ていた君を知っている・・・僕?”

鸚鵡返しに胸の内で呟いた手怩ヘ次の瞬間はっとした。

・・・ここに来ていた不二を知っているのは自分だけではない。
それは、彼が会いたいと願っている人も知っている・・・事。

不意に手怩フ脳裏に昨日の試合が蘇る。
自分が知るスタイルとは全く違う、技も戦略も何もかも殺ぎ落とした骨格そのもののテニスをぶつけてきた彼。
・・・昨日、本当に彼は自分と試合をしていたのだろうか?

彼が試合していたのは、もしかすると、自分ではなく・・・

 「これで一緒に全国を目指せるね。」
そんな自分の耳に遠くから響いてくる君の声。
 「大石君から聞いたよ。・・・きっと君なら部を導いてくれる、そう思うよ。」
 「不二・・・君」
 「君なら信じられる、何があってもね。」

 “僕を信じる・・・?”

その言葉にはっとして君を見ると、君は僕を見て静かに微笑んでいた。
その静かで凛とした美しさに僕は思わず息を飲む。

 

いつからか“天才”と呼ばれ、露骨な羨望と嫉みの視線に曝されてきた自分。
自分には人の痛みや想いなど心からわかる事はないのかもしれない・・・そんな視線に出会うたびそう思ってきた。 

そんな自分をいつも予想もしない言葉や行動で驚かせる君。
それは思わず躊躇してしまうほど、いつも優しく、暖かくて。
でも、そんな優しいはずの君の言葉はひどく冷たく自分の胸に落ちる・・・

 

“・・・そんなに、会いたいんだ・・・”

ただ待つだけじゃない、全国を目指してその名を知られる事でその人を探そうとしている。そんな困難な道を選び取ってまでも、君はその人に会いたいんだ・・・

そう思った瞬間、胸の奥に初めて突き抜けるような痛みが走った。

君を見る度に感じていた思い。胸の中に雫のように落ちていた“その”思い。
君がその人を思う強さ。それに触れた事で激しく痛んだ胸。
その痛みと切なさに、今まで気付かなかったその“感情”にようやく僕は気付いた。

“僕は・・・君を・・・”


 「行けるかな?全国??」

そんな僕を見つめる君の瞳の色はまっすぐで、強くて、眩しくて、その美しさは僕を深く射抜く。 

“君にそんな瞳をさせるのはどんな人なのだろう・・・?”

「・・・行こう。」

・・・他に何が言えただろうか。
そんなにも思っている人がいる君に対して僕は何ができるのだろうか?
せめて僕もそんな目をさせる事が出来たのなら・・・

 「言おう言おうと思っていたんだけど・・・」
・・・ふっと君がはにかんだ様子で口を開く。
 「あの・・・不二、でいいから。」
 「?」
 「君、づけじゃなくていいから。」
そう言って君は僕を見つめてにっこりと笑う。
 「君の事、手怐Aって呼んでもいいかな?」
 「・・・ああ。」
そう答えた自分の声がはるか遠くに聞こえた。

僕は上手く返事が出来たのだろうか・・・

 

 

 

・・・僕はひとつの夢と引き換えに、その気持ちを胸の奥深くへと閉じ込める。
君の笑顔を、その眼差しを君の傍で見つめつづける事を選んで。

 

君が微笑う、僕を見て。 
 優しく、綺麗に、そして・・・無邪気に。

 “手怐E・・”
君が僕を呼ぶ。聞きなれたその声で、いつもの口調で。

・・・冷たさに火傷しそうなその雫は、その度にひとつ、またひとつと落ち続ける。

閉じ込めて蓋をしたはずのその気持ちに。
 軋む音を立てる、僕の胸へと・・・

 

                                            Fin