桜
“今から出てこられる?”
いつもであればそろそろ眠ろうかと考える時刻に受けた恋人からの呼び出しに、リョーマは身支度も早々に家を抜け出した。
「お待たせ。」
待ち合わせの場所にその姿を見つけ、まるで自分が誘ったかのように声をかければ、嬉しそうに笑って不二が駆け寄ってくる。
「ごめんね。こんな遅い時間に。」
「いいすよ、別に。・・・で、何なんすか?」
本当はもっと早く誘いたかったんだけれど・・・と少し決まり悪げにする不二にそう問いかければ、彼ははにかんだような笑みを浮かべた。
「散歩に行きたいな、と思って。」
「散歩?」
「うん。一緒に歩きたいと思ったから。」
・・・この人の唐突な発想、発言は今に始まったことじゃない。
でも、その言動、行動も悪くないと思ってしまうのはやっぱり惚れている弱みなのだろうか?
微笑んだままきびすを返して、自分の少し前を歩き始めた不二の背中を見つめ、リョーマは苦笑する。
前を行く不二のその足取りはどことなく意思があり、単なる散歩、というより何か目的があるような気がしたが、リョーマは黙って不二に付いていく。
少し風が出てきたらしい。
家を出た時は夢中で気づかなかったが、やはり春の初めのこの気候はまだまだ寒く、吹くその風も冷たい。
思わず身を縮め、コートの襟を立てたリョーマは、手を伸ばして前を歩く不二の手に触れる。
「・・・やっぱり冷たいね。」
思った通り、触れたその指先は冷たくひえていて、リョーマはその手を自分の側に引き寄せると、軽くはあ、と息を吹きかけた。
「越前・・・」
そのままごく自然に自分の手を握りしめ、肩をならべたリョーマに不二は軽く目を見開く。
繋がれたその手から確かに伝わってくる温もり。
それがとても嬉しくて、そして少し切なくなった不二は慌てて口を開いた。
「どこへ行くのか・・・って聞かないんだね?」
「どこかへ行くつもりだったの?」
その事には気づいていたくせに。そ知らぬふりをしてリョーマは聞く。
「オレとしてはどこへ行こうが構わないけどね・・・あんたと一緒なら。」
「・・・実はね、お花見をしようと思って。」
さらりとそう返すリョーマにちょっと笑って不二は言った。
「お・・・花見?」
「うん。少し早いけど花が咲く木があるんだけど・・・」
「・・・・・」
この国に住んでそれほど経たない自分にはいまいち日本の風習、習慣がわからない。
お花見、花が咲く木・・・などという言葉からすれば花を見るって事なんだろうが、わざわざそう断ってまでする事なんだろうか・・・?
「・・・行きたくない?」
そんな自分の沈黙を不満と取ったのか、こちらを伺うようにしている不二の視線にリョーマは小さく肩をすくめる。
「言ったでしょ?あんたと一緒ならどこへでも行くって。」
「よかった・・・」
自分のその言葉にほっとしたように微笑むと、今度は遠慮なしに早足に歩き始めた不二に遅れを取るまいとリョーマも歩調を合わせた。
・・・しばらく続いていた夜の住宅街はいつしか途絶え、家もまばらになっていた。
通りも月明かりだけが頼りの薄暗いものになっていて、この先に本当に目指すものがあるのだろうか・・・とリョーマは眉を寄せ、傍らの不二をちらり、と見る。
「・・・ごめんね。」
そんな自分の視線に気づいたのか、宥めるように不二が言い、その首を巡らせる。
「でもあと少しだよ・・・ほら。」
“・・・あ・・・”
彼につられてその視線の先を見たリョーマは軽く息を呑んだ。
そこにはまるで突然暗い中に浮かび上がったかのように白いものが揺れており、それが何かがとっさにはわからず、リョーマは目をしばたいた。
「桜だよ。」
そんなリョーマに不二が淡く笑った。
「・・・桜?」
「ウチの学校にもあるんだけどね。覚えてない?」
「・・・はぁ・・・」
「でも学校のはもっと後に咲く種類の桜なんだ。これは彼岸桜って言って他の桜よりも早く咲く種類のものなんだよ。」
でも、ここのは特別早いんだけど・・・と、不二は目を細め、繋いだままのリョーマの手を引いた。
「もう少し、近くに行こうよ。」
・・・それは白い花を満開につけた大きな木だった。
今が盛り、もしくはそれを過ぎかけた頃のようで、びっしりと花をつけたその枝は重たそうに風に揺らめき、盛んにその花びらを落としていた。
突然現れたように見えたのはその木が何本かの冬にも葉を落とさない木の影に隠れていただけで、なかなか視界に入らなかったためのようだ。
「思ったより咲いているね。」
その木のすぐ下まで来て不二はそれを見上げつつ言う。
そんな不二につられるように木を見上げれば、本当にたくさん花は咲いていた。
こんなに花をつけている木なのに、どうして近づくまでこの存在がわからなかったのだろうか・・・とリョーマは首をかしげ、ある事に思い至った。
この木の花には匂いがない。
こんなにたくさんの花が咲いているにもかかわらずだ。
それがとても不思議な事に思えて、それを確かめるようにリョーマは辺りの匂いを嗅いだ。
「あのね、桜には香りはないんだよ。」
そんなリョーマの仕草に気づいたのか不二はちょっと笑った。
「ない、と言ったら嘘になるけど、花が咲くほどに香らないんだ。」
「・・・ふぅん。ねぇ、お花見って、桜を見に来る事なの?」
「・・・まぁ、他の花を指す事もなくはないけど、大抵はそうだね。」
そう応えた不二にリョーマは肩をすくめる。
「こんな匂いもない花が好きなの?日本人って?」
「え?」
「だってわざわざ見に来るんでしょ?この花を??」
「・・・そうだね。香りのないのを桜の欠点だと思う人もいるみたいだけど・・・」
不思議そうにそう言うリョーマに不二は苦笑を浮かべる。
「でも、僕はそれでいいように思うんだ。見た目で充分にインパクトがあるからね。この花は。」
不二の言う通り、よく見ればとても華やかな木であった。
満月ではない月明かりは薄く、失われた色の中でその小さな花ひとつひとつがまるで光を放つように白く見え、そしてその光が木全体を淡く包んでいるように見える。
“・・・?・・・”
・・・木を見上げていたのは大して長い時間ではなかった。
でも身体が花に引き寄せられて浮かび上がっていくような妙な感覚を覚え、リョーマは目をしばたいた。
「どう、綺麗?」
そんなリョーマに不二は淡く笑う。
「綺麗だと思ってもらえないとわざわざ連れて来たかいがないんだけどな?」
そう言って小首を傾げた不二の髪にひとつ、ふたつ花びらが舞い降りる。
それを払おうとリョーマが手を伸ばした時、ふっ・・・と風が吹いた。
「あ・・・」
強めに吹いたその風に枝がしなり、たくさんの花びらが辺りに降りそそいだ。
「・・・まるで雪みたいだね。」
不二のその言葉通り、まるで吹雪のようにたくさんの花びらが視界を横切り、その白さにリョーマは一瞬目が眩み、慌てて腕で自分の目を覆った。
と、その拍子に手の力が緩んだのだろうか、しっかりと握り締めていたつもりの不二の手がするり、と離れる。
その気配に慌てて顔を上げると、不二は自分から離れ、その木の根元に立っており、じっとそれを見上げていた。
「・・・先輩?」
「・・・本当に綺麗だね・・・」
木の幹に手を触れ、うっとりとそう呟く不二は白い花の間で霞んでいるように見え、リョーマは慌てて目をしばたく。
「この木はね、僕が小さい頃からずっとここにあるんだ。その頃から変わらずにこうして花が咲く。」
香りのないのに花が散り、光もないのにほの明るい一種不思議な空間に、高くもなく、かといって低くもない不二の声がゆっくりとたなびくように響く。
この木の花を君の今年見る初めての桜にしたくて・・・そう言って微笑む不二の顔はその花の色を映したように白く、そのまま花に溶け込んでしまいそうな錯覚を覚える。
「?どうしたの??」
いきなり強く腕を引かれ、リョーマの側に引き寄せられ、不二は目をしばたく。
「・・・何でもない・・・けど。」
思った事を正直に言えば笑われてしまいそうな気がして、リョーマは言葉を濁し、改めてその“桜”を見上げる。
「これから何年たっても変わらないんだろうね、この木は・・・。」
その横でそうつぶやく不二の底にある響きを感じ取り、リョーマは繋いでいる手に力を込める。
「・・・オレも変わったりしないから。」
「え?」
「他の事はともかく、あんたを思う気持ちは変わらない自信がある。」
「・・・越前・・・」
振り返れば、そのひたむきな瞳が自分を射抜く。
「・・・変わるのは君とは限らないよ。もしかしたら僕が変わってしまうかもしれない。」
その瞳の色はあまりに眩しくて、決まり悪くなった不二はついそう口走る。
「・・・先輩・・・?」
「例えば・・・僕が他の人を好きになってしまったら君はどうするの?」
そんなことはありえない。
驚いたように自分をじっと見つめてくるリョーマに不二は内心で苦笑しながら思う。
今でも君の言葉のひとつひとつに動揺して、期待して、そんな自分を持て余しているのに。
・・・きっと、このままこれからもずっと変わらずに君を思っていくだろう。
でも・・・君はいいんだよ。変わっても。
僕は光ある君の瞳が好きだ。伸び伸びとしている君が好きだ。
君が幸せなら・・・それでいいから。
「・・・いいっすよ。」
「・・・え・・・」
「いいっすよ。他の人、好きになっても。」
小さなため息と共にそう紡いだ彼の瞳はいつになく大人びた色をしていて。
「越前・・・?」
「あんたが・・・その相手の事を本当に好きで、その選んだ相手といることが幸せだと思ったんなら。」
一言一言をまるで自分ではなく彼自身に言い聞かせるかのように紡いで、ゆっくりと手を離したリョーマ。
また風が吹いてリョーマと自分との間に花びらが吹雪のように流れ、瞬間、目の前にいるはずの彼の姿が遠く霞んだように見え、不二は目をしばたき、そして苦く笑った。
「・・・ごめん。」
「え?」
「ごめんね。君はこんなに僕のことを真剣に思ってくれているのに。」
「先輩・・・」
信じていないわけじゃない。でも今を失うことが怖くて、不安で、こんなにも自分が臆病であったことに驚いている。そして情けないとも。
「ごめん・・・」
そう言って俯いてしまった不二が急に小さく見えて、気づけばリョーマはその身体を強く抱きしめていた。
「??越前?」
「やっぱりどこにもやらない!」
「え・・」
「あんたはオレのだ。だからどこにも行かないで。ずっと傍にいてよ。」
「越前・・・」
自分の胸に顔を埋めて幼子のようにそう呟くリョーマに、不二は痛みにも似た切なさを覚えながらその髪を撫でてやる。
「・・・忘れないで。こうして桜を一緒に見たことを。」
時は移ろう。
変わる気がなくても、変わりたくなくても、変わらなければならない時はきっとくる。
ならばせめて記憶に刻みたい、君といた時を、変わることのない光景とともに。
「忘れないで・・・ここに僕がいたことを。」
「先輩。」
顔を上げれば優しい鳶色の瞳が真っ直ぐに自分を見下ろしていた。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいて。
その涙の訳をあえて訊ねようとはせず、リョーマは背伸びをし、不二の双の瞼に唇を押し当てる。
「オレ、この花、好きだよ。あんたに似てるから。」
華やかで、妖艶で、存在感があるくせにどこか現実味を感じさせなくて。
「だから・・・また見にこようよ。来年もさ来年もその次もずっと。」
「越前・・・」
不二の顔に今度はゆっくりと笑みが浮かんでいく。
それを満足そうに眺めた後、リョーマは再びゆっくりと伸び上がった・・・
しっかりと抱き合う幼い恋人同士の上に、今が盛りの早咲きの桜はまるで彼らを包むかのように惜しみなく花びらを散らしていた。
終
以前オフにしていただいた話の再録です。
季節的に良いかと思いましてアップいたしました。
唐突ですが不二は花に例えると桜、と私は勝手に思っています。
昼と夜の顔が違う、無駄に色気がある、気難しい(植え付け、植え替えなど)死体を餌にしている等々・・・ぴったりだと思いませんか(笑)
じゃあリョーマはどんな花か・・・思い浮かばないんですね、これが;;
これぞ、という彼に似合う花、木、あればお教え下さい。妄想の種にします(笑)
因みに夜桜は”優雅な美人”という意味があるそうです。私は夜桜は美しすぎて少々気味が悪いですが;;
それでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。