サボテン今昔 No.11 王妃笹の雪
昭和30年代のはじめころ(1955〜160)横浜の伊藤園芸場(当時の園主・池野猶吉氏)のところに、小型の笹の雪のような珍しいアガベがある、という話が一部で取沙汰された。農大の近藤典生先生がメキシコ現地調査の帰りにアメリカで手に入れたものらしいということだった。池野さんは近藤先生と懇意にしていたので手に入れたらしく、無論門外不出で、誰がねだっても分けては貰えなかった。日本に最初に齎された王妃笹の雪がこれであろうと思う。学名がついていたかどうかは分からない。日本名もまだつけられてはいなかった。
「王妃笹の雪」という命名がいつされたか、私の手元には資料がない。いかにも龍謄寺先生がつけそうな和名という気がするので、1957〜’63間の先生関係の文献を調べたが見当らなかった。
本種が一般に紹介されたのは「サボテン日本」No.27(1962)で、王妃笹の雪Agave pumilaと題してカラー写真が掲載された。この号はアガベの特集をしており、王妃笹の雪についても松井謙次さんが解説している。抄録する。「全アガベを通じて最も美しいものではないだろうか。色、艶、形申し分なく、株自体花のようである。葉は巾2.5〜3cm長さ3〜4cm位の三角形に近い形で光沢を有する鮮緑色の葉に白い明瞭な線紋をつけ(株により多い少ないがある)葉縁の白い角質の縁取りが太く、ささくれも小さく多い。先端の刺は黒褐色で固く鋭い。種名はAgave pumilaであったが1960年のアメリカ・カクタス協会誌にAgave filifera(乱れ雪)の北限変種として発表されている。」1961年頃ごく少数が市販されたらしいが、私の知る限り、王妃笹の雪が販売品として最初に登場したのはシャボテン社リストN0.33(1963年4月)である。
王妃笹の雪 7〜8cm 1、800円 丸葉笹の雪の小型種。万人渇望。 入手困難のところ入荷いたしました。
これは、例の賀来得四郎氏がアメリカ・カリフォルニアのハンメルHummel園でアガベ・プミラA. pumilaとして買いつけたものである。大変人気があり、大阪の芳明園・黒田古雄さんからも注文が入った。在庫の100本はたちまち完売した。早速追加の注文をしたところ、ひと回り小さな苗が来た。しかも、ちやっかり値上げして。シャボテン社リストN0.41(1964年10月)に次のように出ている。
王妃笹の雪 5cm 2、000円
昨年の苗より小さいのに高くて済みません、と恐縮しながら買っていただいた記憶がある。兎も角、このような経過で、この植物は日本の栽培家の間に定着した。
メキシコからアガベに造詣の深い松田英二博士が来日された折、現品を見ていただいたことがあるが、メキシコの何処に生えていますか、と逆に質問された。先生は見たことがないと言われる。そしてこれはプミラではないと断定された。それがきっかけになったかどうかは覚えていないが、兎に角、学名の見直しがあり、フィリフェラつまり乱れ雪の変種のコンパクタA.filifera v.compactaということになった。誰が何を調べて訂正したかについては、私の記憶から欠落してしまっているが、「シャボテン]N0.58(1966)に広瀬嘉道氏が“アガベ礼讃”の中で写真つきで取り上げたのが最初と思われる。再録すると、
フィリフェラ・コムパクタ
A.filifera var. compacta
「王妃笹の雪」である。系統としては「乱れ雪」に属している。 A.pumilaとして輸入されたが、上の学名が正しいようだ。すべてのアガベの中で最も人気のある植物で、整然たる美しさを有している。
相当の量が輸入され一部では繁殖されてもいるが、とてもアガベファンには応じ切れない模様である。アメリカでも品薄らしい。自然仔吹は少なく、胴切で繁殖される。拡り10cm位が最大か。
まとまった単行本では「趣味の多肉植物」(1969 瀬川弥太郎監修)のアガベの項を執筆した広瀬嘉道氏はもちろん、巻末の学名和名対照表を作成された松居謙次氏はともに王妃笹の雪の学名としてA.plifera v. compactaを対照されている。
「多肉植物−マニアのための栽培専科」1972の著者橋本幾三氏も同じである。ついでに外国の文献ではどうか。多肉植物といえばいつもお世話になるのがヤコブセンH.Jacobsen氏の大著である Handbook
of Succulent Plants (英語版 1954)にはA.fliferaは出ているがv.compactaはない。
Lexicon of Succulent
Plants (英語版 1974)にはA.filifera v.compacta TREL. とあり、写真はないが、説明文にロゼットは小さい、葉は短くて幅が広い、大きさはせいぜい10cmとあるから、われわれが王妃笹の雪として親しんでいる植物と考えてもよさそうだ。但し私としては学名末尾のオーサーネーム(命名者名)がちょっとひっかかるのである。
と、言うのは1963年と65年に私はハンメル園を訪ね、園主のハンメル氏に会った。そこで葉渡り20cm近いサイズの王妃笹の雪の標本株を見た記憶がある。二回とも賀来氏が同行した。前後2回ハンメル氏の苗が日本に渡ったということもあって王妃笹の雪が話題になった。ハンメル氏のつぶやくような英語は分りにくかった。勿論私のヒヤリング能力の弱さもあって十分に話の内容を理解出来たわけではないが、総合すると、王妃笹の雪はハンメル氏が交配作出したもので、実生苗が300本くらい育った。そのうちの200本を日本に出した、というようなことだった。王妃笹の雪が野生種でなく、ハンメル氏の作品であることを本人が言うのだから、これは信用してよいのではなかろうか。そうして見ると、れっきとしたオーサーネームのついたフィリフェラ・コンパクタは一体何なのだろうか。
Agave pumila (アガベ・プミラ) |
Agave filifera(乱れ雪) |
それから何年も経って、ある人が乱れ雪のミニタイプの植物を大量輸入した。メキシコのイダルゴかサンルイスポトシの何処かにその自生する地域があるらしい。輸入された植物の中の優型が現在「白糸の王妃笹の雪」として流通しているが、中には日本で培養する過程で普通の乱れ雪くらい乃至はそれに近い大きさ(30cmかそれ以上)に育つものがあり、忽まちにして粗末に扱われる存在になってしまったのである。想像だが、学名A.filifera v. compactaとして写真を示し探させたものらしい。このことは既に前述した書物の著者の橋本氏も言及している通り“この学名で渡来しても王妃笹の雪とちがった種であったりする”のである。ということはヤコブセンのレキシコンにあるオーサーネームつきのA.filifera v.compactaは日本でいう王妃笹の雪ではないかも知れない、と考えたほうがよさそうである。
王妃笹の雪はアガベ属としては数少ない小型種ということもあって既に30年以上も人気種の地位を保っている。そしで“王妃”というネーミングは次々に借用されて王妃雷神だの王妃錦司晃だのの和名を生んだ。今後も飽きられることなく愛され続けることだろう。
栽培は難しいということはないが、殺しても死なないほど強健とは言えない。繁殖もそれほど簡単ではない。アメリカのチャーレス・グラース氏C.Glass(故人)を訪ねたとき「繁殖のシークレットを教えよう」との前置きで彼が語ったことは親株の外観を損なわないように活力が残っている下部の葉をところどころ上手に抜きとる、という方法である。彼はそうやって繁殖に成功した。芯をえぐったり、縦に割ったりするのにしのびない、というかたは一度試みられては如何。