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サボテン今昔 20
メセンの夜明け

 昭和7年3月発行の「仙人掌」(仙人掌研究会)誌に“園芸界の処女地”と題する能島武文氏の記述がある。
 要点を引用する「この遠いアフリカに故郷を持ったメセンブリアンセマムが東洋の果ての日本に初めて渡来したのはいつ頃の事か、また何が最初に輸入されたものか、正確な記録が一つも残されていないのは遺憾この上もない事である…」 仰る通りかどうか、現存する乏しい資料を活用して私なりに検証を試みた。たしかに明治以前の文献にはメセンらしいものは登場しないようである。そこでそれ以後の文献で手懸りの得られそうなものを拾って見る。
 先づ思いつくのは松沢進之助氏。明治27年、日本で初めてサボテン商になった人である。ところが、氏自身が栽培品ついての記述を残したのはかなり後のことなので対象からは外さざるを得ない。
 次は奥一著「明治さぼてん力タログ」。以下の記述がある。「横浜植木会社が明治42年(1909)に四六倍判96ページのカタログを出した。当時日本に珍しい外国植物ばかりで挿画は外国から写し取ったもので久保井市太郎の木版画であった。このカタログに最初に選ばれたのが、なんとメセン類であった」として左表11種のMesembryanthemumが出ている。私の知る限りこれが一番古い記録である。
 その後のメセン事情はどうか、年代順に追って見よう。次は棚橋半蔵著「仙人掌及多肉植物名鑑」横浜植木会社(大正6年)1917年。この書にはMesembryanthemumとして下表の24種が発表されている。




花蔓草 宝緑 天女
魔玉 曲玉 花紋玉
群玉(Fenestralia) 青鴛(Pleiospilos 荒波(Faucaria)

 最後の一種が花紋玉だとすれば、当時としては異例のスピードで日本へ齎らされた事になる。(本種の発見は1913年)棚橋さんの実力に改めて感心する。大正年間の資料はこれ以外に見当らない。昭和に入ってすぐ、2年続けてサボテン関係の本の出版があった。原田門喜:仙人掌と其栽培(昭和3年)1928、大塚春雄:仙人掌の種類と栽培(昭和4年)1929がそれである。前者は手許にないので後者について見ると、登場するメセンは宝録、青崖、天女、四海波、鳳卵の6種のみで、棚橋さん以後の10年間の進展は感じられない。冒頭引用の能島氏は「其後一時新種の輸入は途絶えていたようであるが、数年来の仙人掌流行と共にまた欧州に於けるこの種の愛好熱に刺激されて多くの品種が改めて輸入された」と述べている。
 昭和5年になると、横浜の京楽園が“趣味の園芸”と題するカタログの発行を開始した。同じ頃、新進の光兆園が大阪に旗揚げした。両園のカタログからメセンを拾って見よう。
京楽園昭和6年度仙人掌目録(多肉植物29種のうち)天女4円、青崖5銭、稀鳳20銭。
光兆園昭和6年度シャボテン総目録(多肉植物52種のうち)曲玉2円、四海波30銭。
 以上のようにメセンは依然振るわないが、昭和7年度になると、京楽園は青卵、宝録、四海波、麗人玉(葉の長いアルギロデルマ?のような写真あり)を販売品に加えた。光兆園の昭和7年度の目録の多肉部門は一気に充実して33種を数え、そのうちメセンは下記の14種である。四海波、青崖、群玉、立波、夕波、稀宝、鳳卵,青鴛、宝録、宝寿、曲玉、紫勲、天女、天女冠。

光兆園の月刊誌,「シャボテンの研究」には新命名紹介欄があり、カタログの販売品のほかに多数のメセンが名を連ねている。同誌の5月〜12月号に現われたものは次の通り、Conophytum青蛾altile、青露apiatum、珞珱pusillum、玉虫assimile、小槌wettsteinii、式典elishae、中納言picta、浜千鳥saxetatum、立雛albescecs、小姓poellnitzianum、玉彦obconellum、小雛andausanum、延暦labyrintheum、細玉pauxillum、紅翠玉truncatellum、小紋玉wigittae、神鈴meyeri、ヒスイ玉calculus。 Llthops福寿玉eberlanzii、琥珀玉bella。Dinteranthus妖玉puberulus。Lapidaria魔玉margaretae。Pleiospilos鳳翼magnipunctatum。Glottiphyllum黄門haageii。Juttadinteria飛鳳玉simpsonii、大麟玉deserticola。Oscularia光琳菊caulescens、琴爪菊deltoides、蒔絵菊muricatum。以上8属29種。
メセン類の急激な種類増の陰には何人かの愛好家の熱心な努力があった。前記の能島氏は「再輸入の気運は先づ狐崎氏によってつけられた。同氏の輸入されたものは荒波、群玉、旭波、白波、美光、舞姫等。続いて一昨年は松沢氏によって不知火、天女冠、波頭、紅玉、紫勲、金鈴、銀鈴等が輸入され、昨年は志村氏によって30種余りのコノヒタム、筆者によって10数種のリソップスが輸入された」と書いている。

錦園付近の風景(田中正人氏撮影) メセンの開花(錦園)

 メセンのメッカと称えられる信州の中心的存在であった田中喜佐太氏が松本に錦園を開いたのが昭和3年、26才の時。開業の初期からメセンに打ち込んだと聞く。満州事変以後のキナ臭い時代にあって、リトープスが、続いてコノフィツムが斯界をリードした歴史がある。メセンを愛する人達の熱意が齎した流れであった。








下郷羊雄氏“メセム属超現実主義写真集”


画家下郷羊雄氏はメセンを主題に芸術を楽しむ珍本“メセム属超現実主義写真集”を昭和15年(1940)3月に刊行した。(完)







最近はS.Hammer氏によるメセンの新しい分類が発表され、日本でも江藤雄司氏、赤石幸三氏等による名品の栽培が盛んである。Lithopsの品種保存に努められる岡本治男氏、一属一種の栽培法を完成させた橋本幹郎氏、又、メセンの交配種は奈良多肉植物研究会阪井健二氏のもとに多数の優良個体が見られる。(2008年10月末編集追記)


Co.calculus(赤石氏) Co.calculus・赤花(同左) Oph.hyb.黄花(江藤氏) ディントロプス(岡本氏)※
Co.初音錦(渡辺氏) Muiria錦(竹村氏) L.紫勲錦 L.hyb.斑
Co.ブラレ(江藤氏)※1 Opt.hyb.(橋口氏) Co."Don Juan"※2 Co.hyb.※3

※  ディントロプス Din.vanzylii x L.lesliei
※1 Conophytum blandum x C.regale(江藤氏交配)
※2 Conophytum "Don Juan" C.maughanii×C.stephanii ssp.helmutii S.H (奈良多肉植物研究会
※3 Conophytum marnierianus×C.turrigerum S.H(奈良多肉植物研究会

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