花嫁人形

 「おう、周三、父ちゃん母ちゃん居たか」
後から声をかけられ、畑から帰ってきて足を洗っていた飯田周三は振り返った。声を聞いただけでもちろん分かる。郵便配達の竹下陽介だ。もう六十過ぎだが、こうやって三十年以上村中の郵便物を届けている親爺だ。もちろん、周三はよちよち歩きの頃から陽介を見ている。なにぶん、総勢百人かそこらの濡素六村で、竹下陽介はいわば自分の爺さんのような存在だ。

 「あ、爺ちゃん。母ちゃんなら中にいるよ。父ちゃんはまだ畑だ。俺と母ちゃんは先にけえってきた。なんだい、手紙なら俺が受けとっとくよ。誰からだ?」
「いや、これはおめぇの父ちゃんか母ちゃんに直に渡す。周三、おめぇ、幾つになった」
「十八だよ。それがどうした」
「十八か。若けぇなぁ」

 二人の声を聞きつけ、母の中根真美が出てきた。
「陽介さん、なんだね、手紙かね」
それには答えず、竹下陽介はその場に直立し、そして鞄から赤い紙片を取り出し、両手で真美に差し出した。無論、周三はそれが何か分かったし、そして母が大きく息を呑むのを聞いた。
「おめでとうございます。飯田周三君に召集令状であります」
竹下陽介はそう言いながら、明らかに痛ましそうな、そして哀しそうな顔をしていた。
「ありがとうございます。ご苦労様でした」
絞り出すように真美は言い、そしてその赤紙を受け取った。
陽介は姿勢を崩すと、しみじみと言った。
「周三は十八か。たしかに、十七から赤紙が来ることになっているけどよ、実際は二十にならなきゃ来なかったんだ。まあ、周三は体も大きいし、この村でも誰か出さにゃならんでなぁ・・」
陽介はそう言い途中で言葉を呑んだ。村長の笹本が、自分の二十二になる倅の替わりに、周三を差し出したと言いたいのだろう。笹本とはもう何年も前から因縁がある。
「仕方ないよ、陽介さん。家にはこの子の上に二人息子が居るんだ。二人とも病気で療養所に居るんだから、この子がお国のために兵隊さんになるのも仕方がない」

 陽介と入れ替わりに帰ってきた父の松木和男は、赤紙のことを聞くと、黙ったまま首を振り、手足を洗いに裏へ回って言った。
「あんた、周三が兵隊に行ったら、家には二人だけだよ。畑もこれから大変なのに」
「しょうがねぇよ。あのとき、茂代を笹本の倅にやれば、こんな事にならなかったって、おめぇは思ってるんか」
「そんな、あの倅、札付きのごろつきだ。茂代をあんな奴の所にやる事なんか出来ないって、あんたも言ってたんだよ。でも茂代が家にいれば笹本が諦めないからって、そしたら茂代が自分から」
「もう良い。茂代が自分から言い出したにしても、俺たちがそう決めたんだ。そうしなきゃ、篤も輝男もあの時死ぬしかなかったんだ」



 周三の八歳上の姉、佐野茂代、そして二人の兄工藤篤と吉田輝男と当時十歳の周三、中気で寝たきりの祖父、松田朗、そして両親で暮らしていた七年前、二,三年続いたひどい飢饉で濡素六村でも何人か餓死した。そのころ、十歳だった周三も、家族全員ががりがりに痩せ、すっかり青黒くなって立ってもふらふらしていた両親と茂代、そして上の兄、篤が何もとれない畑に行っては必死で働いていたのを覚えている。山から取ってきた草や木の実、茸、それにごくわずかの芋や大根の葉などを混ぜて煮た物をすすっていたのだ。周三もいつも家で下の兄輝男と一緒に寝たきりの松田朗、二歳の妹と、生まれたばかりの弟の面倒を見ていた。しかし、妹と弟は弱々しく泣くばかりで、輝男兄も周三もまともに面倒を見ることが出来なかったが、まず妹がある日動かなくなり、父は黙って妹を山に埋めた。そのすぐあと、弟も死んで、妹の隣に埋められた。暫くして、寝たきりの祖父、朗が死に、あろう事か篤兄が山で足下がふらつき崖から落ちて大けがをして、寝たきりになり、周三一人で家族が働きに行っている間兄の面倒を見ていた。篤兄の替わりに畑に行くようになった輝男兄が、もともと体が弱かった上に衰弱していて重労働をしたために体をこわし、やはり寝付くようになった。
 
 十五、六になった頃、周三はあの時本当は何があったのかを理解した。妹は本当に衰弱死したのだが、生まれたばかりの弟と寝たきりの祖父は、父が手にかけたのだ。だが、当時の事情をやはり理解していたから、間引きがあのような時にはやむを得ず、凶作の時には田舎では普通にあったことだとも分かっていた。親と子供を手にかけた両親を責めるなど到底出来ない。それに、祖父の場合は、自分から言い出したのだとも、あとから篤兄に聞いた。
 
 いよいよ一家がそろって飢え死にをするかと言うとき、十八歳の姉、茂代に縁談が持ち上がり、急に遠くの町に嫁ぐことになった。それまで年が離れていただけに幼い頃から本当に面倒を見てくれた優しい姉が遠い町に嫁入りするのだと聞かされ、周三は寂しくてずいぶん泣いたが結局、お姉ちゃんの幸せを願ってやれと言われ、歯を食いしばって我慢した。村はずれまで姉を見送り、付添人に連れられた姉、茂代が木立の奥に消えるの見たのが、姉を見た最後だった。
 
 その時から、食べる物が増え、大けがで寝ていた篤兄が起きられるようになり、やはり衰弱して寝ていた輝男兄もかなり回復した。だが、家の中には笑いは戻らなかった。みんなが押し黙ったまま互いに顔を背けるように暮らしていたのを覚えている。久しぶりに白いコメを食べた周三が喜んではしゃいでいるのを、母が見て涙をこぼしてから、周三も喜んではいけないのだと理解した。なぜいけないかは数年経ってから分かった。
 
 姉が身売りをしたのだと知ったのは、十五歳くらいになったときだ。当時、凶作が続いた農村からは大勢の娘達が色町に売られることが普通にあった。ただ、これもあとから知ったのだが、村長の笹本が、倅の嫁にとずいぶん前から話を持ってきていたのだそうだが、なにしろ身持ちの悪い倅でムラのつまはじき者であり、なにより茂代が毛嫌いしていたことから、両親ともその申し出を拒否していたという。それまでは比較的日当たりも水も豊かな畑を借りることが出来ていたのだが、茂代が居なくなって次の年から石ころだらけで日当たりの悪い傾斜地を押しつけられた。別に笹本が地主だったわけではないが、笹本の意向があったのは疑いもない事だった。
 
 周三は長い間姉が嫁に行ったのだと信じていたが、姉が病気で死んだと知らされた時、只の一度も会わないまま姉が遠い町で死んだことが信じられない思いだった。やがて姉の遺骨と一緒に送られてきたいくつかの遺品の中にあった千代紙細工の花嫁人形を、これが姉ちゃんだ、と言いながら母が仏壇に供え、朝夕手を合わせていた。周三も母と並んで手を合わせた。
 
 姉が色町で病気にかかりそのまま死んだと知ったあと、姉がどんな思いでこの人形を買ったのだろうと、周三は思い続けていた。母は、配達された赤紙を仏壇の花嫁人形の隣に置き、周三が出征することをつげ、どうか守ってやって欲しいと手を合わせた。
 
 周三が帝国陸軍の最寄りの連隊に出頭するとき、村中が日の丸を振って送ってくれた。その中に、二十二歳の笹本の倅が居るのを周三は見つけたが、無視した。出征するのは周三一人だった。手に提げたトランクの中には、赤紙と、あの花嫁人形がある。母が持って行けと言ったのだ。
 
 七年前に姉を見送った村はずれまで両親は見送りに来ていた。周三が最後に振り返ったときはすでに二人は木立の陰に見えなくなっていた。あとは一人で駅まで歩きそして連隊に出頭しなければならない。
 
 「姉ちゃん、これからずっと一緒に行こうな。どこに送られるかわかんないけど、今、日本は本当は負け戦だってみんなが陰で言ってる。今招集される兵隊は南の島や、支那の奥地に送られてそこで死ぬんだって。でも、姉ちゃんと一緒なら俺、怖くないよ」
周三はトランクから出した人形に語りかけ、そして又歩き出した。

「花嫁人形」蕗谷虹児作詞 杉山長谷夫作曲、大正12年

きんらんどんすの 帯しめながら
花嫁御寮(はなよめごりょう)は なぜ泣くのだろ

文金島田(ぶんきんしまだ)に 髪(かみ)結(ゆ)いながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

あねさんごっこの 花嫁人形は
赤い鹿(か)の子の 振袖(ふりそで)着てる

泣けば鹿の子の たもとがきれる
涙(なみだ)で鹿の子の 赤い紅(べに)にじむ

泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
赤い鹿の子の 千代紙衣装(ちよがみいしょう)






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