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モンセラットはバルセロナから電車で約1時間、ロープウェイに乗り継いで
20分のところにある聖地で、奇怪な岩山にはりつくようにして、ベネディクト
派の修道院が建っています。礼拝堂には、12世紀に羊飼いが洞穴で発見 した「黒いマリア像(La Moreneta)」が置かれ、人々の信仰を集めていま す。ガウディはここで作品のインスピレーションを得、ワーグナーはオペラ 「パルシファル」の舞台背景に、モンセラットの景観を使いました。
もう一つ、有名なのが13世紀創立の「少年聖歌隊(Escolania)」。
毎日2回行われるミサで、天使の歌声を聴かせてくれます。
遥か昔の学生時代、ふらっと立ち寄ったレコード屋さんで、少年聖歌隊の歌
うレクイエムを初めて聴きました。
17世紀スペイン最高の作曲家、自らも幼少時聖歌隊員であり、のちに聖歌
隊長になったホアン・セレロールス(Joan Cererols)の作品です。
遠い歴史の波間から漂ってくるような歌声をきくと、限りなく癒されました。
音楽が自己主張でなく、神に仕える行為であった時代の作品に心魅かれる
のは、何故でしょうか。
”自分が死んだときは、セレロールスのレクイエムをかけてもらおう・・・一生
が終わるときに、もしご褒美がもらえるなら、モンセラットを訪ねたい・・・” いつしか、そう考えるようになりました。
実現するかも知れないし、しないかも知れない。そんな結果より、心の中で
思い続ける行為が、ささやかで自分にふさわしい気がしました ![]()
ところが、スペイン旅行をすることになって、モンセラットを訪れる機会はあ
っけなくやってきました。人を寄せ付けない場所にあるとばかり思っていた 憧れの地は、老若男女が気軽に行ける観光地だったのです。
希望がかなうというのに、なぜあまり嬉しくないのだろう?
”いつかきっと”がなくなってしまったら、何を楽しみに暮らせば良いの・・・”
そんな私に家族は、「やれるものはさっさとやるべきで、そうすれば次にした いことも見つかるものだ」と言いました。
私は「アルケミスト」のクリスタル商人と同じでした。
メッカ巡礼を一生の願いにしながら、決して出かけようとしないクリスタル商
人は、少年に言います。
『メッカを思うことが、わしを生きながらえさせてくれるからさ、そのおかげで
わしは、毎日同じことをくり返していられるのだよ。・・・・ もしわしの夢が実現 してしまったら、これから生きてゆく理由が、なくなってしまうのではないかと こわいんだよ。・・・・ でもおまえはわしと違うんだ。なぜなら、おまえさんは 夢を実現しようと思っているからね。わしはただメッカのことを夢みていたい だけなのだ。・・・・ でも実現したら、それが自分をがっかりさせるのじゃない かと心配なんだ。だから、わしは夢を見ているほうが好きなのさ。』 ![]()
たぶん・・・私は何かが実現したとき、その先で”とんでもない目”に会いたく
なかった。こんな筈じゃなかった!と傷つきたくなかったのです。・・・
でも、”とんでもない目”って一体どんなこと? 思い切って一歩を踏み出し
たら、問題だと思っていたことが問題ではなかった・・ということだってあるは ず。前へ進んでいく勇気、自分を肯定する気持ちが大切だよ、と言われた 気がしました。
旅をするといつも、その時一番必要なメッセージをもらいます。もしかした
ら、メッセージが必要なときに、旅が用意されるのかもしれません。 ![]()
並びの建物の地下は、博物館。
エジプト・メソポタミアなどの考古学品から、ピカソ・ミロなどの現代絵画ま
で、幅広い収集品が展示されています。数多くの美術品を、集めるだけでな く山の上まで運び上げた情熱に驚きます。
古い絵画が並んだギャラリーに来たとき、急に身体の中をつむじ風が吹き
抜けました。ふりむくと、名前も知らない聖人の肖像の前でした。
黒いマリア像に触れたときも、ミサのときにも得られなかった、一瞬の交感
でした。
ありがとう、私はきっと、少し変わるよ。
心の中でそういいながら、モンセラットに別れをつげました。
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