効果音はどただかばただったか。
何の原因かバランスを崩して、倒れこむように僕の膝に転がり込んできた人物に僕は目を見開いた。
 



バレンタインデーパンチ
 
 
 
 
 
「・・・・」
「・・・・・」
凝視する僕と、振り向いた越前と。
僕らはしばし居心地の悪い時間を共有しながら目を合わせた。
振り向く前からそれが越前であることには気づいていた。彼の白い帽子は間違いようもないトレードマークだ。
小柄な体型にレギュラージャージとくればこれはもう間違いようもない。青学レギュラー陣にこれほど特徴を持った人間も少ないのではないだろうか。
まあそんなことはどうでもいいが。
とりあえず僕は言った。
「えと。どいてもらってもいいかな?」
これは普通僕から言うことなのか。
一応仮にも先輩の膝の上に間違ってでも押されてでも転がり込んでしまった場合、即座に詫びを入れ飛びのくものではないだろうか。
まあこの後輩に限ってそういう謙虚な態度というのも想像しがたいが、いつまでも居心地よく居座られても困るというのも事実なところだ。
「先輩はさ、今日チョコたくさんもらった?」
越前は僕の膝から腰を浮かせるでもなく、詫びを入れるでもなくそんなことを聞いてきた。
唐突だな、と思いながらも僕は越前を膝からどかすことを優先するべきか越前の質問に対する回答を優先するべきかわずかの間迷った。
結局後者を優先させた理由は、きょろりと瞳を間近な距離で向けてくる越前をもう少し見ていたいと思ったからだ。
この距離でこの強く大きな瞳を見つめることなんてそう恵まれるような機会はないだろうし、この先、この気まぐれで生意気なルーキーが膝に乗ってくるようなことがあるとも思えない。
もう少しくらいなら甘やかせてもいいかとそんな気持ちもあった。
「・・・・そんなこと聞いてどうするのさ。君だってもらってそうじゃないか」
少しでも相手の情報を引き出しつつ自分の情報はクローズに。
僕の会話術の基本だ。
本心は読ませたくない。例え誰にであっても。
まして後輩になんて冗談じゃない。
僕は目の前で僕を観察している後輩ににっこりと柔らかな笑みを浮かべる。
僕が越前を膝に乗せたまま談笑するというその図は、なにはともあれ他の部員には衝撃を与えたらしかった。
部室にいた他の部員たちは視線を合わせずに着替えを終了させ、そそくさと出て行ってしまった。
その部員たちの中にとりあえずは様々な意味で要注意なレギュラーメンバーは含まれていない。
これならあとでうるさくされることもないだろうと判断する。
出て行った最後の部員の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、時計を確認した。
まだ時間には余裕があるなと思いながら、僕は残り時間で全力で越前をからかうことに決定する。
「オレ?もらってないっス。全部断った。下駄箱に勝手に入れられてた差出人不明のは、仕方ないからもらったけど」
「へえ」
それは予想外であり、予想の範囲でもあり。
越前ならそう言うこともありうるかもとは思っていたから特にどうということはない。ともあれ越前は面倒くさそうに続けた。
「そういうのってさ、ウザくないっスか?本命からなら欲しいけど。それ以外は意味ないでしょ」
「君って本当にシンプルだね。世の中には社交辞令とかお愛想ってものもあるんだよ」
その場合、意味があるかないかは大して問題じゃないってこともあるし、と僕が言うと、越前はつまらなさそうに応じる。
「それで誤解が生じるんだから本当に厄介」
「まあそうかもね」
まあ確かにそういう側面もあるかもしれない。
「先輩はさ、本命、いないの?」
僕は少し考えた。どう答えるのが最も面白いかを考える。
越前の反応が面白そうな答え。
「うーん?手塚?」
いいながら僕はにっこりと首をかしげた。
「マジっスか?」
だいぶ本気にしたらしい越前の瞳がぱちくりと見開かれる。
僕はうまく引っかかってくれたことに満足しながら、にこにこと笑って続けた。
「って噂があるらしいよ?君もそう疑いを持ってるのかなと思ったから」
「噂って本当だったんだって焦ったじゃないっスか!」
なぜか本当に焦った様子で越前はいってくる。
越前は周囲の他人がどうなっていようとそれほど気にするタイプには見えないが、さすがに尊敬(?)する手塚がホモっていうのは嫌だったのかもと僕はのんきに考えた。
あの手塚にそういう問題でもなく恋愛というカテゴリーがあると考えているあたり、越前は手塚をだいぶ過大評価しているとも言えるが。
とりあえず僕は問いかけた。
「君がそう勘違いするくらい真実味のある噂なんだ?」
越前は少しだけ呆れたような表情を作る。
「・・・・、と、いうか先輩たちの態度が周りにそう勘違いさせてるってののほうが正解だと思いますけどね」
わざとなんでしょ?と言外にとわれたような気がして僕は苦笑した。
その推察は当たっている。
確かにその噂が心底嫌なのならばそれらしく誤解を受けない態度を取るべきなのだろうが。
むしろそれを愉しんでいる部分が僕には確かにあった。
手塚には悪いが、そのほうが楽だからだ。変なのが寄ってこない。
見事正解を言い当ててくれた越前に、仕方なく曖昧に僕は微笑んだ。
聡い越前にならこの微笑の意味も理解できるだろう。そういう部分では越前と手塚とでは違う。
越前は僕の微笑を受けてにやりと笑った。
「それが本当に勘違いだって言うんならさ、別の噂立ててみない?オレと」
そしたら手塚部長との噂なんかすぐ消えますよ。オレなら部長よりもっと周囲の牽制にも協力的だし。
そういって、越前は笑っている。
僕もにっこりと笑みを深めて見せた。
「・・・・やめておくよ。竜崎先生のお孫さんに申し訳ないし?」
可愛いよね、と付け足すと越前はむっと眉を寄せて途端に不機嫌そうだ。
ぼそっとした声が続く。
「関係ない」
「もう1人、彼女といつも来てる女の子もいるよね」
手塚はファンは数多くいても付き合いたいという女の子は、なぜだか意外と少ないから恨みも買わない。そういう意味でも僕にはちょうどいいのだ。
その点、越前は違う。
ファンも多いが、彼と付き合いたいと思っている女の子も多いだろう。そういう面倒なことに巻き込まれるのはごめんなんだよね、と僕は思っていたのだが。越前はどうにもごまかされてくれる気はなさそうだ。
「興味ないっス」
「君って本当にシンプルだよねえ。あ、そっか」
シンプルではっきりしている。必要なものと不必要なもの、その二つでのみで分別のカテゴリーが構成されているかのように。
そう思ったときふと思いついたことがあった。ひらめきの言葉を口にしたままその内容を語らない僕に越前は焦れたようだ。
せかしてくる。
「なんスか?」
「君はもしかして僕との噂でそっちを牽制したいのかな?」
いってしまってから、シンプルな越前がそんな面倒な手段を択るだろうかとふと疑問に思った。
僕がその疑問に対して答えを出す前に越前の声が僕の思考を止める。
「先輩ってもしかしなくても激ニブ?」
「は?」
いっている意味が分からない。僕は間抜けな声と共に越前を見つめた。
「3分40秒」
「え?」
「先輩がオレを膝に乗っけてからの時間。さっき乾先輩が窓の外でメモ取ってたし。覗き魔トリオがもうとっくに噂たててるかもしれないっスよ?」
「・・・・っ!さっさとどきなよ!」
ようやく事態に気づく。この後輩はそれを黙認していたというのか。
そのほうが僕には理解できない。
大体越前は何で僕との噂が必要なのか。からくりに気づいていない手塚ならともかく、気づいている越前なら越前にとっても何らかのメリットが存在しない限り、そんな不名誉な噂が不必要に流れるのは願い下げなはずだろう。
僕の思考を読むように越前は言った。
「もう今更手遅れっスよ。それにオレが例え牽制するためにでもそんな噂普通なら歓迎するわけないじゃん。もともとそんなものに頼らなきゃ牽制できないようなもんでもないし。でも、それならオレにとってのメリットってなんだと思います?」
最大ヒント、と越前は呟きながら僕の膝の上で姿勢を変える。
パイプ椅子に座る僕の膝の上に腰掛ける形で座っていた越前は、ぐるりと半回転し僕の足をまたいで僕と向き合う形で座りなおした。
とにかくそれに文句を言うほどには思考の付いていっていない僕は、越前の言う最大ヒントに不満を漏らす。
そんな間接的に言われても分かるわけもない。
「わからないから聞いてるんじゃないか」
思い当たらなくはないがその可能性は極めて薄い気がする。
もしかするとからかわれている可能性のほうがよほど高い。
なんにしろ越前は、僕が予想しつつも却下していた答えをなんということもなく告げてきた。
「噂が立ったとしてもさ、その相手はオレにとって惚れてる大本命だから問題ないってこと」
一瞬混乱で頭が真っ白になる。
息苦しさを覚えて初めて僕は自分が呼吸を止めていたことに気づいた。一度溜息を吐き出すようにして、真正面から見つめてくる越前に僕はひどく混乱したまま問いかけた。
「僕はそういうつもりなくっても?」
「そのうちそういうつもりにさせるから問題ないっス。ただの噂で終わらせる予定ないっスから」
間抜けなことに、本気なのかとか、君ってホモだったの、とか。そういう肝心かもしれない確認のほうは頭に浮かんでは消えていくだけでどうにも言葉にはならない。
それでも越前の瞳がいつの間にかからかうようなものから真撃なものにすり変えられていたから、聞くまでもないかと思えただけだ。
だからといって僕が越前の思うようになる必要性というのも今のところどこにもない。一応はそのあたりを主張しておくことにする。
「予定が必ずしも本当に未来になるとは限らないよね?君がそのつもりなら、僕は全力で阻止するよ」
越前のことははっきりいって気に入っていたが。他人の思い通りになることほど面白くないこともない。
世の中と他人は思い通りにしてこそ。それが僕の信条だ。
僕が楽しめそうな条件に置き換える。
僕は宣言した。
「その勝負、受けてたとうじゃないか」
悪い癖だとどれほど言われようと楽しそうなことは大好きだ。
罠に書けたつもりでかかったのだとしても仕留めるのが僕ならそのプロセスはどうでもいい。
「じゃ、交渉成立ってことで。よろしく。黒いくせに天然でニブチンな不二先輩」
にや、と肉食獣の笑みを浮かべた越前が顔を寄せてくる。
そのあまりの素早さに対応が一瞬遅れた。その隙を突くように。
ちゅ。
唇の端に触れたその柔らかなものが越前の唇だと認識するのと、やられた!という気持ちが僕の中で爆発するのと、僕が越前を膝から転げ落として殴り倒すのはほぼ同時だった。
ひりひりと拳に痛みが残るほどの力で殴り倒して、その拳をさすりながら、どうしようもないほど早くなる動悸と熱の集まる顔を隠すように僕は急ぎ足に部室をあとにした。
いて、とか越前が呻いているようだったが、とりあえずは無事なようなのでほうっておくことにする。
勝負を受けたことはもしかすると失敗だったかもしれない。
一度決めたことは最後まで愉しみきると決めている僕ではあったが緩い後悔が胸を満たし始めていた。
気持ちで負けていては何もかもおしまいと復讐の方法でも練っておくことにする。
 
 
 
 
 
僕に出て行ったあとの部室で。
「本命からもらえたじゃんバレンタインのキスとパンチ」
とかなんとか越前が勘違いしたことを呟いていたことを当然僕は知らない。
 



 
 KANATA KINGDAM の如月彼方さまから サイト開設のお祝いにと頂いた物です。
頂き物第一号!うおおお〜っ!ホントにホントに嬉しいですO(≧▽≦)O 如月様ありがとうございました m(__)m