サボテン今昔5 日本サボテン史を彩った人々

@ 棚橋半蔵氏の業績

棚橋著書

 わが国サボテン界の発展に多大の貢献をした人物のうち、松沢進之助、津田宗直の両氏についての記述は色々あるが、今回はもう一人、棚橋半裁氏の業績を書いておきたい。棚橋氏に関する情報が少ないのは、彼が推定5年程度しか日本にいなかったことによる。棚橋氏ご本人については「日本サボテン史」(日本カクタス専門家連盟1990)に記述した。詳しいことは同書をご覧願いたい。

日本最初のサボテン商として名を残した松沢さんは趣味でこの道に入ったが、海外からいろいろと植物を取寄せるうち、やがてそれが評判となり、いつとはなしに商いをするようになった。経験を生かして新しい植物の育て方を教えることはあったが、営業政策上、導入した植物の学名を伏せることが多かったらしい。和名だけで植物が流通することから生じる混乱を招いたのは事実であろう。

 津田さんはもちろん純然たる趣味家で、大変な勉強家であった。植物の本質を見きわめるセンスは抜群で、多くの人達に賞讃されるすばらしいコレクションを築き上げ、傍ら後進の指導にも力を盡くされた。津田さんの栽培の極意を世に残そうと渡辺栄次さん(紅波園初代園主)が創刊した「シャボテン]誌が存在したおかげで、未完ながら津田宗直の「仙人掌栽培法」は70年後の現在なお多くの栽培家の指針となっている。

(棚橋半蔵氏 写真後列右から3人目白服)
集合写真

これに対し棚橋さんは当初から日本のサボテン界の質的向上を目指して渾身の努力を払った希有の人といえる。外交官の子としてドイツで生まれた氏は25歳の時に来日、温暖な湘南の地を選んで栽培室を建て、我が国初のロックガーデンにも手を染めた。資金は潤沢であったらしく、生国であり、サボテン先進国でもあるドイツなどから多数の植物を取寄せた。翌年(1911)一度ドイツに帰り再度来日(1914)するまでの間、ドイツから多くの珍稀種を含むサボテン・多肉植物を日本に送り続けた。彼にとって不運だったのは第一次世界大戦(19141918)が起ったことである。彼は1917年にドイツヘ帰ることになるが、同時に彼の日本サボテン界への関与もここで幕を閉じた。伝えられるところによるとこの慌ただしい4年足らずの間の彼の活動はまことに目覚ましく、精力的に日本各地を駆けめぐった。多くの栽培品を集め、自らが持参した原名つきの標本と対比して誤りを正した。10円の植物を入手するのに1万円かけることも惜しまなかった、と言われている(津田宗直氏談)。

棚橋氏のロックガーデン)


こうした多大の労力と費用をかけてまとめ上げたのが「仙人掌及多肉植物名鑑」1917である。発行所は横浜植木株式会社。英文のタイトルは“LIST OF CACTACEAE AND SUCCULENT PLANTS” BY THE YOKOHAMA NURSERY C0.LTD.となっていて棚橋半蔵の名前はない。英文の序文(lntroduction)の末尾にHanzo Tanahashiとあるだけで、それがなければ、この労作と棚橋さんと結びつくものはないのである。以下可能な限り詳しく紹介して行くが、この書は分類学に則って属別に配列された各種の学名和名の対照と20に及ぶ記号を用いて各植物の性状、栽培環境とを明かにすることを目標としている。表紙にLISTと謳っており、売価の記載ももちろんあるが、本書を刊行した棚橋さんの本意は販売のためのカタログではなかったことをうかがわせる。本書が戦前からサボテン関係の単行本として認められて来た所以であろう。まさに彗星の如く現われ、風のように去った棚橋さんが、唯一つわが国サボテン界に残してくれた贈りもの、それが“仙人掌及多肉植物名鑑”なのである。

 A5判総70ページ(本文40、序6、索引4、写真16、図版2)。表紙裏は英文の注文規定。次に彩色画のカクタス4種…公爵蝦、アッケルマン孔雀、ハンケ柱、テクサス玉(綾波)。続いて「自序」。その一部を転載する。
“…其刺或密に或疎に長短度を同じうせず黄白色を異にし繊細なる糸髪の如きあり屈曲せる釣針の如きあり千姿万様観賞植物中高級に位するのみならず果実の食し得べきもの剌なくして家畜の食料となすべきものコチニール虫を養殖すべきもの果実よりジャム又はパン粉を製すべきもの等実用品種もあり又一見同一形の如くなるも之を熟視する時は其原産地に依りて大に趣を異にせるを発見し得べく其原産地の気候風土を聯想する享楽あり…”“又名称を一定せんが為め各属毎に共通名を附し以て名称に依り各属を判明せしめ品種名は学名を和訳命名せり。従来呼称し来れるものは主として美語を用ひたる為め如何なる属なるかの判断に苦しむ殊に前述の如く幼植物を培養せし為め幼時相類似せる異種に対し同一名を附し或は同一品種なるも共栽培法の相違の結果剌の大小長短又は色彩の細微なる変化を来せるものに異種として種々の名称を附し世人を欺くが如き悪習を打破せり。”
80年も昔の文章などで読みにくいと思うが、言わんとすることは概ねご理解いただけると思う。棚橋さんは和名の整理統一を念願したのは言うまでもないが、出来れば根本的に和名を見直して、和名をみればその属がわかるようにしたかったのだと考えられる。少なくとも学名の意味を生かした和名、例えば「三角柱」Cereus triangularis、「半島玉」Echinocactus peninsulaeなどを除く「千代田錦」「明月」「金竜」といった“美語を用ひたる和名には同意したくなかったことが上掲の文章から汲みとれるのである。

 統いて英文のINTRODUCTIONがある。これは日本文の「自序」の単なる英訳ではなく、次のページの「仙人掌栽培手引」の内容が大半を占める。以下その要約。 世界にはいろいろな収集家がいる。切手、マッチのラベル、やきもの等々。読者諸君、余り役に立たないものを集めるのだったらサボテンをおやりなさい。サボテンを見つめてごらんなさい。しわくちゃなお札を見ているより遥かに楽しいですよ。もし植物をやるのだったらきたならしい樹木などより何か愛らしいものがいい、ですって?その通りです。では貴方はカクタスを見たことがありますか?貴方がよく見かける出来そこないの小さなものから判断しているんじゃありませんか?どんな植物でも健康状態がよく保たれてこそ、生き生きのびのびと育つのです。サボテン・多肉植物はこの世で最も大きく、最も美しく完璧な花を咲かせるのです。そういう事をご存知ですか?貴方が趣味として多肉植物をおやりになるなら私がアドバイスを致します。彼等にチャンスを与えて見ませんか。サボテンは余りおカネもかかりませんし労力も少なくてすみます。ほかの多くの植物に比べれば水やりも植替えの手間も少なくてすみます。私の経験から上手に育てるヒントを幾つか差し上げましょう。

有刺パイレスキア Mamillariaハイデル玉 無刺団扇

@栽培の容易なものから始めること。貴方が屋外で作るのか、しっかりした設備の温室をお持ちか、お住まいの地方の気象条件などをお 知らせ下さい。それにより適切なアドバイスを致します。私達は単にお客様が欲しいだけではありません、ご満足いただけるような、 貴方にぴったりの植物を選んで差し上げたいのです。
A荷が着いたら丁寧に開けて下さい。そして砂を加えた用土(下記)に植えて下さい。植物は長い間暗黒の中にいたわけですからいきな り陽に当てると失敗します。約2週間かけて徐々に光線にならし、その間、潅水はごく少量に止めて下さい。
B.用土は(特殊のものを除いて)軽くて未熟のものを含まない壌土に砂を加えること。用土は湿っている時でもサラサラして固まらない こと。
C鉢は小さ目に。大きすぎないこと。
Dカクタスには休眠期があります。休眠は植物が生長をとめる事で分ります。休眠中の潅水は控え目にします。
E肥料は危険です。特に初心の方は気をつけて下さい。若し肥料が必要に思えるときでもごく薄いものにして下さい。
F
害虫に対しては希釈しないアルコールをハケで塗ることをおすすめします。 Opuntiaには敏感なものがあるので注意。
G
病気や汚い斑点が出たらすぐに切り捨て、切り口に硼酸をふりかけます。根腐れの場合は健全部が出るまで赤い部分を取り除く。切り 目は乾燥させサラサラの用土に植えます。新根が発生するまで水をやってはいけません。
多肉植物も試して見て下さい。貴方は最も美しい花の栽培家になれます。若し、何か疑問のことがありましたらお尋ね下さい。どんな質問にもお答えします。私は多種のサボテンを長年愛培しています。私は喜んで皆様のお力になります。
 リスト発表の植物は主として日本で栽培しているものです。配列は“Monographia CactacearumSchumann 1903に準拠しました(一部アメリカの最近の出版物を参考にしました)。無用の混乱は望みませんので、手を加えることはしませんでした。但しCereusだけはA.Bergerの分類によりました。 Echinocactus属にわずかの修正をしました。
 終りに、上記栽培法につきお気づきのことがあったらご教示賜れば幸
いです。私の体験を披露すべく全力を盡くしました。諸賢の忌憚のないご意見を切望します。

 植物は横浜植木株式会社でお求めになれます。
Ninomiya, May, 1917 Japan. Hanzo Tanahashi 
 サボテンが好きで好きでたまらなかった棚橋さんはまた、かなりの自信家であったことがうかがえる一文である。商売のほうは武士の商法といった感じがする。このとき棚橋半蔵32歳。


先にご紹介した英文のINTRODUCTIONに続いて、「仙人掌の地理的分布」という項がある。その中で原産地に於ては団扇仙人掌の種類は北緯53度迄生ぜり即ちAsiniboine河上流にて冬期温度−40℃に及ぶものあり又Maihueniaの種類はアルゼンチンの南緯48度迄に至りて生育す。…”と分布の北限と南限を明確に記述されていることに注目したい。続いて「仙人掌栽培手引」がある。初めて仙人掌を栽培せんとする仁に対し従来の経験にて得たる簡単なる管理法を示す可し“という調子の文章が続くのであるが、内容は前記した英文とほぼ同様である。次に取引規定があり、同じページに組物の価格がある。下記の通りである。

組物販売
一般初心者の為め破格を以て提供仕る事とし以下の組物を販売仕候(以下略)

数量   仙人掌  多肉植物 仙人掌及多肉植物混合
10種  ¥.50   ¥.50    ¥.50
25種  ¥1.25   1.25    1.00
50種  ¥3.00   ¥4.00    2.50
75種  ¥6.00   15.00   ¥7.50
100種  ¥25.00  ¥30.00   ¥20.00
150種  ¥45.00    −    40.00
200種  ¥70.00    −    60.00
送料は別に申受く可く候
CACTACEAE
 ここでいよいよ本文に入るわけだが、その前に記号説明がある。潅木とか蔓性とか形状を示す記号、日照の強弱、潅水の多少など栽培条件を示す記号を並べ、英文を添えて説明している。
本文は写真でご覧の通りの体裁で40ページ。そのうち多肉植物は29ページ後半以下の11ページ半である。サボテンも多肉植物も、現在私達が親しんでいる分類とはかなり異っている。棚橋氏自身が言っておられるようにサボテンの配列は大筋に於てシューマン博士が1902年に出版した「サボテン総説」=サボテン科を3亜属、5族、20属、670種に分類し多くの研究家に支持されたシューマン分類法=に従っている。棚橋半蔵著仙人掌及多肉植物名鑑も又、わが国のサボテン園芸史上、最貴重資料の一つであるのでこの稀覯本を出来るだけ詳しくお伝えするために、科別、属別の紹介に続いて、以下個々の種について記載するが、全部というわけには行かないので、愛好家の多いものに絞らせて頂く。

Echinocactus H.K.(玉仙人掌)
ここでいうエキノカクタスは、強制類、有星類、テロカクタス等の北米球形種に加えてマラコカルプス、ノトカクタス、ギムノカリキゥム等の南米球形種を含んでいる。近年の分類に馴染んでいるわれわれに理解し易いように原記載に解説を加えて再現する。

Echinocactus1

以上、本書にEchinocactusとして記載されたものの中からの抜粋。 0年後の今でも人気の金冠竜、天狼などが当時既に売品であったことに驚きを覚えるかたも多かろう。因に、金冠竜は2.54円、天狼は4円。似たような価格のものを挙げると、綾波410円、半島玉24円、菊水26円、竜剣丸5円、金冠25円といったところである。サイズの記載はないが高価なものは原産地球と推定される。この時代までに国内繁殖品が出廻っていたものは安価である。例えば、葉団扇5銭、白妙25銭、竜神木10銭、金獅子5銭、残雪10銭、金竜25銭、竜王15銭、雪晃40銭、青王丸10銭など。

次に多肉植物EUPHORBIA以下。
Euphorbia ユーフォルビア
E.Canariensis カナリヤ騏麟(大鳳角)墨キリン
E.resinifera 脂騏麟 白角キリン
E.echinus 海膽騏麟(大正麒麟)   大正キリン
Epolygona 多角麒麟 輪玉











 
次に
AIZOACEAE蕃杏科の中のMesembryanthemum 24種のほとんどが草もの、花ものメセンであるが、M.pseudotruncatellum曲玉晝花 黄 とあるのが目につく。もちろんLithopsリトプス曲玉のことで「原名ハ切株ノ如シトノ意ナレドモ訳シ難キヲ以テ以上1名ヲ附セリ」¥4.008.00とある。恐ろしく高価であったことがうかがえる。次の馬歯?科(スベリヒユ科)AnacampserosアナカンプセロスにはA.papyraceaパピラケアが紙戻愛草の名で出ている。「短楼ナル草ニシテ恰モ鳥糞ノ如クニシテ表面ニ白キ紙ノ如キ鱗片ニテ披ハル花ハ開カズ」という解説がある。続く菊科、景天科、鳳梨科(アナナス科)は発表種の数も少く、特記する事項もないので割愛。

 












次は百合科。掲載種は下記の通り( )内は現在名。
A. aristata芒蘆薈(宝簑、綾錦)、A.variegata斑入り蘆薈・千代田錦(千代田錦)A.ferox猛蘆薈(青鰐)A.saponaria石鹸蘆薈(明鱗錦、シャボンアロエ)A.commutata変化蘆薈(東之錦)A.1ateritia 煉瓦蘆薈(煉瓦アロエ)A.pluridens多歯蘆薈(白夢城)A.baumiiバウム蘆薈(バウミー)A.thraskii トラスク蘆薈(スラスキー)A.striatula有縞蘆薈(青嵐、郷子アロエ)。価格は50銭から150銭。最高の千代田錦が5円。
最後にAgave アガベ。 A.victoriae reginaeは現在笹の雪と呼ばれているが、この本では“王妃龍舌蘭となっている。近年、王妃笹の雪、王妃雷神等々多くの王妃○○が誕生したが、そのルーツはここにあったか、あるいは偶然か?
以上、長文に亘り、90年前の世界におつき合いいただいたことを感謝して本項を終る。


(参考資料 仙人掌及多肉植物  日本サボテン史  サキュレント381〜383)

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