07.9.16 小牧山城


写真トップ、左は小牧山の遠景、右は山頂の歴史館(模擬天守)。
写真左は、山麓から本丸へ続く大手道。

 名古屋の地下鉄の路線図を見て、上飯田線を探す。
 名城線の平安通駅から、上飯田駅まで、1区間だけの路線。
 わたしの持っている数年前に買った名古屋のガイドブックには、記載がない。
 上飯田駅からは、名鉄小牧線が、犬山まで走る。
 しかし出発点が、名古屋の中心からはずれ、連絡もない上飯田では、不便であろう。
 そのために、上飯田線が最近できた、と思われる。
 
 前日まで名古屋で予定の日程をこなし、この日は東京に帰るだけであったが、早起きして小牧山に登ることにした。
 あいにくの雨降りであったが、決行した。
 地下鉄平安通駅まで来た。
 乗り換えのために階段を上ったが、上飯田線は名城線より更に地下ということで、エレベーターで下りる。
 ホームに出ると、結構人がいる。
 ただし、小牧方面から来た人のようで、これから乗る人はあまりいない。
 電車が止まっていて、「小牧行」とある。
 これは便利である。が、1区間だけの地下鉄に乗れる、と想像していたので、がっかりもした。
 乗った車両は、ハイキングにでも行くらしい子供達の一行と、わたしだけであった。
 次の上飯田駅までは地下で、その先で地上に出た。
 名鉄は、過去にも犬山や岡崎に行ったときなどに乗ったことがある。
 いくらも時間がかからず、数駅で小牧駅に着いた。
 子供達は、その一つ前の小牧口駅で降りていた。
 雨よりも荷物の重いことが苦だったが、構内にコインロッカーがあったので、利用した。
 携帯電話を利用して施錠・開錠する仕組みで、8時間で200円。
 上着も入れ、傘だけ持って出発。
 駅前には立派なタクシー乗り場があるが、1台も待っていない。
 もっとも元々あてにはしていない。
 道のりは2kmぐらいか。
 西へと歩く途中で、木々の茂る小牧山と、山頂の天守が見え出す。
 ところが、近づくに連れて、天守は木々に隠れて見えなくなる。
 これは、逆に天守からも近づく敵が見えなくなるということで、不都合であろう。
 もっとも往時には木々は切り払われていただろうし、天守も史実によらない模擬天守である。

 川を渡ると、もはや山麓である。
 いきなり「小牧・長久手の戦」の際につくられたという土塁と空堀の跡がある。
 土塁は2重だったが、外側のものは江戸時代に削られてしまった由。
 堀は当時から空掘ではあったが、もっと深かったらしい。
詳しくは帰りに見るとして先を急ぐ。
 山麓南側に現在市役所がある。
 かつての大手口で、庁舎の西の脇から大手道が、山頂の本丸へと続いている。
 丸太を埋めて段はつくっているが、舗装されない山道である。
 雨水が流れて歩きづらい(革靴であった)が、がんばって登る。
 途中、道の脇に「徳源明公碑」(尾張九代藩主をまつったもの。縁起を書いたものはなし)や稲荷神社がある。
 また、ベンチのある広場が大小いくつもあるのだが、それは馬出しや郭の址らしい。
 道の脇がえぐれて急に落ち込んでいるところは、堀の址か。
 別れ道、まっすぐ登る道には「近道」と書かれ、脇にそれる道はゆるやかに進むようなのだが、時間が惜しいので急な「近道」を登る。
 まだまだ暑い季節。
 汗だくになる。
 息も切れかけた頃、木々の茂みの向こうに、建物が見える。
 急に現れる感じ。
 小牧市歴史館である。
 名古屋の実業家・平松茂氏が私財を投じて建設し、小牧市に寄贈したという。
 偉いものだ。
 昭和43年に竣工。わたしと同い年である。
 西本願寺の飛雲閣(聚楽第からの移築と言われる)を模したつくり、とのこと。
 元々、小牧山には天守はなかったのではないか。
 中に入ると、結構新しそうで立派。
 外観は3層だが、中は4階建て。
 山を登ってきた客のために、うちわが置いてあり、館内で使えるようになっているのが心憎いサービス。
 パンフによると昨年内装を変えたそうで、階段も全て白木作りできれいである。
 展示も、それほど多くはないが、立派なもの。
 古墳時代、織田信長の居城と城下町の建設、小牧・長久手の合戦、その後の宿場町としての発展などが紹介されている。
 信長は、清洲から岐阜へ進出するまでの間の4年間だけ、小牧山に居城を置いた。
 その後、廃城となったが、城の南側にあった城下町の町人は残って、細々と経済活動を続けていた。
 江戸時代になって、東の街道沿いに移り、宿場町として栄えた、とのこと。

写真は「小牧・長久手の戦」の際、徳川軍が築いた土塁(内側から見たところ)。
 廃城からほぼ20年後、小牧山は再び城としてよみがえり、歴史の舞台となる。
 豊臣秀吉と敵対した徳川家康・織田信雄連合軍が、大規模な改修を加えて、本陣を置いた。
 「小牧・長久手の戦」である。
 これについては、10分ほどのDVDで紹介されている。
 大きな立体地図で、地理や軍勢の動きを確認しながら、映像を見ると、とてもよくわかる。
 付近に「小松寺」というお寺があり、この戦に登場する重要人物の古文書が残っているそうで、複製が展示されていた。
 織田信雄の寺領の安堵状、池田恒興(勝入)・森長可の軍令の制札、秀吉の朱印状(安堵状)。
 また、屏風絵も面白い。
 小牧山にいるはずの家康の馬印が、長久手の戦場に(山の向こうから)突如現れて秀吉方が驚く様や、首を取られた池田勝入の最期など。
 4階に登り、回廊を巡る。
 眺めがよい。
 案内板に「犬山城」とあるが、よくわからない。
 50円払って双眼鏡を覗いたら、天守が見えた。
 「小牧・長久手の戦」では、秀吉方の根城であった。
 ほら男爵の手下のような目利きがいたら、当時でもここから見えたかもしれない。

 歴史館を出ると、ちょうど雨が土砂降りになった。
 少し休む。
 裏の自動販売機で飲み物を買う。
 500mlのものも全て100円である。
 少し感動する。
 携帯で歴史館の写真を撮る。
 正面からだと、木が邪魔になる。
 山頂の平地は狭い。
 歴史館でほぼ一杯である。
 下り道はいくつかある。
 小雨になったので、下り始めた。
 来た道をそのまま戻ったつもりだが、途中でなだらかになり、段がなくなった。
 どこかで間違えたようだ。
 歩くのは楽なのだが、ぐるっと回る感じで、このまま進んでいいのか少し不安になった。
 しかしすぐ、見覚えのある馬出しの址に出た。
 そこからはまっすぐ南に下りる大手道ではなく、東(駅の方角)の方に下りるなだらかな道を進んだ。
 下りると、行きに見かけた土居の址がある。
 山内の郭や堀の址もそうだが、小牧山は尾張藩が「徳川の武功を伝える史跡」として保護したため、遺構がほぼ往時のまま保存されているらしい。
 土居も山麓の南側から東側にかけて、思いのほか長々と残っている。
 なお、山全体は現在公園化されていて、山道は(晴れた日なら)格好のハイキングコースだし、来週22日には月見まつりが行われるし、春には桜まつり(桜の名所とのこと)も開催される。
 山の東を、小さな川が流れている。
 川を渡る小さな橋のたもとに、「虎口」と言われる、城の入り口の遺構が残っている。
 単純に土居が途切れて入り口になるのではなく、土居がL字に屈曲して、入る者は一旦土居に突き当たってから、道を曲がって改めて入るようになっている。
 そこを抜けて、後は帰りを急ぐ。
 バス停もあったが、1時間に1本ほどで、いい時間の便がなかった。
 小牧駅に辿り着く。
 11時過ぎぐらいで、およそ2時間くらいを小牧で過ごした勘定であった。
 11:17の電車に乗り、平安通駅から後は地下鉄を乗りついで、名古屋駅へ。
 お土産や駅弁を買う時間も含め、12:25発の新幹線に、ちょうど間に合うくらいであった。

 わたしが史跡巡りの参考にしている「室町戦国史紀行」(宮脇俊三著、講談社文庫)に書いてあったので、行ってみたのであるが、記述は短かったので、それほど期待していなかった。
 でも期待以上に面白かったので、もっと時間がとれればよかった。
 季節や天候のいいときに行けば、なおさらであったろう。
 名古屋近辺は、行き尽くした感もあったのだが、まだまだこのようなところがある。

本丸への道を敵にわからないようにしているのか?
悩ましい道案内の標識。



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