北海道地区数学教育協議会(道数協)高校サークル発行 2001.9.2 高校サークルだよリ  No.35 文責・成田 収
 
 


 1 わくわく講座
 2001年数教協全道数学教育研究大会は7月27日28日の両日札幌市立小野幌小学校で開かれました。今回は東京の増島高敬氏の記念講演でしたが、記念講演に先立ち、わくわく講座でも増島氏の実践報告をきくことができました。等差数列の授業です。
 求人広告で、Aの小泉商店とBの田中ストアは一ケ月25日一日8時間勤務までは同一条件です。しかし、Aの小泉商店は月給制で1か月150000円昇級は毎月2000円ですが、Bの田中ストアは日給制で1日目の給料が5000円で昇級は毎日10円です。一年間働くとしてどちらが有利か考えてみましょう。というところから始まります。最初は予想です。
 次にAの小泉商店につとめたときの年収を計算します。この、12項の等差数列の和をうまく計算すると、300項の等差数列の和である、Bの田中ストアの年収が計算できます。結果は、予想を裏切って、10円ずつ昇級する田中ストアの年収が小泉商店の年収を迫い越します。このようにして、等差数列の和の意味を計算法と同時に理解してしまおうというものです。
 さらに、等比数列、平方数の和についても斬新なアイデアを提供してくれました。

2 開会集会
 開会集会における道数協委員長挨拶は次のようなものでした。
 前世紀の始めに子どもの能動性、活動性に依拠し、自ら学ぶ力を育てることをめざした多くの取り組みは、教育の軍国主義化のもとで変質を余儀なくされていき、最後まで抵抗した者の中は獄死のやむなきにいたった者もいた、という歴史の認識を示し、教育の良心戦いは、まさに生命のやりとりをも含む厳いものであることを想起させるものでした。
 また、ペリーの講演に見る数学教育の有用性を引用していますが、それらは、「高尚な情緒を作り、知的喜びを与える」「物理学の学習において、数学の武器によって助けが与えられる」「手足のように自由に使える知的道具を人々に与える」「「人々がその生涯を通じて自分自身を教育しつづけ、精神と知カを発達させることができるようにする」「一の人間に自分のため以外の事柄を考える重要性を教え、・・・彼が最高の存在の一人であることを確信させる」「鋭い哲学的知性の持ち主に、完全性についての、全く魅カ的で満足な諭理的忠告を与える」というものです。
 今日、余りにも数学教育の有用性が現世利益的に語られ、人間活動の深い喜びや意識ともに語られることがなくなってきています。数学教育に携わるものぱかりでなく、教育に携わるものすべてが今一度、教育の有効性についてペリーを読む機会を持つべきてはないかなどと感させるものでした。

3 記念講演「新しい時代に生きる算数数学の基礎基本を考える」
 続く、増島高敬数教協副委員長による記念講演は「新しい時代に生きる算数数学の基礎基本を考える」という演題でおこなわれまた。
 指導要領の改訂で学校5日制に合わせて教科書の内容が削減されたました。しかし、30%削減することが大前提で、内容がずたずたにカットされ、どの分野も教科書では何一完結しないようになってしまっている。内容で理解させることが難しくなっているため「教育とは強制することだ」という、調教としか呼べないような方法が復活しそうないきおいである。これではますます学ぴが拒否され、学びからの逃走が起こる。「要はできるようになれぱ良い」という乱暴な議論でよいのか考える必要がある。
 銀林氏は最近<基礎と基本とは異なると考えてはどうか>と提唱している。基礎学力(計算力など)と学力の骨格としての基本学力を区別する必要がある。基本学力とは、”物事の意味と本質をわきまえる”ということとしている。(注1)
 100%近い進学率の中で、高校を卒業することは社会参加のための共通の履歴となっているにもかかわらず、その多様化によって、高校ではどういう共通の教養を求めるのか、「共通」の部分がなくなっている。IEAの調査でも日本の生徒の学カの特徴は「成績は良いが、きらいである」ことが明らかになっている。さらに、この調査では、学力の内容から見ると、計算はできるが、文章題はダメということが明らかになつている。そのことは、文章題になると分からなくなるのではなく、<文章を見ると読みたくない>、考えることを拒否していると考えることができる。「数学なんていらない」という積極的に捨て去る姿勢を見て取ることができる。これらの状況を改善して、子供たちに学カをつけることは重要なことであるが、そのときに、何が基礎基本であるかは見直す必要がある。計算力を問題にするのではなく、これからの社会を生き抜くためのもつと高いレベルの判断力をどうつけるかが問題なのではないか。どういう数学的知性を持つことが必要なのかを十分検討する必要がある。小学校段階では、できることと分かることは隣り合わせであるが、高校の数学に向かうにつれて、できることと分かることの間の距離がだんだん大きくなると考えられる。確率では、計算できることと、その意味が分かることの間にはかなりの隔たりがある。(注2) 高卒の段階で求められるのは基礎的学力というよりは、基本的認識の方だろう。だからこそ、同じ「比例」を学ぷにしても、どう学ぷのか、どう教えるのかということが重要で、小学校でこれをどう学んでいるから、高校で関数をどう学び、どう教えるのかということとつながっていかなけれぱいけない。そうでなけれぱ、私たちの願っていることが子供たちに届かない。教えるということをどう転換するかということが求められている。それは、実際の授業の場でどのように展開するかということと密接に関連するため、授業論として、実際の授業をどう展開するのかという研究と共に進められなければならない。
 以上が、私が聞いた増島講演の内容です。今回、増島氏は、わくわく講座で1本、高校分科会て2本の報告をしてくれましたが、いずれも授業の展開としての試案や、研究でした。まさに、今、何を教えるべきか(何が学ぱれるべきか)を、授業論と共に語ってくれたのだなと感じました。そういう意味で、今回は、増島エッセンスを十分堪能できた大会だったということができると感じました。
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 (注1)銀林氏は、基本学カには具体的には次のようなことが考えられるとしている。
1)十進位取り(小数、十進的割合を含む)
2)分数の原理(共測性)
3)外延量と内包量の区別、内包量が外延量の商とレて数値化されること
4)比例で物事を見る
5)関数と因果律:17世紀科学革命の追体験
6)方程式あるいは関数とグラフ
7)位置と変位、ストックとフロー、スカラーとペクトル
8)微分と積分
9)成長の4つの型:算術的、幾何的、対数的、べき的成長
10)確率と集団の法則
 (注2)さいころで「1の目の出る確率が1/6」とは、「6回に1回1の目が出ること」と考えている高校生がずいぶんいることなどにあらわれている。
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4 高校分科会
 高校分科会は17名の参加で始まりました。初めに、篠路高校の真鍋さんからの基調報告を受けました。その内容の概略は、次のようなものでした。
 教育三法案が国会を通過し、事実を歪曲する歴史教科書が採用されようとし、新指導要領によって子どもたちの学カにさらに深刻な事態がもたらされることが予想されるなど、教育をめぐる情勢は深刻である。高校の新科目、数学基礎も検定により数式の使用が制限されるため、内容を豊かにできないことや、数学の科目が相変わらずI,U,皿,A,B,Cなどと細分化されているために内容が制限されるなど、新指導要領は数学教育の足かせとなっている。
 高校サークルは微積分を運動を解析することから導入することを研究成果の一つとしているが、教科書流の逆微分として積分を導入するなど天下り的で単なる計算法則としての微積分を展開していては、いずれ衰退の道をたどるしかなくなるだろう。さらに、高校サークルのブックレット第二弾では、「関数」を量の解析の手段としてとらえる立場をとっている。関数概念の創始者;ライプニッツによれば、関数はまさに連続関数の解析手段として、微分を考える途上に生まれた概念であり、量の解析と無縁に語られる必然性の感じられない関数概念の指導はやがて衰退するだろう。
 ところで、「かけ算の発展としての積分」「割り算の発展としての微分」という数教協のスローガンがあるが、このことは一変数の場合には整合性を持つと思われるが、多変数の微積分を考える場合はもっと基本に戻り、「足し算の発展としての積分」「引き算の発展としての微分」を提唱する基本的な研究が必要ではないか。
 いずれのテーマも含蓄の深い基調報告で、21世紀初めの数教協の大会で、今後数年の研究基調を与えてくれる報告だと感じました。

.1 片岸さん(厚別高校)の報告 二次関数の指導
 片岸さんが発熱で当日出席できなくなったため、片岸さんの共同研究者の清水さんからの報告となりました。札幌の学校3校で取り組んだ二次関数の指導の報告です。いくつかの特徴点をあげると、大規模校の統一進度、統ーテストのもとで学校全体としては受験のための数学の枠組みを出ることができない学校でも取り組めるように、
○教材配列は大幅に変えないこと、
○短時間で二次関数の本質がつかめるように配慮し、この教材のプリントが終わってから、教科書の問題を扱う時間的余裕を保障すること
○導入はプラックボックスを用いたこと、
○関数の指導に徹するため、放物線の幾何学の要素をできるだけ追放し、関数の値の変化に着目することをめざしたこと、
 そのため第一問は壁に沿って金網をコの字型に曲げて、長方形のアヒルの運動場を作るとき面積を最大にするためにはどんな形にしたらよいかを問う具体的な問題を提示したこと、

○関数のグラフは扱うが、基本的には、値が目に見えるように棒グラフで扱う(特に清水実践では正の関数値には上向きの矢印、負の関数値には下向きの矢印で棒グラフを扱った)

○平方完成には面積図を利用したこと
○2次関数の特徴的な変化を表す具体Iとして面積と投げ上げの問題を中心にこと、
○投げ上げの問題の延長として、二次方程式、二次不等式を扱ったこと、
○面積の問題の仕上げとして、直角の通る最大面積のソファーの問題を扱っなどが報告された。

 実践者の片岸さんは、「私の教員生活で、初めて二次関数を系統的に指導できたような気がする。・・・中略・・・問題を解けることや、解いたときの充実感はとても大切なことだが、多くの高校では、大学入試のために問題を解くだけの授業になっている感がある。問題は解けなくとも、その単元では、どんなことが分かるのかを理解させ、なぜそうなるかという疑問から学ぶ意欲へと変えていかなければ、数学離れをくい止めることはできない。・・・」と書いています。
 また、共同研究者の清水さんが新川高校で、同じプリントで指導した後のアンケートも載っていますが、一つ一つの取り組みの特徴点について生徒からの高率の支持を受けていることが分かります。

 氏家さん(白樺学園高校)の報告 2次関数の教育はこうあるべきだ
 一方、片岸さんのレポートが高教組札幌支部教文推進委員会数学部会の「受験体制を乗り越える」活勤を背景に生まれていることが、数学教育の目標を貶めていると批判する立場で、2次関数の教育はこうあるべきだ、という内容からせまるべきであるという主張とともに語られました。
 2次関数は、奇数の和が平方数であること、すなわち、
   1+3+5+・・・+(2n一1)=n
であるため、逆に整数の平方数の差分が奇数になること 
   n−(n一1)=2n−1
も必然で、落体の運動を研究したガリレオ・ガリレイの時代もこのことは常識的に知られていたのではないか。従って、斜面をころがる球体の運動で静止点からの移動距離の一定時間ごとの増分が1,3、5,・・・,2n−1の定数倍であることが2次関数の本質であること、したがって静止点さえうまく見抜けぱ、一次関数と2次関数は関数値の変化表の上でよく似た振る舞いをする。そのことが、式の上では標準形が同じ形になることにあらわれる、というものです。
 つまり、一次関数では、クニユ(低速で等速直線運動をするおもちやの車)のように等速直線運動をする物体において、はかり始めからの時刻をx秒、基準点からの位置をycmとして表にしたものが次の表のようだったとする。

        │←────── x−2 ────────→│
   △x    1  1  1  1  1  1  1  1   ・・・1
   x秒   2  3  4  5  6  7  8  9 10 ・・・ x
   ym   10 13 16 19 22 25 28 31 34 ・・・ y 
   △y    3  3  3  3  3  3  3  3   ・・・3
        │←─────── y−10 ──────→│
 
 すると、 △x=1として、 Δy/Δx=3/1=3 がいつでも成立する。
同様に、△x=2 としても Δy/Δx=6/2=3 がいつでも成立する。
 従って、1次関数では基準点を x=2 のとき、y=10とすると、どんなx、y につても、
   Δy/Δx=(y−10)/(x−2)=3 
となり、1次関数の標準形 
   y−10=3(x−2) 
が得られる。
 一方、斜面をころがるポールの運動のように、はかり始めからの時刻をx秒、静止からの位置を ycm として表にしたものが次の表のようだったとする。

        │←──── x−0 ───────→│
   △x    1  1  1  1  1  1     ・・・1
   x秒   0  1  2  3  4  5  6   ・・・ x
   ym    0  1  4  9 16 25 36   ・・・ y 
   △y     1  3  5  7  9  11
        │←────── y−0 ─────→│
 
すると、△x=1 として、△y が作る数列が
  {1,3,5,・・・,2n一1,・・・}
となるので、
  y−0=1+3+5+・・・+(2n−1)
となり、y=x の関係がいつでも成立する。
 この、斜面の実験で、時計が動き出しから2秒後に斜面の1mの位置からボーるが動き出した場合、次の表のように、

        │←───── x−2 ──────→│
   △x    1  1  1  1  1  ・・・  ・・・1
   x秒   2  3  4  5  6  7  ・・・  ・・・ x  ・・・
   ym    1  2  5 10 37 50  ・・・  ・・・ y  ・・・
   △y     1  3  5  7  9   ・・・  ・・・ 
        │←───── y−1 ──────→│

 x=2 から x までの △x=1 に対する △y の数列が
   {1,3,5,7,・・・}
となので、
   y−1=1+3+5+・・・+(2n−1)
となり、y−1=(x−2)2 の関係がいつでも成立し、標準形が一次関数と同じ形で得られる。
 ところで、差が 1,3,5,・・・、(2n−1) となる関係は、Δx=1 のときのみ成立する関係ではなく、△x=2 としてもさらに、一般に △x としても成立する。△x=2 としてみると、次の表のようになる。

   △x        2            2            2    ・・・
   x秒   0  1  2  3  4  5  6   ・・・
   ym    0  1  4  9 16 25 36   ・・・ 
   △y       4           12          24      ・・・

 このとき、△yが作る数列が
   {4×1,4×3,4×5,・・・、4X(2n一1),・・・}
となる。一般の△xで考えると、
   {△x2×1,△x2×3,△x2×5,・・・、△x2x(2n一1),・・・}
となることから、2次関数においては、このことが本質的であることを示しでいる、という報告でした。
 

.3 2次関数プランの議論
 これら二つを同時に議論しましたが、「乗りこえる」の意味を<劣っているものが優れているものを乗りこえる>という意味ではない、この受験体制のみが横行している数学教育の実態を何とかしなければという考え方であり、さらに、粉砕すると言っているわけではなく、受験体制の中でも受験体制に沿ってそのままやるわけでもなく、実質が得られるように乗りこえて行くというものなのだから、<あまり、こころざしが低いと非難するには及ばないのではないか>などという議論もありました。
 また、2次関数の指導で、最大最小はいろいろな方法で考えることができますが、やはり、第1問が大切で、その具体的な問題の中に大切なことがほとんど全部含まれており、自分で考えられて、自分で発見できるようにする、教科書でいうと最後に出てくる問題を最初に扱うという方法がよいのではないか。
 2次関数で最大を問題にする具体的問題としては、トルストイの寓話に出てくる、長方形の土地の周りを24時間で回ってきた分だけ土地をやる問題で、一時間に歩ける距離は分かっているから、どう廻ってくるのがよいかを問題にするとか、売上の個数が売値によって変化するときの最大の売上の問題や、投げ上げの問題などいろいろあるが、最小の問題というのがなかなか見つからない。なだしおの問題などは一つの例になるだろう、などと話されました。
(なだしおの問題とは、潜水艦と船がまっすぐ直交して移動しているとき、これらがもっとも近づくのはどんなときかという問題で潜水艦は y軸上を (0,l) から秒速 am で原点方向へ移動している。釣り船は x軸上を (l′,0) から秒速 bm で原点方向へ移動している、何秒後に距離が最小になるかという問題である。)
 また、1,3,5,…・,2n−1 が2次関数の本質だというのは当たっているだろう、そこで、ax の a の値が問題になるが、これはやはり、最初から1秒の間にすすむ距離であり、ある意味での変化率だと考えるのがよいのではないか、などと話されました。

.4 渡邊さん(立命館慶祥高校)の報告 教科通信、「加法定理導入の優劣を論ず」
 一つは、立命館慶祥高校での教科「て待ち暇」の紹介です。授業時間内では教えきれないほど大量の教材が提示され、教師はマラソンランナーの先導者の役割を割り当てられていて、もっとも早く走る生徒の先導役を務めるので精一杯、授業中には、なかなか真ん中や後ろの方から走ってくる生徒の面倒を見ることはできない。そんな中で、意味やおもしろさを伝える手段として教科通信が機能している、というものです。今回紹介してくれた7月16日号は、100万円の資金を運用するのに一年目は1.02倍、二年目は1.04倍で増殖したら、二年後iいくらになっているかという問題を、問答形式で、議論するものです。
 一つは一年目と二年目の平均倍率 (1.02+1.04)/2=1.03 を用いて、一年目
   100万円×1.03=103万円、
さらに二年目
 103万円×1.03=106.09万円
という考え方と、一年目
   100万円×1.02=103万円
さらに二年目
   102万円×1.04=106.08万円、
という考え方の間で、100円の差が出る。どうしてこの差ができるのかを考える中で、相乗平均を定義することの必然性とその意味を伝えるというものです。
受験中心の数学の中ではなかなか数学自身の持つ思想性や定義の必然性ひいては数学をすることの意味などが伝えられませんが、この通信はそんな中で数学に潤いを与えているように思われます。「数学」を語る一つの方法として注目に値するのではないでしょうか。私たち教師は語るべき数学の内容を持つことが大切だと感じさせられます。
 もう一つは、「加法定理導入の優劣を論ず」という内容で、
1.プトレマイオスの方法
2.レギオモンタヌス以降の古典的方法として
(1)、(2) ホグペンの方法2種
(3) 和田博の方法、
3.座標による方法として、
(1) 数研、東書の教科書の方法
(2) 実教の教科書の方法
(3) 大山斉の方法
(4) 旺文社の教科書の方法
(5) 三省堂の教科書の方法
(6) 清水貞人の方法
4.行列を使用する方法として、
(1) 学図の教科書の方法
(2) 石谷茂の方法(渡邊勝実践)
5.複素数でオイラーの公式を用いる方法
(1) E‐ハイラー/G‐ワナーの方法
(2)吉田武『オイラーの贈り物』の方法
6.微分方程式から導く山口格の方法
などが網羅され、その比較検討がなされています。
結論として、渡邊さんは和田博の方法を座標平面上に組み入れて工夫した3.座標による方法の(6)清水貞人の方法がもっとも優れていると結論しています。

PC=sinα,OC=cosα
PH=sin(α+β)
PH=BC+CA
  =PCcosβ+OCsinβ
  =sinαcosβ+cosαsinβ

.5 真鍋さん(篠路高校)の報告 教科書の言葉が不正確
 2本のレポートに分かれていますが、いずれも教科書で使っている言葉が数学の上から見ると十分でな(不正確な)使われ方をしていると言う報告です。
 一つは、方程式の解と言うときに使われる、「解」という言葉についてです。解はsolutionの訳語で、f(x)=0 に対して f(α)= 0となるような数 α のことですから、ある数 α は解であるかどうかだけが問題になるわけで、同じ数が二重に解になるということはありません。それに対して根とは多項式
   f(x)=a+an−1+an−2+an−3+・・・+a

   f(x)=a(x一α)(x一α)・・・(x−α
と因数分解されたときの数の組 
   α1  α2  ・・・ α
のことですから、これらのうちに同じものがあれぱ、それは重根と呼ぷにふさわしいものです。したがって、重解という言葉には意味がなく、一時的に叫ばれた現代化の悪し影響が言葉の上に残ったものでしかありません。
 また、もう一つは、軌跡という言葉の定義についてですが、これも高校の教科書などでは、ある条件を満たす点の集合と述べられることが多いのですが、これでは、ある条件が不等式などであった場合、軌跡が1次元の直線や曲線ではなく、2次元や3次元の空間の一部となることも考えられます。これでは、軌跡(1oci,1ocus)という言葉と領域という言葉の区別が付かなくなってしまいます。さらに、領域という言葉は、高校の教科書で使われている意味で使うことはあまりなく、一般にはRnの連結な開集合のことを指します。このように、定義がしっかりしていない言葉があちこちに見受けられます。高校生に現代数学の用語の定義を教えるという意味ではなく、教える側、数学を伝える側としてはきちんとした理解をして、言葉を使いたいものです、という内容でした。

.6 氏家さん(白樺学囲高校)の地図の報告
 日本の地形図でいちばん南といちばん北の25000分の1の地形図を見ると、その横幅が10cmくらい南の地形図の方が長くなっている。どちらも、角度で7分30秒なのに南の波照問島の方が北の宗谷岬よりずいぶん長くなっている。波照間島の緯度はほぽ北緯25度、北の宗谷岬はほぽ北緯46度、考えてみれぱ、地球は丸いので当たり前といえば当たり前ですが、実際に見ると感心することしきりでした。この数値を使って、逆に地球の大きさを求めることができるのではないかという話も出て楽しいひとときでした。

 以上が一日目の報告でした。2日目に所用で参加できない参加者が多く、一日目の日程がかなりきつくなってしまいました。報告を聞く時間はとれたのですが、今ひとつ議論不足の感も否めませんでした。この後は、2日目の報告です。

.7 増島さん(数教協副委貝長)の報告1
 テーマは「地球・月・太陽を測ろうー三角比とその応用」高校三年生の3学期に行ったものです。紀元前250年頃、エラトステネスはアレキサンドリアから5000スタジア真南に離れた南回帰線上のシェネでは夏至の日の太陽がいちぱん高いときに深い井戸の底に影ができないことに気がつきました。その同日同時刻にアレキサンドリアではぢめんに垂直に立てた棒は、棒の高さと影の長さの比は8:1になっていました。1スタジアは、現在の158mであるといいます。このことからエラトステネスは、地球の大きさを知ることができたといいます。どうやって求めたのでという、問題から始まっています.

  この計算でかなり正確に地球の周囲の長さを求めることができます(tan−1(1/8)の値は、電卓を用いて求めています)。しかもこでおしまいにせず、実際に埼玉県とその真北に当たる長岡市で同日同時刻に携帯電話で連絡を取り合って、棒の長さを観測し、教室の中で地球の大きさを計測するといリティーの感じられる授業を展開するものです。授業はこのあと、半角のsinの値を求めて、月までの距離を計算し、半月のときの月と太陽のなす角度の測定から太陽までの距離を計算し、太陽が5円玉の穴の大きさと同じになるときの目と5円玉の距離から太陽の半径を計算したりする中で、三角比の自然な定義とその応用を知る方向に進みます。

 また、三角比の扱いのもう一つの例として、富士山(3776m)はどこまで離れたところから見えるか、地球がほぼ半径6370kmの球体であることからその限界が計算できます。
この限界の距離約200km海上に離れたとき、次の島が見えれ、ば迷わずに次の島まで航海することができます。この考え方で、鹿児島から台湾さらに大陸へのルートを検証すると、1カ所だけつながらないところがありますが、ほぽ安全なルートができあがります。この航法をを「みたて航海」というのだという授業が組み立てられます。

.8 増島さん(数教協副委貫長)の報告2
 もう一本の報告は、「等倍変化から指数対数関数へ」と題するものです。教員の大卒初任給が
   1962年  15000円
   1974年  75000円
   1998年 225000円
と推移しており、
   1962〜1974年 12年間で 5倍
   1974〜1998年 24年間で 3倍
になっているので、62年から98年まで通すと、12年+24年=36年間に、5倍×3倍=15倍になっています。として、次の図式の導入をねらいます。
     12   5
   +)24    3 (×
     36  15
ここで、36年間同じ倍率で変化したとして、一年毎の平均倍率αを求めると、

      1  α
   +) 1  α (×
      2  α
   +) 1  α (x
      3  α
   +) 1  α (×
      4  α
     ・・・・・・・・
     35  α35
   +) 1  α (×
     36  α36

 となり、α36=15を求めるとよいこことが分かる。電卓で計算すると、α=1.078・・・となります。このように、時間の足し算に対して、倍率のかけ算になる変化を数題にわたって
経験してもらった上で、等倍変化の概念ができたところで、記号α を導入します。すなわち、1単位時間あたりの倍率が一定でαあるとき、任意の実数(時間)xに対してを定義します。ここから、すべての、(実数についても)についてαx の意味がはっきりとらえられ、同時に計算法則(指数法則)も自然に得られます。
       1   α
   +)  1   α  (×
       2   α
   +)  1   α  (×
       3   α
   +)  1   α  (×
       4   α
      ・・・・・・・
      n−1  αn−1
   +)  1   α  (x
       n   α
でαnの意味が確定し。
     1/2   α1/2
   +)1/2   α1/2  (×
      1    α
で、α1/2 は2乗するとαになる数であることが分かります。
 一方、対数の方は一定時間に一定倍率になることが分かっているときに、ある量になるまでの時問を与える関数として考えることができます。

.9 成田(啓成高校)の報告 モンティーホール・ジレンマ
 モンティーホール・ジレンマは昨年暮れの冬期研から高校サークルで連続して取り上げられている問題です。
 その問題は、3つの部屋のいずれかに賞品が入っているとして、その部屋を当てることができたら賞品がもらえるテレビの番組の中のことです。出場者は最初に一つの部屋を答えますが、司会者モンティー・ホールはここで、出場者が答えた部屋ではなく賞品が入った部屋でもない空の部屋のドアを一つ開けて見せます。そうして、出場者に今なら、最初の答えを変えてもいいですよといいます。ここで問題ですが、このとき出場者は答えを変える方が賞品を当てる確率が高くなるか、または、答えを変えても変えなくとも同じか、答えを変えない方が得策か、という問題です。
 この問題では、答えを変える方が確率が高くなるというのが正解だということですが、これがなかなか納得できません。20世紀の天才数学者エルデシユもこの問題がなかなか納得できずたいへんな思いをしたというエピソードが残っています。
 この報告は、この問題を、コンピユーターでシミユレーションするアルゴリズムを考えて行くことによって、明決に納得することができるというものです。また、ある高校で生徒にこの問題を考えてもらったら、1:2の割合で答えを変えても変えなくとも確率は変らないと感じるほうが優勢であったということでした。そこで、論理的にかなり明快な説明を施すと、ほとんどの生徒がよくわかった様子でしたが、あとでアンケートをとってみると、意外と疑問を持ち続けている生徒が多かったということです。今回は、報告者が、十分な説明をすることができなかったにもかかわらず、参加者の中には、これでよくわかったという人や、やはり疑問が残って明快な納得が得られなかったという人や、シミユレーションの結果を見ると納得できるという人がいて、人の理解の仕方は多様なものだと感じました。

.10 河田さん(虻日高校)の報告 円の方程式の導入
 円の方程式の導入の授業で、円の美しさを鑑賞すると同時に、円を方程式で表すことができることに感動しようというのが目標の取り組みです。円が
   x+y=r
で表わことを示した後で、実際に円を描き、こ円上の点のx座標、y座標を計測して x+y2  を計算し、r に近いことを確認して、方程式の意味を理解したというものです。
 筆者も今この稿を書きながらやってみましたが、10cmの円で1/10mmまで読むようにすると、ほぽ、10=100 となるところが、99〜101 の間におさまるようです。ルートをとって、√x+y=10 を確認しようとすると誤差が一桁落ちて、 9.95〜10.05 の間におさまるので、こちらの方が実感が得すいかなどと感じています。
 しかし、三角関数の導入などで座標を計測することはあちこちで取り組まれてが、円の方程式などの図形の方程式と、座標の関係を見るために直接測定する取り初めてでした。確かに、こうすることで、座標が意味するものや、図形上の座標の関係式で図形が表されることの意味が理解されるかも知れません。

.11 参加者の感想
「増島先生の実践は面白い、三角比の問題が島づたいに航海をした古代航海術につながるなど、数学が文化的なものにつながって行くのがすごい」、「モンティーホールも面白い、一は確率が変わらないと思った、私はこの話を聞いて落ちましたね」「生徒に発見させたい、実験させたいと思いつつ、学校では他の先生方から頭から否定されて悩んで高校の先生方もこんな工夫をしているんだということが分かってホッとした」「初めに問題を持ってきて興味を引かせる、それを解決する中で、数学的概念に整理して行く手法はすばらしいと思った」「こんなに、いろいろな話が聞けるのに、参加者が少ないのは残念だ」など、多くの感想が寄せられました。生徒にとって、本当の意味で楽しめて、数学の奥深さが理解できる数学の授業をつくり上げ、その報告をもって、たくさんの人が参加する高校分科会で、来年お会いしたいものです。



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