サボテン今昔 21
仙女盃
(Dudleya brittonii)

 念願がかなって自生地を訪れる。非日常の世界に一歩を踏み出したときからわくわくする。そして目的の植物に出会う。もう感激である。その感激を味わいたくて幾たび自生地を訪ねたことか。親友に超のつく感激屋がいた。彼は素晴らしい光景に出会うと「ウォーッ」と絶叫する。続いてうわ言のように「ああ、もういつ死んでもいい」と繰り返す。一日に十回以上感動するのが長寿の秘訣だそうだから彼はきっと長生きすると思っていたが71歳で亡くなった。いつ死んでもいい、などとはやはり言わないほうがいいらしい。
 メキシコでのこと。丘の上の植物を観察しながら2時間近く歩きまわった。下りてくると地元の男に声をかけられた。「あんな何もない所で2時間も何をしてたんだ?」われわれの一部始終を見ているほど暇なことにも驚いたが、「何にもない」という表現には面食らった。彼等にとっては道端や崖に生えているカクタスなどは雑草と同じなのだ。それが見たくて遠路海を越えてやってくる人間などは理解し難い存在なのだろう。
 切り立った崖のはるか上の方に点々と純白の塊りが見える。関心のない人なら“何もない”といって通り過ぎるだろうが、感激屋はここでも“死んでもいい”と叫んだであろう。暗色の岩肌をバックに映える抜群の白さ。私が30余年前、仙女盃Dudleya brittoniiの美しさに打たれたのはこの崖である。
 アメリカとメキシコとの国境の町ティワナから海辺を走る旧道に乗り、道が海岸を背にして山道に入って間もなくのところ、ティワナから60km余と思う。片側は谷で谷間から涼しい風が吹き上げていた、という記憶がある。1992年再びここを訪れたが、最初の時の印象とはちょっと違っていた。訪問の時間帯の違いだけでなく岩肌の様子が違うのである。30年前の記憶は当てにはならないが、植物はもう少し下までびっしりとついていたように思う。岸壁は風化して徐々に崩落したのであろうか。自生地はほかにもあるらしいが、大群落はここだけらしい。
 仙女盃の渡来年度、経路については不詳であるが、「カクタス研究」1957年4月号に、まだ作り込んではいないと思われる中株の写真と共に次の記述がある。
 仙女盃(新命名)メキシコ半島西部海岸沙漠の強制類の自生している蔭に、この純白に光輝く不思議な植物が生えているといわれる。
 私もバハ・カリフォルニア半島の西側、太平洋を見渡せる海岸洽いの地域を数ケ所歩いたことがある。竜眼Feroc.viredescensとその変種とされる虹裳竜F.virid.v.litoralisの蔭や岩蔭にエケペリアEcheveriaやダドレヤDudleyaが自生している例はあったが、仙女盃にはお目にかかっていない。「カクタス研究」の記事は別の植物の誤認の可能性がある。1956年刊行の「原色シャボテン」(平尾秀一著)には本種の記述がないので、渡来は1956年後半から1957年にかけてと断定してよさそうである。

仙女盃の発芽 仙女盃の実生 仙女盃植え替え

 仙女盃は子吹きすることが少いので、繁殖は胴切りによる強制子吹で少しづつ行われたと思われるがある時一部で実生に成功し、一気に普及することになった。ご承知の通り、ダドレヤの種子は超微細で紙の上に広げると呼吸を止めなければならないほど、一度採種すればあっという間に数万粒、1/10育ったとしても数千本という勘定になる。まことに勿体ない話だが、稀品は忽ち超普及種となって粗末に扱われる。結果として栽培場から次々と姿を消し、遂には鉦太鼓で探しまわることになる。こういう現象は仙女盃に限ったことではなく、園芸界ではよく起こることである。普及し過ぎて売れないものは商品じゃない。経済価値が最優先の世界では当り前のことかも知れないが、何か悲しい。趣味のものは別の物差しで見ていただきたいと思う。
 つい先日、雄大に育った美しい仙女盃を拝見する機会に恵まれた。神々しいまでに白く、心洗われる思いがした。赤石幸三さんご丹精の作品である。

温室内の赤石幸三氏 仙女盃2タイプ

 仙女盃は冷涼季生長型である。本来の性質に逆らうようなことをしなければ栽培はそれほど難かしくはない。夏季は出来る限り風通しのよい所に置きたい。もちろん極端な日蔭は好ましくない。かと言って強光には気をつける必要がある。夏場に葉焼けさせた経験がある。
 見どころは何といっても白粉。エケペリアのラウイE.lauiもそうだが指で触れると簡単に剥落する。何年か前、デパートに展示したことがあるが、会期中多勢の見物人が本種の葉をなでまわした。触った人達は触れれば粉が指につくことを学んだであろうから、お役に立ったことになるわけだが、植物は見るも無惨な姿で戻って来た。取扱いには十二分に注意したい。灌水による白粉の脱落は手で触った場合ほどではないが、やはり少しづつ白粉が薄くなる。本種のほか、同じように白粉を粧うダドレヤが何種かある。そしてそのほとんどには生れつき白粉をつけないタイプがある。仙女盃にも青肌のものがあるそうだ。私はまだ見たことはないが、別に見たいとは思わない。白さこそ仙女盃のいのちと考えるからだ。
 繁殖は嘗て持て余すほどふやした人がいるくらいだから実生がよい。エケペリアや断涯の女王などのように微粉状の種子に馴れていれば問題はない。無論胴切りも出来る。エケペリアではないから葉ざしは駄目なはずである。


仙女盃(Dudleya brittonii) Dudleya greenei