ハッキリ言おう。
若い頃、酒などアルコールが入っていれば何でも良かった。ホワイトリカーでもトリスでも、角瓶、ジョニ黒、ナポレオン・・・。何でもいい。呑めればそれでよかったのだ。だからひどい呑み方も随分した。
学生時代、第2次焼酎ブームとかでチューハイが流行り出した時も
「おぉ、これが焼酎の味なのか」
と炭酸ガスの泡立つチューハイをありがたく飲んだりもした。
まともに酒の味を語るようになったのは、それからずっと後、30才になり、体が量より質を求めるようになってから。かれこれ10年ちょっと前の話だ。
通う店がワイワイガヤガヤの安価騒然若者大宴会的チェーン店から落ち着いた和食の店に変わったことも一因と思われる。
そのひとつ、当時一緒に草サッカーをやっていたカメラマンに紹介されて入ったのが、渋谷の裏路地にあった小さな小さな居酒屋。刺身や煮物など極上の和食を気持ちよく食べさせてくれた。
ここで勧められて呑んだのが芋焼酎だった。銘柄はアサヒ。
「芋焼酎初めてですか? 臭いって人もいるんですがね、じっくり味わって呑んでみてくださいよ。きっと気に入りますから」
店主の言葉に素直に従いロックで呑んでみると、確かに美味かった。店の料理が焼酎に合っていたこともあるのだろうが、とにかく、素敵な味わいだった。
ただ、店に通わなくなると(仕事先が移転したため)芋焼酎からもしばらく遠のいた。
次に通うようになったのは、当時住んでいた八丁堀の近隣の店T。歩いて3分という距離なのに、引っ越してから1年経ってやっと入った店である。
店主は同じ年だった。まだまだ料理人としては若いなーと最初は思っていた。ところが通っていくと彼が料理には努力を惜しまず勉強熱心。刺身はこちらが恐縮するほどの極上品が破格の値で出てくるし、肉も美味い。すっかり気に入った僕は、八丁堀から引っ越した今も往復のタクシー代4000円を払ってでも通っている店である。
と、店の宣伝はまた別の機会にするとして、肝心なのは酒だ。実はこの店に通うようになってしばらくは、チューハイ(レモンサワー)ばかり呑んでいた。一応、本格焼酎の麦をベースにしていたが、喉越しでジュワッとやるのが常だった。
それがある夏の日、取材で熊本県は人吉市に行くことになった。僕に課せられた使命は相良藩ゆかりの寺で秘仏を撮影すること。そこで出会ったのが地元で歴史を研究されているS先生。あちこちの寺を案内していただき、大汗かきながら撮影・取材をこなした夕刻、先生は別れ際にこう言った。
「球磨の焼酎は最高ですよ。ぜひ呑まれて帰ってくださいね」
夜、早速ホテルの近くで適当な店を見つけると、カウンターに座り、湯豆腐に球磨焼酎のロックでやってみた。これがドンピシャ!
「米焼酎というのはこんなにふくよかな味だったのかー!」
驚いた。夏の盛りに湯豆腐を頼んだのも米焼酎を際立たせた。
当然、翌日は人吉市内の蔵を探した。幸いなことに焼酎蔵の見学もできる峰の露酒造(現、織月酒造)に行き、取材を兼ねて案内をしていただき、蔵中の酒を全て試飲してみると、その味わいの妙にさらにハマってしまった。
ここからがさあ大変。すっかり焼酎が気に入った僕は早速大量の球磨焼酎を買い込み、Tに持ち込んで店主に焼酎の素晴らしさを語った。もちろん、件の焼酎は勝手に持ち込み状態・・・。迷惑な客の代表であった。
それにもメゲず、気になった焼酎は球磨焼酎を中心についつい買ってしまい、その度に店に持ち込み店主とあれこれいいながら試飲を繰り返す。これが楽しかった。30才過ぎて宝物を見つけたような気分なのだ。
2001年5月、すっかり焼酎好きになっていた僕は、ぜひこの酒を取り上げた特集をやりたいと考えていた。それを実現させてくれたのがこの年に創刊予定のマイルズ(徳間書店)であった。
そして行ったのが、人吉と薩摩の国。米と芋、それぞれ代表的な2つの蔵を巡り、蔵の雰囲気に直に触れることができた。むろん、帰ってきたときには再び焼酎の土産がどっさり。
再びTに持ち込んで、試飲と称した宴会の毎日。米に続き芋の独特の風味に感動しているうち、気付けば世は第3次焼酎ブームが始まり、他の常連のお客さんにも随分と焼酎党が増えてきた。店主もそれに応え、暇さえあればあらゆる焼酎を仕入れている。おかげでこちらも行くたびに新しい焼酎を楽しめるようになったというわけ。
ただし、最後に付け加えておくと、僕は本格焼酎マニア(信者)ではない。ある程度のウンチクを披露していても、チューハイも好き。要はその時、その場に合った呑み方を楽しみたいだけなのであった。 |