神経性無食欲症



1.神経性無食欲症とは
 心理的要因・社会的要因・生物学的要因によって生じる、摂食行動を主な表現形とする精神疾患である。通常、慢性経過をとることが多い。近年、日本において増加傾向にあり、また経過途中で抑うつを伴ったり身体的疾患を合併することもあり、社会に与える影響も大きい。
 典型的な患者では、体重を落とすために始めたダイエットで達成感が得られ、体重を落とすことを止められなくなってしまう。低体重であっても自分の体重を多すぎると感じ、さらに体重を減らすことを望む。鏡を見ても「まだまだ痩せられる」と感じるのみであり、体重が低すぎるとは考えない。
 宗教上の理由から断食をする場合、政治的目的から断食によるストライキを行う場合、あるいはカロリーを制限することで長寿が達成できるという健康上の信念を持っている場合に、食事を摂らないか極端に食事の摂取量を減らす例があるが、これらは神経性無食欲症ではない。
 時には、神経性大食症(過食症)や、その他非定型性の摂食障害へと、病像が変化する場合がある。


2.発症率
 社会的要素を含む疾患であるため、その病態は国によっても異なる。ダイエットが若年層の一大関心事である日本におけるANは、若年層、特に青年期の女性に非常に多いことが特徴である。若年男性の発症も見られることがあるが、男女比はおよそ1対20である。発症年齢が年々低年齢化しており、小学生での発症も増加している。治療は一般に困難であり、長い時間がかかる。合併症や自殺のために経過の途中で死亡する例もある(5%〜15%程度)。
 一方で、近代的なダイエットとは無縁のアフリカの地方部において同様の病像を呈する症例の報告があり、宗教的信念との関連が考えられている。


3.症状
 精神神経疾患の中では、致死率が最も高い疾患のなかのひとつであり、最終的な致死率は5%-20%程度である。主な死因は、極度の低栄養による感染症や不整脈の併発である。患者は自己の体重が減少することに満足できるため、自殺が死因となることは神経性大食症(過食症)と比較して少ないが、 抑うつ症状を伴うこともあり、自殺企図をきたす症例もある。

・極度の体重減少
・ボディ・イメージの障害
・女性の場合、無月経
・活動性の上昇、易興奮性、睡眠障害
・抑うつ症状
・食物への興味の上昇…しばしば料理関係の情報を収集する
・強迫的な思考
・自傷行為
・手掌・足底の黄染(高カロテン血症)
・低血圧
・便秘、腹痛
・電解質異常、特に低カリウム血症
・骨粗鬆症
・続発性甲状腺機能低下症
・電解質異常は、特に利尿剤の乱用が見られる症例では起こりやすく、時に低カリウム血症から致死性の不整脈をきたし、急激に死に至ることがある。

また、これらの個人に属する症状に加えて、極度の体重減少や易刺激性が、周囲との関係不良をもたらすことも大きな問題となる。


4.診断
 DSM-IVの診断基準では、「標準体重の85%の値を維持することを拒否する」「体重が減少しているときでも、現在の体重が増加することに対して恐怖がある」「標準体重に満たない場合も、自分自身の体重を多すぎると感じる」「(初潮後の女性の場合)3周期以上に渡る無月経」の4項目を診断基準としている。
 さらに、活動性の亢進があること。体重を落とすため、必要以上の運動・活動を行うこと。現在の病状、深刻性について、認識に乏しいこと。を組み合わせて診断を行う。診断基準に完全には合致しない場合に、非定型摂食障害(特定不能の摂食障害)の診断になることがある。例えば月経が不順ながら存在し、その他はANの基準を満たす場合、非定型摂食障害と診断される。
 摂食障害の患者は時に診療を拒否し、問診の際に症状を隠す傾向にあるため注意が必要。


5. 原因
 発生原因については議論があるが、心理的要因・社会的要因・生物学的要因の3つの要素があると考える人が多い。心理的要因が発病に影響しているのは明らかであり、発病前には、発病に関連する何らかのエピソードが見出されるのが通常である。幼少期に性的虐待を含む虐待を受けること、あるいは高学歴であることが発症の可能性を増加するという報告もある。その他にも精神力動学的に様々な考察がなされている。

@性的な成熟に対する恐怖
○母親からの分離の問題・母親の拒絶
 食べ物が母乳などを含む「母親のよい部分」を象徴するとみなすことができ、摂食拒否によって母親を拒絶しているという説。

○対人関係の障害
 原因なのか結果なのかは不明であるが、対人関係に障害を有する症例が多い。

○失感情症(アレキシサイミア)
自らの感情に気づくことができない・できにくいことを「失感情症(アレキシサイミア)」という。ANも失感情症の要素があることが指摘されており、自らのストレスやつらい気持ちに気づかず(否認して)、その代わり身体症状で表現しているという可能性がある。

○嗜癖としての要素
 初期に、摂食量を制限して体重が減るという結果を得て満足し、更に摂食量制限にふけり、独特の気分高揚を示すことがある。この心性は薬物依存やギャンブル依存などの嗜癖行動との共通点があると言われている。

A社会的要因もANの発症に関与している。メディアにおいてやせた女性、元気で快活な女性が賞賛され、内面よりも外見を重視するような風潮は、ANの発症の大きな要因であろう。やせた女性がよしとされない社会ではANの有病率は少ない。

B生物学的要因についても様々な研究が報告されているが、あきらかに器質的な脳の病変の存在は明らかにされていない。二卵性双生児よりも一卵性双生児の方が一致率が高いこと、AN患者の家族にはうつ病、アルコール依存、強迫性障害や摂食障害が多いことから遺伝的要因の関与も考えられている。ANの発病に関連する遺伝子がいくつか見いだされてはいるが、結論は出ていない。視床下部におけるドパミン、ノルアドレナリン活性の異常を指摘する研究もある。
 2006年現在、厚生労働省の特定疾患に該当し、重点的に研究が進められている。


6.治療
 他の精神疾患がそうであるように、も社会的・精神的・肉体的な要素を併せ持つ複雑な疾患である。早期の治療は治療の成功率を高める。
 治療法は、入院・外来での疾患教育、認知行動療法や集団療法などの心理療法、薬物療法、家族のカウンセリングなどが中心となる。患者が病気であることを否認する場合や、ANの存在を容認したとしても治療には拒否の姿勢を示す場合はよくみられる。さらには、治療を認める姿勢を見せて、実際には出された食事を隠れて捨てる、などの行為も少なからず見られる。
 治療にあたっては、体重増加のみを治療目的とすべきではない。「とにかく食べろ」といった強硬な姿勢を家族や治療者が見せることは、通常逆効果となる。長い間ANと戦っている患者にとって、食物を食べること自体が大変な苦痛・恐怖につながるためである。また体重増加以外にも人間としての成熟、対人関係の充実、実生活での適応などを援助することが重要だからである。以上のように、適切な医師-患者関係、家族-患者関係を築くことが最も大切である。



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