原罪

 「パパ、こんなところで育ったの?」
娘の中根真美に言われ、飯田周三は苦笑した。確かに七歳の真美は田舎を知らない。大都会で生まれ、大都会で育ったのだし、第一周三自身が幼い頃大都会へ引っ越してしまったので、この濡素六町には殆ど思い出がないのだ。たしか親戚が何軒か残っているはずだが、両親はそのことを全く言わずに亡くなってしまった。

 「でもあなたのお父さんやお母さん、ここには一度も帰ってないんでしょ。あなたも初めてここに来るんでしょ」
妻の松木和代も車のなかから辺りを見回して言った。和代も都会育ちで、田舎は単に訪問する場所としての認識しかないのだ。
「ああ、俺自身、ここが俺の生まれ育った田舎だと知ったのはつい最近だからなぁ。でも、ここは日本でも有数の過疎地だ。住んでいるのは高齢者ばかりで、若い人間はどんどん都会に出ていってしまっているから、他の地方都市と違って、殆ど昔と景色が変わっていないそうだよ」
「そう。パパ、何か覚えている?」
「そうだなぁ、ここを離れたのはほんの小さな子供の頃だったからあまり記憶がないんだ。それに親父達もここの話はしなかったから、なおさらだろうな。だからあんな森や川なんか見ても、テレビや映画、それから温泉なんかに言った時に見た景色とあまり区別が付かないよ」

 日本の田舎はどこも大体似たような景色だ。里山があり、川があり、遠くには山が見え、田圃や畑の間にいくつかの古い家が並んでいる。だから、周三が車を運転しながら眺める景色もそれほどの感慨はもたらさない。
 
 助手席でカーナビを見ていた和子が言った。
「この辺りじゃ、カーナビにも田圃と道路しか出てこないわ。目印がなんにもないんだもの。あなたの生まれた家の住所って分からないの?」
「俺も探してみたんだけれどなぁ。区画が変わっていて、今どの辺りにあるのか分からなくなっている」
「そう言えばあのレンタカー屋さんのお兄さんも見当が付かないって言ってたわね」
「あの店から精々二十キロくらいしか離れていない筈なんだがね、でも彼らがここらあたりに来る理由なんか無いんだし」

 舗装されていない狭い道を車で走るのは、日頃都会で運転している周三にはちょっと難しい。油断をすると脱輪しそうなのだ。
「あ、あれが濡素六神社ね。あの近くに何軒か家があるはずよ」
カーナビを見ていた和子が言った。
周三も遠くに見える小さな鳥居を見つめた。何か今までの景色と違い、遠い記憶と重なるような気がしたのだ。自分は幼い頃あの神社の境内で遊んでいたのではないか、そんな気がふとしたのだ。
「あの神社の側に、池か沼が無いかい」
「あ、ある。裏に濡素六池というのがあるわ」
「ああ、じゃああれがそうだ。俺が子供の頃あそこで遊んでいた気がするよ。あの辺りにある家の中に俺の生家があるかも知れない。行ってみよう」

 「パパ、これ以上車で行くの無理みたいだよ。道路が細すぎるもの」
真美に言われるまでもなく、自分の技術ではもうこの道を進むのは無理だと判断した周三は、歩いてゆくことにした。もう神社は見えているし、歩いても十分くらいだろう。たまたま見つけた空き地に車を止め、みんなで車を降りた。

 神社に行く途中、何軒かの家があったが大半が空き家で、人の姿がほとんど無い。しかし、なかには確かに人が住んでいる家もあるようなので、もし人の姿を見かけたら昔の自分の家のことを訊いてみようと思った。高齢者ばかりなのだから、誰か覚えているかも知れない。
 
 「ああ、確かにここは俺が昔遊んでいた場所だよ。ほら、あそこに見える池も思い出した。よく何人かで遊んだんだ」
周三ははっきり思いだした。あのころは子供がたくさんいて、いつもこの神社の境内が遊び場所だった。みんなで山に出かけたり畑に入って大人達に怒鳴られたり、転んでどこかをすりむいて誰か大人、白い服を着ていたから神主さんだったかも知れない人に慰められたりしたことを次から次へと思い出した。まるで、今までどこかに閉じこめられていた記憶が一時にわき出てきたようだ。
「昔はどこにでも子供がたくさんいたわよねぇ。真美は一人っ子だし、私も一人っ子だけれど、うちのお父さんなんか七人兄妹よ。お母さんも四人だった」
「パパには兄妹いないねぇ。やっぱり一人っ子?」
「そうだな、俺たちの世代から一人っ子が多かったようだよ。親父には何人か兄弟がいたし、お袋にも兄貴が何人かいたはずだ」
「何人かって、知らないの?」
「うん、親父達、ここから引っ越しから親戚づきあいを全然していないんだ。だから、俺も知らない。調べれば分かるかも知れないけれど、それもしていないし」
「あそこの社務所に行ってみましょ。誰か居ればもしかしたら記録があるかも知れない。あなたの家も氏子だったんでしょう?」
「そうだな、聞いてみよう」

 社務所には高齢の神主が一人いた。周三の亡くなった父親よりもかなり年上だろう。
「ああ?松田朗?あんたのお父さんかい・・よく覚えているよ。そうか、あんたがが飯田周三か。よく来たなぁ。まあ、あがれ」
小さな社務所の奥にある住居に通された。そこにある神棚に置いてあった写真を見て、周三の記憶が完全によみがえった。小さな女の子の写真で、享年四歳、佐野茂代と書いてある。
「茂代って・・」
「そうだ、私の娘だよ。生きていればあんたと同じくらいの年かなぁ。あんたと一緒に池で遊んでいて、池にはまった。あんたはうちに逃げ帰って、押入に隠れてふるえていたんだ。だから発見が遅れた。すぐに見つけたら死ななくてすんだんだろうに。それからあんたの家はここに居づらくなって、逃げるように引っ越していったよ。そうか、あんたがあの飯田周三か・・・」


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