白刺金鯱
白刺金鯱の出現及び流通の歴史についての正確な記述はない。
私の出会った参考になる記事はドイツのロベルト・グレーザーvon Robert Grazar氏が1966年にドイツのカクテーンKakteen und andere Sukkulenten誌上に発表したものが唯一である。
グレーザーは超のつく熱心な研究家で、カクテーン誌 1967年5月号に発表した「ランポーマニアの夢」という記事をシャボテン誌No.65(1967)が翻訳紹介したことで日本でも一躍有名になった。
そのグレーザーが1966年のカクテーン誌に「金鯱の幼苗が今や祖父となる」という記事を発表しているが、その後半部分に白刺金鯱について記述がある。このカクテーン誌からの引用記事は“サボテン”(日本サボテン協会)1967年2月号に掲載されたもので、翻訳者は平尾秀一氏。(上述のランポーマニアの記事も同氏訳)
以下全文を再録する。
“約30年前、エップル氏は約5,000本の金鯱実生苗の中から白刺苗を1本見つけた。また17年前、ウィンター商会発表の種子を多数蒔いた中から白刺が出た。今のところ白刺金鯱はカキ仔でふやされているが、イタリーのリビエラにある白刺金鯱は開花球になったから、今後は実生苗も入荷出来るようになろう。モロッコでの話によると白刺金鯱は普通のものと違い甚だ日焼けしやすいそうである。この事は金エボシの白刺変種は原種よりずっと日に弱い事と考え合せて興味深い。おそらく金鯱の原産地メキシコでは、時折白刺のものが生じても日焼けして枯れてしまうのであろう。”
白刺金鯱がヨーロッパで発生したとすればグレーザーの記述から推して1936年頃と考えられる。
日本で趣味家の前に姿を現わしたのはいつか?
これ又正確なことは分らない。私の記録を探して見ると、シャボテン社臨時リスト(1964年4月)が最初である。
価格は8cm余り¥8,000とある。同じリストに掲載された他種と比べて見ると刈穂玉18.5cm¥7,000、金赤竜24cm¥7,000などと比べてかなり高い。その頃金鯱の実生苗の相場は6cm球で¥300程度であった。続いて1965年のシャボテン社リストNo.43には、白刺金鯱13cm¥43,000とあり「10cmを越す球は入手困難」とのコメントがついている。因みに同時発表の金鯱40cm(山木をアメリカで多年栽培、極上良球)¥100,000、金赤竜25cmH32cm(発根済み美球)¥20,000等が見える。何れにしてもこの時代には希少品として扱われた。
大戦後早い頃に欧米の何処かから少数が輸入され、当分の間はカキ仔繁殖に頼っていた。風の便りに愛知県の林農園?に戦前から白刺の個体があったとの噂もあった。
ずっと後の時代に私の所で開花球まで育てた記憶がある。実生苗はすべて白刺で黄刺のものはなかった。
こうしてやっと本格的に普及しはじめたのである。

白刺写真