小説「病院外来」

 「あ、佐野さん、こんにちは。久しぶりだねぇ。一週間くらい顔を見なかったけれど、体の具合でも悪かったのかい?」
声をかけられ佐野茂代が振り向くと、ここで良く会う中根真美が座っていた。
「あら、中根さん、ご無沙汰。あんた、毎日来てんの?元気だねぇ」
そう言いながら、茂代は真美の隣に腰をかけた。
「中根さん、あんた、もうここは治ったのかい?」
茂代は、真美の顔をのぞき込みながら自分の首をさすって見せた。以前、しばらくの間真美が首に包帯を巻いていたのが、最近はそれがとれたのを言っているのだ。よく見るとまだくっきりとした傷が付いているのだが、もともと皺だらけの皮膚なのと、茂代の目自体が弱くなっているので少し離れるとその傷が見えないのだ。
「完全には治らないって先生にも言われてんのよ。もう年だしさぁ、気をつけていれば不自由もしないってね。でも、つい忘れてちょっと激しく振ったりすると、駄目だねぇ」
それは茂代も同じだ。年を取るとどこもかしこも具合が悪くなる。

 「で、佐野さん、あんた、本当にどこが悪かったの?あんまり来ないからさぁ、お見舞いに行こうかと思ってたのよ」
真美に言われて、茂代は首を振った。
「そんな対したこと無いんだけどさ、来るたびにあんた、山ほど薬くれるじゃない。あたしって、馬鹿正直にそれ毎日飲んでたのよ。高血圧の薬に低血圧の薬に頭のさえる薬に良く眠れる薬に、血糖値を下げる薬に下がりすぎないようにする薬に、心臓の薬に腎臓の薬に肝臓の薬に肺の薬に筋肉の薬に骨の薬に皮膚の薬に脳の薬に・・なんの薬だか分からないけど、毎朝昼晩、一抱えもある薬を飲むんだよ。御飯なんかとても食べられやしないって、先生に言ったら、栄養剤もくれて、これさえ飲めば御飯が食べられなくても良いってさぁ」
「ああ、そう言うのって良く聞くわよねぇ。で、それで?」
「でもそれだけ薬を飲んでれば、具合も悪くなるわよ。それで少し寝込んじゃってさ、来られなかったのよ」
「そりゃいけないわねぇ。でも具合良くなったんでしょ、病院に来るくらいだから」
「そうじゃないの。今日は、薬の飲み過ぎに効く薬をもらわなくちゃって、それで来たの」
「あ、そうなの。じゃあ、薬もらったらまた帰って寝るのね」
「そうよ、でも寝てる時間無いわね。薬飲むのに時間がかかりすぎて、朝の薬を飲み終わるともうお昼の薬飲まなくちゃならないし、それをやっと飲み終わると、今度は晩の薬なのよ」

 中根真美は思い出した。佐野茂代はいつも大きなリュックサックを持ってきていて、殆ど毎日、そのリュックいっぱいの薬をもらって変えるのが常だったからだ。ここで出会うようになってもう一年ほどになる。最初にあった頃は、茂代はもっと元気だったと思うし、そんなにたくさんの薬などもらっては居なかった。
「佐野さん、あんた最初何でここに来たんだっけ」
「ちょっとおなかを壊してね、下痢気味だったから下痢止めもらったのが最初。そしたら全然でなくなったから今度はお通じの薬もらって、そのうち食欲が無くなったから食欲の出る薬もらって、そうしたら血圧の薬が要るようになって、いつの間にかたくさん薬が要るようになったのよ」
「下痢や便秘は治ったの?」
「今はそれどころじゃないわ。薬がちょっとでも切れると心臓は止まるし肺も止まるし血圧はゼロになったり五百になったり、骨が折れそうになったり筋肉が動かなくなったり。だからお通じなんかもうどうでも良いのよ。それにしてもここの薬、良く効くから助かるわぁ」
「それはありがたいわね。あたしもだからここに来てるのよ。あたしの場合は薬はあまり要らないんだけれど、毎日来て接着剤をつけてもらわなくちゃならないの。それが大変ね。もう三年もこうなんだから」

 その時、看護士が窓口から顔を出して真美を呼んだ。
「中根さん、次ですから、診察室に入ってください」
「あ、あたしの番だわ。じゃあ、また明日ね、佐野さん。本当に毎日来なくちゃならないんだからいやになるわ」
「あんたなんか良いわよ。元気そうだし。じゃあね」
茂代は勢いよく真美の背中を叩いた。ちょう外来ロビーの椅子から立ち上がろうとしていて中根真美はバランスを崩し、大きくよろけた。とたんに、首がころりと落ちた。真美はあわてて手探りで首を拾い、肩の上に乗せてから言った。
「ね、もう年だからちゃんと着かないんだって。だから毎日糊付けをし直さなくちゃならないのよ。でも今日は新しい糊を試してみるって先生言ってたから、良く着けば良いんだけれど」
首を押さえながら診察室に入ってゆく中根真美を見送りながら、茂代は、本当に年は取りたくないと思った。

ブラウザの「戻る」で戻ってください