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エドワーダのストーリー、眠りながら癒す少女

                                       2003.11.

2003年7月17日、夕食の支度を済ませた私は、新聞を読みながら夫の帰りを待っていまし
た。BGMがわりにつけたTVでは、フロリダ在住の”奇跡の女性”が紹介されていました。

1970年1月、神学校入学を目前にして、糖尿病による昏睡に陥った16歳の少女エドワーダ
と母親ケイの物語でした。「ママ、ひとりにしないで」という娘の最後の言葉を守って、ケイは30
年以上ベッドを離れず、2時間おきに食事を与え、4時間おきにインシュリンを注射する生活を
続けてきたそうです。そしてある日、劇的な癒しのエピソードが生まれました。教会でお告げを
うけてやってきた見知らぬ訪問客の末期腫瘍が、エドワーダに会った後、消滅したのです。そ
れが話題を呼び、以降たくさんの人が彼女の元を訪れるようになりました。エドワーダは眠リ続
けたまま多くの人を癒し、ケイは、いつかきっと娘が目を覚ますと信じて、今もフロリダで暮らし
ています。

わたしは耳で聞きながら、新聞から目を離しませんでした。すると突然、頭頂に強いエネルギ
ーを感じ、身体全体に広がっていくのが分かりました。そして「私はいつかきっとこの人たちに
会う・・・」と思ったのです。何の根拠もありませんでしたが、それは”確信”でした。

それからしばらくして、そろそろ年末の旅行先を決めようということになりました。候補はニュー
ヨーク、それだけでは寒いので、南端のキーウェストに足をのばして明るい海と空を見て来よ
う・・・ 他に寄りたいところはないか尋ねられて、はっと気がつきました。TVの女性が住んでい
るのは、まさに旅行しようとしている町ではないか・・・なんという偶然!! 

手紙を書きました。世界中から何千、何万通も届く郵便物に混じって、私達の手紙がご本人の
眼にふれる可能性なんてあるのだろうか。あったとしても、何ヶ月も先で、その頃にはもう旅行
が終わっているだろう・・・そう思いながら、返信費用を同封した手紙をポストに入れました。

1週間後、「from Florida, USA」という件名のメールが舞い込みました。
ケイさん・エドワーダさんの元に、ボランティアとして通っている日本人のSさんからでした。そこ
には「こころよくお待ち申し上げます」というメッセージと、訪問に際しての細やかな気遣いとサ
ポートの申し出が書かれていました。信じられない気持ちでした。同じ番組を見て、私よりもっと
切実な人はたくさんいたでしょう。なぜ自分が呼ばれたのだろう? 大きな意志の力がはたら
いているとしか思えませんでした。
お里帰りで来日したSさんから詳しいお話を伺った後、母娘へ渡すクリスマス・プレゼントを預
かって、私達はアメリカに出発したのです。

<入り江のきれいな町:フォート・ローダーデール>
          


2003年11月28日、北マイアミのフォート・ローダーデール空港に降り、翌日レンタカーでオ
バラ家に向かいました。小さな通りにもすべて表示があるおかげで、迷うことなくたどり着きまし
た。同じつくりの平屋の家が、建ち並んだ一画。大きなマリア様の像とバラの木が、訪問客を
迎えてくれます。5色の花が咲くバラの木には棘がないそうです! 緑の芝生とよくあう、やわ
らかなピンク色のお宅でした。

    

こぼれるような笑顔で私達を迎えてくださったのは、もう一人の日本人ボランティアNさん。まも
なくケイさんが現れて、奥に案内して下さいました。クリスマスシーズンを迎えて、お部屋の飾り
つけが出来たばかり。あかりが灯され、幻想的で素敵な雰囲気でした。一歩中に入ったときか
ら、空気が精妙で澄んでいるのに気がつきました。空気清浄機が置いてあるのかと思って見
回したくらいです。

          
               

ケイさんは、普通の人にするのと同じように、いろいろなことを絶えずエドワーダさんに話しか
けます。二人が会話していることは、私にもよく分かりました。嚥下機能さえ麻痺しているほど
の昏睡状態が、障害になっていないのです。お二人の交流を間近にみると、意識って一体何
だろうと思ってしまいます。
ケイさんは、目をきらきら輝かせて、”いつもスマイルで”と言います。一緒にいると、私達も自
然と微笑みがあふれてきます。自分の役割を知った人の圧倒的な存在を感じました。

50歳を迎えようとするエドワーダさんは、髪を三つあみにしてもらって、とてもおしゃれ。肌にそ
っと触れると、赤ちゃんのように柔らかな弾力があって、羨ましいくらいでした。介護用ベッドで
もないのに、床ずれがなく、看護経験のある人は皆驚くそうです。

時々低い声を出すので、ボランティアのNさんに尋ねてみると、「浄化しているときに、よくこんな
声を出します」とのこと。
私は、悩み事や解決を先延ばしにしていること、できたらそこから逃げたいことで一杯でした。
自分にも人にも正直ではありませんでした。エドワーダさんにはわかるのでしょう。浄化してくれ
てありがとう!!
「エドワーダはどんな国の言葉もわかるから、日本語で大丈夫ですよ」
ケイさんに促され、みんなでお祈りをして、オバラ家を後にしました。

             
                

後日リフレクソロジスト&ヒーラーのMさんに会ったとき、ケイさんから頂いたメダルを見てもら
いました。しばらくメダルに触れてからMさんは「とても悲しい感じがする」と言いました。その言
葉に胸をつかれました。
本当の愛は、限りない悲しみから生まれるのかもしれません。 

ケイさんやエドワーダさんを思うとき、私は母娘のすぐそばにいる気がします。いつまでもお元
気でいてほしいです。そしていつか再びエドワーダさんが目覚めて、”いつもママのことがわか
っていたわ”と言える日がきますように・・・
              
                -- GOD BLESS --

[ 本 ]
「眠りながら奇跡を起こす少女」
     
[ ホームページ ]                                    The Edwarda O'
bara story : Life is a miracle






追伸 エドワーダさんの集い


2006年5月28日、フロリダにオバラ家を訪ねた人が集まりました。
声をかけて下さったのは、現地でボランティアをしているSさん。一時帰国の慌しい日程を終
え、成田に向かう迄のわずかな時間を、わざわざ私達との会食に当てて下さったのです。

集まった方の中には、エドワーダさんを訪問したことで、病が癒えた方もいらっしゃいます。Sさ
んや、初めてお目にかかる”オバラ・ファミリー”の皆さんは、とても素敵な笑顔でした!
 そうそう、写真に”たまゆら(玉響)”が写っていました。
エドワーダさんの思いがやって来たのかな・・・

                        

Sさん、手作りのクリスタルのペンダントを、どうもありがとうございました。人数分をひとつずつ
きれいな袋に入れて下さって、その細やかな心遣いはフロリダを訪れた時そのままです。大事
にしますね。
ご高齢のケイさんとエドワーダさんが共に過ごせる時間が、少しでも長く続きますように。





ケイさん、神さまの元へ

                      2008.3


1970年1月3日から一日も休まず、自宅でエドワーダさんの看病を続けた
母親のケイさんが、3月7日に亡くなりました。
朝、訪ねてきた看護婦さんが目にしたのは、エドワーダさんの傍らで眠るように亡くなっていた
ケイさんの姿でした。あまりに突然でしたが、多くの不調を抱え、80歳のお身体は既に限界を
超えていました。きっと神様とお話して、”後のことは心配しなくて良いですよ・・・”という言葉に
安心してから天国に召されたのだと思います。
今にも目を開けそうな、穏やかな微笑を浮かべたお顔だったそうです。

ご葬儀は13日に、マイアミのセント・ローズ・オブ・リマ・カソリック教会で行われました。教会に
隣接した学校の教師だったケイさんにとって、思い出深い場所でのセレモニーでした。
当日は嵐の予報だったにもかかわらず朝から快晴で、天使の形をした雲がたくさん見られた
そうです。





エドワーダさんは、2008年3月27日で55歳になります。肉体の苦しみから解放されたお母さ
まも一緒に、お誕生日をお祝いして下さることでしょう。
ケイさん、言葉では言い尽くせないたくさんのギフトを残して下さって、どうもありがとうございま
した。
心からご冥福をお祈り致します。どうぞ安らかにお休みください。  合掌

 *フロリダから度々お知らせを下さったSさん、どうもありがとうございました。
   Sさんのご好意により教会の写真を転載させていただきました。


追記:2012年11月21日、エドワーダさんが
神様の元へ旅立ちました

     心からご冥福をお祈りいたします



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