かくれんぼ

 (私のサイトに載せた作品です)

 「パパ、遊ぼうよ」
「あしょぼうよ」
六歳の息子松木和男と三歳の娘佐野茂代が、居間のソファに寝そべっていた飯田周三の所へ来て、周三の手を引っ張った。
「うーん、パパ眠いんだ。お仕事で疲れているからねぇ」
「遊ぼうよ、パパ。いつも家にいないんだもん」
「いないんだもん」
「ママは居ないのかい?」
「居ない。さっき、お出かけしちゃったの。パパに遊んでもらいなさいって」

 うとうと仕掛けていた周三は、瞬間的に腹が立ったが、実際には滅多に相手もしたことのない子供達が遊んでほしいと言っているのが可愛くないわけがない。遊んでやりたいが、とにかく疲れているのだ。
 
 今日は、前がいつだったか思い出せないくらい久しぶりの休日なのだ。それなのに、妻の竹下陽子は子供の相手を周三に押しつけて出かけてしまったのだった。二人の子供を育てるのがいかに大変か、だから、一日家にいるのなら子供の面倒を見てほしい、私はお友達と会ってくるから、食べるものは冷蔵庫にメモと一緒に入れてあるから、チンして子供達に食べさせること、あなたもついでに食べて。缶ビールは一本だけにして、それからあれでこれでどれで・・
 
 一通りまくし立て、そして陽子は出かけていった。後には、普段滅多に一緒にいない父親と取り残された子供達が心細そうに残っていて、しばらくは二人で遊んでいたがそのうち飽きたのだろう。

 四十歳の飯田周三は、国内でも中堅以上の商事会社、濡素六興産の中間管理職で、おそらく人生で一番忙しい時期なのだろう。毎日真夜中にならなければ帰れなかったし、土日も接待や新プロジェクトのために出なければならず、家には只寝るだけのために帰っているようなものだ。それはおかしい、と思わないでもないが、競争の激しい会社では、とにかくそうしなければすぐにメインコースからはじき出されてしまう。四十で営業部長になっているのもむしろ出世の早いほうだが、その代償が家族を失いかけていることだった。収入は十分にある。同世代の人間達と比べてもおそらく高い方だろう。だから、三十そこそこで家を建て、会社の支援を得て短期のローンを組んだからそれももうじき終わる。あとは会社で少しずつ返してゆけばよい。そうやって、何不自由のない生活を家族に保証しているが、そのために家族との距離が出来たのだ。
 
 周三はのろのろと体を起こし、茂代を膝に乗せ、和夫を隣に座らせた。しかし、そのとき、茂代が少しおびえたように体を固くしたのを感じ、さすがに周三は悲しくなった。茂代には自分が父親だという感覚が無いのではないか。
 
 「いつもママとどんなことをして遊んでいるんだい、和夫」
「ママと遊ぶことなんかあんまり無いよ。僕は普段学校に行っているか、塾に行っているか、ゲームをやっているもん。茂代は保育園に行っているか、一人で誰も居ない所で遊んでる」
周三はつくづく思った。陽子には時間がたっぷりある。別に働きに出ているわけでもないのに、茂代を保育園に行かせる必要があるのか。小さい頃からおおぜいの友達と一緒に遊ぶ習慣をつけておかないと、人間関係が育たない、というのが陽子の言いぐさだったし、子育ては茂代に任せるしかなかったのでそうしたが、結果として茂代は家にいるときは独り遊びをしているようになってしまったのだ。

 「パパは本当に疲れて居るんだ。毎日毎日お仕事をしているからね。だから、あと三十分寝かせてくれないか。それからキャッチボールでもしよう」
「茂代はキャッチボールできないよ」
「できないよ」
「そうか。和夫は茂代とは普段遊ばないのか」
「小さな子と一緒に出来ることなんかないもの」
「そうじゃなくて、茂代を遊ばせてやると言うことだよ。お人形遊びとか、おままごととか」
「つまんないや」

 どうしてこんな自分勝手な子供に育ってしまったのだろうと、周三は腹立たしくなった。むろん、その責任は陽子にある。たった一人の妹の面倒も見るのがいやだと和夫は言うのだ。たしかに普段から子供をほったらかしている陽子のせいだ。
「あぁーあ、誰もいないところでゆっくり寝ていたいよ。このソファだけあれば良いんだがなぁ」
思わず周三は独り言を言ったが、すぐにそれを二人の子供が聞いていたことに気がついた。
「じゃあ、何かしよう。そうだなぁ、かくれんぼしようか。パパが鬼だ。パパが十数えるまでに二人はどこかに隠れるんだ」
「パパ、誰も居ないところにいきたいの?」
「例えばだよ。さ、十数えるぞ」
「でも、茂代がいつも、誰も居ないところに行くんだって言ってるよ、な、茂代」
「うん。あたし、だれもいないとこにいくの」
「そうかそうか。とにかく十数えるから、二人とも隠れて隠れて」

 周三は両手で顔を覆い、大きな声で、一つ、二つ、と数え始めた。二人の子供達の足音が遠ざかってゆく。
「茂代はいつも行くところに隠れるのか?」
「いかない。おうちのなかにかくれなさいって、パパいってたもん」
「でもおうちの中だと、すぐ見つかっちゃうよ」
「じゃあ、パパを・・」
遠ざかってゆく子供達の話し声は、そこで聞こえなくなった。

 「ななつ、やっつ、ここのつ、とお」
数え終わって周三は目を開けた。そして、自分がいつも寝そべっているソファの上に居るのを発見した。周りに家具も床も壁も天井も何もない、上下も判らない茫漠とした空間で、ソファの上に居る自分をだ。だから、滅多にあったこともない茂代が周三のことをすぐに念頭から消してしまったことなども想像する余裕はなかった。



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