07.5.3 米沢城、上杉まつり

写真トップは上杉神社。左は鳥居。右は土塁上から堀を望む。

写真左は、上杉家廟所。

 ゴールデンウィークはいつも仙台に帰省している。
 今回は米沢に寄り道することにした。
 わたしとしてはかなり早めに予約した(4/20)つもりなのだが、朝早い切符しか取れなかった。
 しかも山形新幹線は往復とも取れなかった。
 で、こういう日程になった。

   やまびこ201   山形線
 東京  →  福島  →  米沢
  6:12  8:12 8:31  9:20
 特急券 4,280円(新幹線・指定)
 乗車券 5,250円(通し) 計9,530円

    山形線   やまびこ?
 米沢  →  福島  →  仙台
  17:45  18:30 ?  ?
 特急券 2,500円(新幹線・指定)
 乗車券 1,890円(通し) 計4,390円

 仙台への新幹線は福島15:52発のを予約していたが、変更した。
 メモしていないので何時の便かわからない。
 総計13,920円。
 ちなみに、帰りは仙台→東京をやまびこで直行して10,790円。
 もし福島→仙台間を各駅停車で行っていたら、あまり金額が変わらなかった。

 当日。福島駅で山形線に乗り換える。
 たまたま8:31発、というちょうどよい便があった。
 これを逃すと、次は11:07発までない。
 しかもこれは「花回廊上杉まつり号」という臨時電車。
 通常の日なら、次は12:54発である。
 もっと遅い新幹線が取れていたら、福島でかなり待たされるところだった。
 どうやら福島−米沢間は新幹線で行け、ということになっているらしい。
 山形新幹線の便は結構ある。

 2両編成である。
 幸い座れたが、立ち客で一杯になった。
 ほとんどが米沢の上杉まつりに行く風である。
 路は山道。
 周りに何もない無人駅に下車する人がいると、地元の人ですら「ここで降りたよ!」と驚いているのが面白かった。
 進むに連れ、地下でもないのに携帯電話の電波が入らなくなる。
 峠駅というところに来ると、売り子のおじさんがホームで声を上げながら「峠の力餅」というものを売っている。
 これはここの名物らしい。
 途中、吹きさらしの無人駅もあったが、峠駅辺りではホームを過ぎても延々と屋根が続く。
 雪避けのためらしい。
 1時間弱で米沢に着いた。
 線路が他にないので、新幹線も同じ線路を走るようだ(そうすると単なる特急ではなかろうか)が、各駅停車の方が楽しかったと思うので、結果的によかった。

 福島駅で既に「上杉まつり」のパンフレットを入手していたので、道々どういう順番で何をしようか考えていた。
 まつりは4.29からスタートしていたが、最終日の今日は目玉の「川中島合戦」が行われる。
 これが14:00からなので、その前に色々見て回るつもりであった。
 米沢駅から米坂線に乗り換え、西米沢駅に回ろうかと考えたが、山形線以上に便がないので全く無理であった。
 で、駅前からバスに乗ることにした。
 「市街地循環バス」(市バス)と「山交バス」とがあるのだが、まつりのおかげで交通規制があり、市バスはこの時間運休していた。
 山交バスは動いていたが、すぐの便がなかった。
 待ちきれず歩いて行く家族連れもいたが、観光地までには距離があるので、待つことにした。
 観光地での移動は、歩きか、電車、バスである。
 タクシーには、予約している列車に間に合わせるときなどを除いて、なるべく乗らないようにしている。
 特に行きの場合、タクシーで行くと帰りにタクシーを拾えず、困ることもあり得る。
 待っていると、同様にベンチに座っているがバスを待つ風でもなく、酒を飲んでいるおじさんが話かけて来た。
 上杉まつりを見に東京から来た、というと驚いて、小さい頃からずっと見ているが、そんなもんかねえ、という感じ。
 それでも、毎年見られていいですねと言うと、まんざらでもない様子。
 今、息子さんが神奈川にいるとかで、関東の地理の話などをしていたらバスが来た。
 それでは、と別れを告げると、名残惜しそうにも見えた。
待つ間を退屈もせず、地元の人と話ができたのは幸運であった。
 後から考えてみると、いくら家が近いにせよ、朝からバス停で酒を飲んでいるのは不思議でもあるが、やはりまつりの日は特別なのであろう。

 バスは「小野川温泉行き」という魅惑的な便であるが、とりあえずは米沢市内を横断する。
 車窓から街の様子を眺めるのも、楽ちんで楽しいものである。
 行きたいところの一番遠くにまず行って、後は戻りつつ見て回るのが観光の常道である。
 10時頃、「御廟前」という停留所で下車。
 バス通りから脇に入る。
 法音寺というお寺の奥に、上杉家廟所がある。
 門をくぐると、中央に謙信公の御廟、その左右に代々の米沢藩主の廟が、横一列に並ぶ。
 廟は、2〜8代まで社造り、材質はケヤキで、丸柱。
 9〜12代は、10代鷹山公考案の宝形造り、材質はスギ・ヒノキで、角柱と、簡素になっている。
 藩財政の立て直しで名高い鷹山公の節倹振りが、ここにも及んでいる。
 なお、鷹山公が10代、とは、初代謙信公を祖とする上杉家当主の数え方で、米沢藩主としては9代。
 ひとつだけ小さな廟があり、これは藩主となる前に世子のまま夭折した顕孝公のものであるとの由。

 バス通りに戻り、東(米沢駅方向)に向かって歩いて戻る。
1km弱で上杉神社へ着く。
 バス通りから少し南(右)に入るとある。
 米沢城の本丸跡が境内である。
 水掘で囲まれた正方形。
 桜の名所だが、盛りを過ぎ、花びらが地面を覆っていた。
 まつりのこととて、出店もありたくさんの人出であった。
 参道は、東から入って西の本殿に至る。
 北から来たので、脇から入る感じ。
 堀は広いが水面まで落差はない。

 堀の内側をそれほど高くない土塁が囲む。
 門はない。土塁の切れ目から入る。

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                     *
*  稽照殿   池         *
*                    *
* 本                 *
*       参    道     
* 殿                 *
*        社務所       *
* 春日神社             *
*              招魂碑 *
****  **********
                         伝国の杜
               上杉記念館    上杉博物館
                          置賜文化ホール
米沢城址
 鎌倉時代の初期 歴仁元年1238
 長井時広の築城と伝えられ
 伊達・蒲生・直江・上杉の諸氏の居城した城址である。
 (立て札より)

 土塁に登って1周してみようと思ったが、上杉神社本殿の裏を通り、春日神社の手前で行き止った。
 春日神社(西南)、招魂碑(東南)の辺りは一帯が高くなっている。
 参道の北、池のある辺りは、風情のある場所で一休みするのに好ましい。
 稽照殿という宝物殿がある。
 ごく小さいものだが、わたしの見た中では、この手の施設では最高の展示内容である。
 展示物のリストがないかと聞いたが、ないとのことなので、自分でメモした。

軍旗 「毘」「龍」

<国指定重要文化財>
 色々威腹巻 いろいろおどしはらまき
謙信公所用
 色々威腹巻 附黒漆鎧櫃 つけたりくろうるしよろいびつ
 烏帽子形白綾頭巾 えぼしなりしろあやずきん
直江兼続公所用
 愛の兜
 (前立てに「愛」の一字。「愛染明王」からとった)
景勝公、鷹山公所有の鎧兜

<山形県指定文化財>
 軍旗 紺地日の丸 こんじひのまる 
 (長尾家に代々伝わる天賜の御旗。明治作成)
 勝色威胴丸具足 かちいろおどしどうまるぐそく
 (足利義輝から贈られたもの)
 謙信公(考案)車傘
 (矢弾を受けると回転する。鉄製・黒漆塗り)
<重文>
 禡祭の剣 ばさいのけん
 (出陣の軍神祭に用いる祭器の宝剣)
 景勝公秘蔵の太刀 銘 助宗
<県指定文化財>
 謙信公筆
  たけ田はるのふあくきやうの事
  (武田晴信悪行の事)
  晴信討伐祈願文(複製)
  片仮名イロハ
  (幼少の景勝公に与えたかな手本。複製)
<重文>
 鑓 銘 埋忠 うめただ
 (景勝公が秀吉から賜った20本の中の10本)
 大太刀 無銘 伝 元重
 (背負太刀、野太刀と呼ばれ、南北朝時代に流行。
  抜き身のまま、或いは従者に持たせて敵を威圧した)
 謙信公御召料
  紺緋羅紗袖替陣羽織 こんひらしゃそでがわりじんばおり
  (南蛮渡来の羅紗製)
  浅葱綾地竹雀綾紋繍胴服 
   あさぎあやじたけにすずめもんぬいとりどうふく
  (現存最古の唐綾のひとつ)
  紅練緯地小袖 べにぬりぬきじこそで
  薄黄雲文牡丹文緞子袈裟
   うすきうんもんぼたんもんどんすけさ
 
 爾界曼荼羅 金剛界、胎蔵界

 携帯で撮った写真の時刻からすると、10:45〜12:30頃まで、上杉神社にいた。
 その後、南に隣接する上杉記念館(旧上杉伯爵亭)を見る。
 日本建築の建物は国の登録有形文化財だそうだが、そのくせ普通に料理屋として営業している。
 庭側から見ると、広い座敷で皆が食事をしている。
 昼は予約もいらないようなので、わたしも入って米沢牛の料理を食べたかったが、時間がないのであきらめた。

 米沢市上杉博物館に回る。
 広くてとても立派である。
 「直江兼続〜秀吉・家康も一目おいた上杉氏の宰相〜」
という特別展をやっていた。
 展示物は書ききれない。
 兼続のほか景勝、秀吉等の書状がうじゃうじゃ展示されていた。
 常設展も充実している。
 国宝の洛中洛外図(上杉本)には、当時の京の人口の1/40にあたる2,500人もの人物が描かれているという。
 どこに何が書いてあるかを示したチラシを見ながら鑑賞する。
 洛中洛外図を動画化したCGアニメーションも楽しい。
 映像では、鷹山公の生涯をドラマにしたものも上映されていた。
 大きなスクリーンが、三面鏡のようになっている。
 中央に鷹山公の正面の顔が映っていると、左右にはそれぞれの横顔が映る。
 あるいは右のスクリーンは廊下で、人が来てふすまを開け、中央から左に映し出された室内に入ってくる。
 このように三面スクリーンを生かした、凝った映像になっている。
 女優の紺野美紗子さんが出演していたが、米沢に何か縁があるのだろうか。
 米国のケネディ大統領にも賞賛された鷹山公の藩政改革(財政再建)だが、ドラマを見ると、守旧派の家臣達の抵抗が大きく、孤立無援で挫折しかかったこともあったようである。
 その家臣達の子孫もいるはずだが、どんな思いでこのドラマを見ているのだろうか。
 その他には、書状のコピーを折りたたんで、封書にする実験コーナーが面白かった。
 書状は持って帰れる。

 神社から博物館を回り、米沢は歴史と文化財の宝庫であると感じた。
 おかげで時間がいくらあっても足りず、上杉まつりのメインイベント「川中島合戦」に遅参することになった。
 バス通りに戻り、まっすぐ東に歩くと、米沢駅に行き当たる。
 新幹線の切符(福島から仙台)を遅い時間に変更した後、再び西へ。
 米沢を南北に流れる松川は、最上川上流。
 相生橋から、南へ延びる河川敷が戦場である。
 これは川中島の合戦を再現したもので、黒い具足に青い旗の上杉勢と、赤備えの武田軍とが、既に戦っていた。
 14:00〜15:30の予定となっていたが、後半分ぐらいしか見られなかった。
 伝令の報告や大将の命令は拡声されて、客に聞こえる。
 また戦況を客観的に伝えるナレーションも入るので、非常にわかりやすい。
 両岸には大勢の観客。
 桟敷席は有料の予約席なので、土手の上の道路から見る。
 きつつき作戦が空振りに終った武田の別働隊が、本軍を助けに来る。
 戦場が西岸の川原なので、東岸から本当に渡って来る。
 火の手が上がる。
 信玄と謙信が一騎打ち。
 互いに譲らず、引き分け。
 合戦自体もそんな感じか。
 両軍勝どきを上げる。
 戦が終れば、ノーサイド。
 無礼講のようになる。
 客も戦場に降り、武将と記念撮影。
 食べものが安くなっていたので、買って食べた。
 鳥の唐揚げとソーセージ。
 ゆっくりと、戦場を後にする。
 川の此岸から彼岸から綱を張り、大きな鯉のぼりがたくさん吊るされていた。
 鯉のぼりが名産なのだろうか。
 列車の本数が少なく、次の便まで、時間がたっぷりある。
 そこで、まっすぐ駅に向かわず、宮坂考古館というところに寄った。
 民間の小さな博物館で、所蔵品もそれほど多くない。
 鎧や鉄砲などがある。
 見ていると、男の人達が帰ってきた。
 どうやら、鉄砲を持って合戦に従軍していたらしい。
 つまり、ここの火縄銃は現役で使用されているのである。
 何年か前、愛知県・奥三河の長篠城址で、「長篠合戦のぼりまつり」を見た。
 長篠合戦は織田・徳川対武田で、上杉は関係ないのだけれど、まつりでは上杉鉄砲隊が友情出演して、火縄銃を撃っていた。
 それは同じGW、5月5日である。
 もしかすると、この鉄砲も休む間もなく長篠まで遠征するのかもしれない。
 
 まだ時間があったけれど疲れたので、駅前のバス停のベンチに座って休んでいた。
 17:45、米沢から福島へ行く鈍行に乗った。
 車中、わたしと同じく一人でまつりを見に来たというおじさんと同席した。
 静岡の人で、歴史が好きであちこち回っているという。
 信長がピンチになると、敵がちょうどよく死ぬ。
 信玄しかり、謙信しかり。
 これは偶然であろうか。
 信長の周りには、バテレンがいた。
 日本人の知らない毒を使って、暗殺したのではないか。
 これがおじさんの自説で、なるほどと思った。
 新田次郎の小説では、信玄は労咳(肺結核)持ちであり、史実だと思っていたけれど、死因を胃癌と書いた本もあり、はっきりしない。
 急病でなくなった可能性も否定できないのではないか。
 謙信も酒の飲み過ぎが原因とは考えられるが、急死である。
 おじさんは若いころは競艇の選手で、日本中を旅したが、冬寒いと困るので、北の方には競艇場がないので行ってなかった、と言う。
 笹川良一さんは、選手にとっては徳川将軍のようなもので偉かった、とも言っていた。
 とても話が楽しく、福島では名残惜しい別れであった。
 おじさんは東京方面へ、わたしは仙台の実家に帰った。


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