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2008.10.11(土)大和郡山城
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写真トップ、左は追手門、右は追手門東隅櫓。
写真左は追手門向櫓。 東京11:47→東海道新幹線のぞみ223号→14:08京都 ¥13520 京都14:26→近鉄京都線 急行 天理行→15:14郡山 ¥ 670 郡山17:43→JR大和路快速 大阪行 →18:18新今宮 ¥ 540 新今宮18:25→南海高野線 急行 橋本行→18:35堺東 ¥ 250 3連休、関西を旅した。 初日は寝坊して、遅い出立となった。 切符は帰りだけあらかじめ買っていた。 出掛けは小雨が降っていたが、やがて晴れた。 折りたたみの傘を使ったので、たたんでリュックに入れた。 車中であなご弁当¥1000を食べた。 京都からはJRでもよかったが、近鉄の駅からの方が郡山城に近いとのことだった。 前日、奈良県の観光ガイドブックを読んで、大体お城の位置はつかんでいた。 その本を持って行くのを忘れてしまったが、郡山駅に近づくと窓からお城が見えた。 だから線路に沿って戻ればよい。 そう思って歩いて行くと、道の両側に小さな石垣があって、門の跡らしい所に来たが、そこは今は高校の入口で、許可なく通行を禁じます、とあったので、高校を迂回しようとすると、大きな池が出現して、大回りをしなければならなかった。 池の向こう岸は校舎なのだけれど、その土台には石垣が水面まであって、やはり高校も城の遺構の中に建てられたらしい。 立看板によると、池は「うなぎ堀池」と言い、大雨の際は川の氾濫を防ぐため、この池に水を貯めるようになっている、と言う。 もっともその川がどうも見当たらないのだけれど、更に先にあった看板では、高校の校庭にもいざの時には水を貯めるようになっている、とのことで、これには驚いた。 洪水が起こりやすい土地らしい。 やっと高校の裏手(駅から見ての話で、正面が本当はどちらかは不知)に出ると、深い堀があって、その中に石垣で囲われた区画があった。 思っていたより規模は大きい。 そちらに渡る道があった。 「柳沢神社」と書いてある。 小さな神社であった。 柳沢吉保公をおまつりしている。 江戸幕府5代将軍・徳川綱吉公の側用人から成り上がり、最後は甲府からこの大和郡山に転じて15万石を領した。 譜代大名としては大身であろう。 神社の奥に天守台があった。 上に登れるようになっている。 が、登る前に北面(神社から行くと裏側)に回る。 「さかさ地蔵」がある。 看板の文章をメモした。 |
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さかさ地蔵
大和郡山城の本格的な築城は、天正13年(1585)豊臣秀長が入部して100万石の居城にふさわしい城造りがなされようとしたことに始まります。 天正15年には紀州根来寺の大門を郡山に運んで城門とし、春日神社の水谷川から大石を切り出し郡山に運び込まれました。 又、翌年には築城のための石不足で奈良中に五郎太石(石垣裏込め用)の採集を命じるほか、寺々の庭石や礎石、五輪塔、石地蔵などを接収しました。 この天守台周辺の野面積みの石垣には、平城京羅城門の礎石や、石地蔵、五輪塔などがおしげもなく積み込まれています。 さかさ地蔵もこのうちの1つで、石造地蔵菩薩立像がさかさに積み込まれているので「さかさ地蔵」と呼ばれています。 地蔵は左手に宝珠を持ち、右手に錫杖を持っています。 仏身は約97センチメートルの立像で、大永3年(1523)癸未7月18日の刻銘があります。 さかさ地蔵の隣に数多く置かれている石仏は、路傍に忘れられた野仏や都市開発工事で掘り出されたものなどを、誰とはなしにここに運んだものです。
「さかさ」という表現から抱いていたイメージと実物は違った。
地蔵の底面(まっすぐ立った時に床に接する面)が、石垣の表に出るように積んである。 だからお地蔵様かどうか見た目わからなくてよいのだけれど、積み方が非常に粗くて、下に隙間が生じているため、隙間から覗くと、地蔵であることがわかるのである。 うつぶせて、頭が低く、足が高くなるように積んである。 それを「さかさ」と表現している。 高校からここまでの道々も石垣は結構あちこちに残っていたが、概して積み方が粗い。 昔は間に小石を詰めてはいたのであろうが、年月とともになくなってしまったのだろう。 結構隙間が空いている。 天守台に登った。 眺めはよいが、それほど広くないし、端に柵など何もないためちょっと怖い。 隣(東側)に建物が見えるので、当然そちらへ進む。 天守台のある郭と建物のある郭は堀で隔てられているが、狭い道でつながっている。 隣へ渡った。 庭園になっていて、わらぶきのあずまやなどがある。 そこを抜けると「柳沢文庫」という所があって、有料で入館できるが、入らず別の建物の方へ進む。 大きく立派なものだったが、元の県立図書館を移築したもので、城とは関係がなかった。 その南側に、門と櫓がある。 追手門(梅林門)と、追手門向櫓。 門は再建とあったが、櫓は古来のものであろうか。 立派なものだが、天守台上にないのだから、天守とは言えまい。 少し離れた所に追手門東隅櫓がある。 そこから北に築地塀が伸びている。 狭間から覗くと、下は堀で、そ の向こうに線路。 近鉄であった。 築地塀の下は堀まで石垣。 北端までで塀は尽き、石垣もそこで終り。 郭の北辺は土塁で、深い空掘は木々が茂り、自然の峡谷のようになっていた。 西へ歩くと水掘にぶつかるが、天守台の郭の周りを堀に沿って外から回る細い道があり、石垣をみながらずっと歩くと、また高校の前に戻った。 またその道を、今度は神社の方へ渡らずに歩く。 だんだん下り坂になって行って、堀とともに左へ回り、北に向かって歩くと追手門に行き着く。 ここら辺りは一番低くて、堀の水面への落差がない。 向櫓は追手門に近づく者を見下ろす(石垣はかなり高い)位置にあるが、東隅櫓はちょっと離れた所にあるので、門の守りというよりは外(堀の向こう)を見るためのものであろう。 堀に看板が立っていて、真珠貝で堀をきれいにする実験をしているとのこと。 濁りの原因のプランクトンを貝が食べてくれるそうだ。 日が大分傾いたので、再び追手門を出、高校とは反対側で線路を渡ろうとすると、看板に地図があったので、写した。 |
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空堀空堀空堀
堀堀堀堀堀 G 塀堀 郡 掘 @A掘堀 D F堀 山 堀 掘堀 堀 E 堀 高 堀 堀 B 堀 C 堀 堀 校 堀 堀 堀 堀 堀 堀堀 堀堀堀堀堀 堀 池 堀 池池池 郡 山 高 校 池池池池池 池池池池池池池池池池 池池池池池 池池池池池池池池池池池 池池池池池池池池池 @天守台 Aさかさ地蔵 B柳沢神社 C柳沢文庫 D追手門 E追手門向櫓 F追手門東隅櫓 G城址会館
線路を渡って南に進むと、また少し石垣があって、「柳御門址」「頬当門址」とあった。
(書かなかったが、城構内にもあちこち「××門址」という石碑があった。) 後者の所を抜けて東へ。 市役所の前に地図があって、JR郡山駅へは東へおおむね真っ直ぐ行けばよいとわかった。 途中「そとぼり緑地」という所があったが、素通り。 JRの駅は、お城からはやや遠いが、近鉄よりも大きく立派であった。 「大和路快速」は大阪行きで、「快速」は難波行き、とのこと。 どちらも新今宮には行く。 南海に乗り換えてからは、(宿泊地である)堺東まですぐであった。 メニューページ「近畿・お城ウォッチ」へ戻る |