03.12.28水戸城

写真は偕楽園の好文亭。

常磐線 上野8:00→→9:19水戸14:07→→17:12仙台
      スーパーひたち7号   スーパーひたち27号

 事前に買っておいたガイドブックは千葉県と茨城県で1冊になっていて、千葉県の方が頁が多い。
 それと「日本の名城 東日本編」(学研M文庫)という本を元に、水戸小旅行を敢行した。
 なぜ水戸にしたかというと、帰省のついでに寄り道して行ける所で、行ったことがなくて、面白そうな所、特にわたしの好きな旧跡の多い所、ということで選んだ。
 普通は東北新幹線で帰るのだが、水戸は通らないので、より海沿いを通る常磐線の特急に乗って行く。
 本当は上野8:30発の切符を買っていたが、早く着いたので8:00発に変えてもらった。
 寒かったがお天気がよくて何よりの日和。
 電車が水戸に近づくと、山に木がまばらに生えているところがあって、これが偕楽園だなと思った。
(実際その通りだった。)
 水戸駅に下りると、さすがに大きな街である。
 まず近い所で水戸城址へ歩いて行く。
 途中「義公(水戸黄門のこと)生誕の地」に神社がある、とのことだったが、鳥居と記念碑があるだけの小さなもので、黄門様が生まれた家臣の家があった跡らしい。
 後年母を思って詠んだ歌が石碑に刻まれていた。

 城跡へは軽い坂道を登って行く。
 まず本丸跡へ。
 坂を登ってきた所は二の丸跡で、その東にある本丸とは狭いが深い堀で隔てられている。
 橋は但し全くの現代建築。
 堀の底には線路が一本通っている。
 水郡線(水戸と福島県の郡山を結ぶ線で単線。常磐線より内陸に向かう)である。
 線路の両側は急な坂、というよりは崖で、木々が生い茂り、誠に山中のローカル線といった風情。
 実は本丸跡は丸々水戸第一高校になっていて、門には「学校関係者と史跡見学者以外は出入り禁止」と書いてある。
 学校の門をくぐると、脇に昔のお城の門がぽつんとある。
 史跡といっても実はこれしかない。
 名前は「薬医門」という。
 さほど大きくもないので、お医者さんが出入りするものかと思ったが、説明を読むと薬医門とは建築様式をいうのだそうだ。
 主柱が奥の方に引っ込んでいて庇が前に出ていて、前から見て奥行きが感じられる様式とのこと。
 冬休みだろうが、部活のために出てきている生徒の姿が見られた。
 構内をぐるっと回ってみたが、ほんとにただの高校であった。
 ただ回りが崖で、木は生えているが何の仕切りもないのが怖かった。
 観光化されてない城跡には、こういうところが多い。
 あんまり広くない。
 本丸とはいえ、往時も天守も館もなく、籾蔵があっただけと言う。

 橋を戻って、二の丸跡を西へ歩く。
 館はここにあったので広い。
 今は水戸第三高校、茨城大学附属小学校、水戸第二中学が並んでいる。
 道には「以前はここに何があった」などと史跡を示す碑が所々に立っていて、行政の歴史を重視する姿勢が見えてよろしい。
 ただ何の跡があったのか覚えていないけど。

 もう一度橋があって、渡ると三の丸である。
 今度の橋は、欄干が古めかしい。
 橋の下、堀の跡は今度は広くて道路になっている。
 橋を渡ると、すぐ正面に長い白壁に囲まれた敷地があり、立派な門がついている。
(但しお城の門のように頑丈そうではない。)
 弘道館である。
 幕末にできた水戸藩の学校で、勤皇の志士を多く輩出し、明治維新の原動力となった。
 190円払って中へ入る。
 但し正面の門は、今は開け閉めしないので、脇っちょから。
 家としたらかなり大きい平屋の建物があり、上がる。
 あまり日が入らないので、中の方が寒かった。
 畳敷きだが足が冷たい。
 中には色々展示物(書や手紙、学問書など)もあり見応えがあった。
 水戸黄門が編纂を始め、明治になってからやっと完成した「大日本史」の、草稿というのがありびっしり朱筆で校正されていたり、水戸藩士の儒学者・藤田東湖の書、遊学に訪れた吉田松陰の手紙などが面白かった。
 司馬遼太郎の小説には「右肩上がりの悪筆」と書いてあったように思うが、松陰の字は確かに全ての字が右肩上がりで斜めになっているけど、大変な達筆であった。
 庭も歩いてみたが、霜が降りていて、土を踏むとサクサクと3センチぐらい沈んで白い霜が現れるのが面白かった。
 白壁に囲まれた中を見て回って、弘道館を離れたが、後でパンフレットをよく読むと、その外側にも孔子廟などの建物があってみるべきものがあったようで失敗した。

 朝何も食べていず、おなかが空いてふらふらしてきたので、次は目当てのラーメンを食べに行こうと思った。
 まず、駅の方に戻るために、二の丸から渡って来た橋へと戻り、そこから(かつては堀であった)下の道路へ降りた(降りられるのである)。
 下から見上げると、橋はかなり高い。
 南下して駅前の大通りへ出、そこを線路沿いに東へ進む。
 駅の辺りは現代的なビル街だが、ほんのちょっと先のお城辺りから今進む東の方は、既に郊外といった風情で少々田舎めいている。
 線路を渡って南へ行かなければならないのだが、渡る所がわからないまま歩いていると、歩道橋があった。
 そこを渡ると「故郷の味 黄門料理 大塚屋」という看板が。
 ここは目差す所ではない。
 でもこの店のおかげで、道が正しいことがわかった。
 (ガイドブックの地図があまり詳しくないので不安だった。)
 更に南下。
 桜川という川を渡ると、目指す方向に「金龍菜館」という大きな広告塔が見えた。
 黄色と赤で派手。
 ここがお目当ての店である。
 日本人として最初にラーメンを食べたのは水戸黄門(水戸藩2代藩主・徳川光圀)である。
 その時のラーメンを再現した「水戸藩ラーメン」というのがあるとガイドブックに載っていた。
 11時過ぎたぐらいだったので、まだ空いていた。
 注文は以下の通り。
 水戸藩ラーメン 880円
 水戸藩ぎょうざ 忘れた。確か500〜600円程。
 (税込みか税抜きかは忘れた。880円も覚えていたわけでなくガイドブックにある。)
 めんは冷麺のように灰色っぽい。
 でも細くない。
 また硬くもない。
 むしろ蕎麦っぽいか。
 後でガイドブックをよく読んだら、つなぎにレンコンが入っているとのこと。
 スープはただのとりがらスープのような気がした。
 でもうまい。
 薬味が小さな皿に入って付いてくるので、自分で味が変えられる。
 ニラ、ニンニク、ネギ、ラッキョウ(但し玉葱だと思っていた)、生姜。
 但しそれぞれあんまり量はないので、最初そのまま食べて、途中で全部の薬味を一挙に入れたけど、強烈に味が変わるわけではない。
 松の実とクコの実は初めから入っていた。
 クコの実は漢方薬でもあるようで、中華ではよく使われるが、薬効はあるんだろうけど、甘さがあんまり好きではない。
 具はチャーシューとチンゲンサイはまあ普通。
 しいたけが入っているのがまあ(ラーメンとしては)変わっているか。
 しかし全体的には思っていたより普通の味でした。
 味というより体に良さそうなのが売りか。
 チャーシューはうまかった。
 ぎょうざは或いは由来のあるものではなくて、ラーメンに便乗してつくったものか。
 要はラーメンと同じ食材(クコの実とか薬味)をぎょうざに使ってる、というもの。
 でもうまかった。
 ラーメンよりこっちの方が良かったかも。
.

 かなり満腹になって歩くの嫌になったが、休む時間もないので、次は偕楽園に行こうとした。
 それはかなり西で、歩くにはちと遠い。
 ましてや満腹だし。
 川沿いにバス停があったが、路線図もないので乗ってもどこに行くのかわからない。
 固く行こうと駅前まで戻ってバスに乗ることにした。
 便も多いだろうし。
 果たして、駅前では乗るべき便もすぐわかり、駅前の大通りを西へ、正確には西北へとバスで進む。
 ここがメインロードらしく、東側とは打って変わって賑やかな繁華街が続き、大都市の風情。
 どうやら水戸は、駅が街の中心ではないらしい。
 バスの路線図を見ても、水戸駅前の停留所は右端の隅っこに位置していた。
 ようやく繁華街も過ぎた所で、「偕楽園入口」というバス停で降りる。
 わたし一人しか降りなかったのだが、運ちゃんが親切で偕楽園への道順を教えてくれた。
 しかし先にすぐそばの「茨城県立歴史館」に入る。
 150円。
 旅先ではこういう施設へはなるべく訪れるようにしている。
 その地方の歴史がわかるから。
 大きな街なら大概立派なものがある。
 印象深かった、面白かったこと。
 石器時代の遺跡(住居跡)で、石の壁に赤色などで動物などの絵を描いたものが残っており(かなり記号的なので文字とも言える?)、それが日本では他には一地方にしかない(残念ながらどこか忘れた。九州だったか?とにかくなぜか離れた所で、そこが不思議な所である)。
 あと古代の常陸の国では、国守よりも大掾(だいじょう。国守よりは2ランクも下の官職)の方が力を持つようになって行き、その家系がやがてこの地方の有力豪族となって行ったこと。
 豊臣時代に常陸を統一した佐竹氏は、古代よりこの地方の有力豪族であったが、源氏の血筋の癖に源平の頃は平家に付き、源頼朝方と戦って敗れ、一時期没落してたとのこと。
 歴史館には「一橋徳川記念室」が併設されていて、徳川慶喜の書などがあった。
 何だか知らないが、受付や監視員など皆美人で親切なんである。
 歴史館の敷地内には、他にも明治時代の学校や江戸時代の農家など古い建物があり、面白そうだったのだが、時間がなくなりつつあったので、歩きながら遠目に見るにとどまらざるを得なかったのが残念。

 急ぎ足で偕楽園へ。
 もはや13時を過ぎており、かなり焦り始めていた。
 しかし偕楽園に行かないわけには行かない。
 梅を初めとする花の名所で、冬は裸の木が並ぶばかりでちと寂しい。
 しかし高台から千波湖という湖を見下ろせば、お天気もよくていい眺め。
 「好文亭」という、藩主の別荘だった古い建物があり風情があるらしかったが、入るのにもお金がかかるし、それ以上に時間がなくて、これも遠目に見るだけ。
 地理もよくわからず、帰り方もはっきりしていず、かなり焦っていた。
 水戸→仙台は、実は14:07が最終の特急(つまり便はとても少ない)。
 遅れると帰れないのである。
 東側に出るとバス停があるらしく、出ると神社があり、「義烈館」という資料館があった。
 ここも見る予定でいたが、とても無理であった。
 他にも、幕末に作られた大砲「太極砲」や、水戸天狗党が幕府により押し込められたニシン蔵を、はるばる福井県から移築したという「回天館」があったはずだが、どれがそれやらもわからぬまま素通りせざるを得なかった。
 バス停を見つけて、時刻表を見れば直ぐにバスが来るらしかったが、駅まで間に合うかわからないので、暇そうに客待ちしていたタクシーに乗ることにした。
 ここが観光地のありがたい所である。
 すでに13:45ぐらいであった。
 タクシーはバスで来た道ではなく、湖畔へ下りて東へ走ったので、違う景色が見られてよかった。
 駅に到着したのは14時ぐらいか?
 お土産を見る時間もなかった。

 水戸から仙台まで、再びスーパーひたちに乗車。
 途中寝ていた時間もあったから、しかとは言えないが、海側を走ると言っても海が見えたのは富岡という所だけ。
 但し奇岩が見られた。


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