2008.1.3仙台城(2)本丸


(写真トップ・左は、本丸からの眺望。
 写真トップ・右は、伊達政宗公の騎馬像。
 写真左は、石垣モデル。)


 バス停「仙台城跡」は、本丸への入口である詰門跡の前にあった。
 もっとも門は残っていず、代わりに鳥居がある。
 両脇は石垣である。
 本丸に入る。
 北から入る形である。
 入って左手に、「仙台城見聞館」がある。
 小さいが無料である。
 石垣の説明などがある。
 本丸の北側、バスで登って来た道沿いに、高石垣がある。
 崩れそうになったので、解体修理したところ、土の中から、もっと古い石垣が出てきた。
 政宗が築城した時のものである。
 「野面積み」といって自然石を加工せずに使用している。
 見聞館を出たところに、政宗時代の「野面積み」と、その後の江戸期の改修時の(今ある)「打ち込みハギ」(レンガのように四角く加工した石を積む)の両方の石垣モデルが並んでいて、比較ができるようになっている。
 本丸は北から東にかけて眺望の広がる広場になっている。
 有名な政宗公の騎馬像が立っている。
 北に雪山が見える。
 泉ヶ岳は、小学生の時にスキー教室に行った山である。
 東は広瀬川を望む崖になっている。
 遠くには海も見える。
 本丸の中央から西側は、北から南に神社、土産物屋、資料館、レストランが並ぶ。
 宮城県護国神社は、初詣客で意外のにぎわいであった。
 青葉城資料展示館は立派であるが、入口は別なのに出口が隣の土産物屋に出るようになっていて驚いた。
 その他、至る所に駐車場があって車が止まっており、便利とは言えるが風情がない。
 山の上なので周りにスペースがなく、山林を切り開いて場所を作るよりは、空いている本丸を利用する方がよいとも言えるが、商業化が進み過ぎるのは情緒に欠ける。
 特に仙台城は、本丸に石垣しか遺構がないので、人によってはがっかりするかもしれない。
 唯一の建物である隅櫓(大手門脇櫓)は、本丸から離れた所にある。
 しかしながら、仙台城は天険を利用した広大な平山城であり、足を使って歩き回ってこそ、その面白さがわかる場所だと思う。
 本丸、南東隅には「巽櫓」跡がある…もっとも何もない。
 その先を更に行くと、山林の急坂になっており、下りる道がありそうで続いていないような。
 本丸南端には「埋門」跡があり、今はここから車道が始まる出入り口になっている。
 車道を歩いてみようと思ったが、本丸の西側から北に回るはずの上り道には何と歩道がなかった(車はびゅんびゅん走っている)。
 下り道には歩道があったけれど、広瀬川から分かれて城の南側をえぐる竜ノ口渓谷まで下りる道で、どのくらいあるかわからず、恐れをなして断念した。
 竜ノ口渓谷は古い地層がむき出しになっているので、化石が取れる。
 高校生の時に地学の先生に連れられて行ったことがあるのだけれど、道はあまり覚えていない。
 南はこの渓谷、東は広瀬川、北は石垣に守られている。
 西側は山林なのだけれど、資料館の模型を見る限りでは、山の中をこっそり歩いてお城まで辿り着ける気がして、実地に確認してみたかったのだが、本丸内は西側が神社になっていて山際まで近づけず、外の道路(南から西に回る)は歩道がないし、よくわからなかった。
 南からではなく、北側の詰門から、バスで来た道を東に戻らず、西に回れば、ある程度は行けたようだ。
 そのことは後から気付いた。

 青葉城資料展示館は入館料が必要だが、こちらもるーぷる仙台の1日乗車券の提示で割引がある。
 書状(政宗公自筆も数点)や甲冑、刀や大名道具などの展示があるが、目玉は本丸大広間の再現CG映像らしい。
 専用のシアターがあり、とても広い。
 300インチの大画面!152席完備!とパンフにも書いてある。
 映像には政宗公と片倉小十郎の掛け合いによるナレーションが入っており、ギャグが色々入っているのだが、まじめにやった方がいいと思った。
 ちなみに政宗公の声は波平さんである。
 仙台城大広間の面白い所。
 入口に近い所(脇の方)に「首実検の間」があった。
奥の「上段の間」(藩主が座る)の脇には、更に一段高い「上々段の間」があり、これは将軍や天皇の御座所であったが、使われたことはなかった。

 伊達家家臣・湯村家に伝わる古文書が、最近寄贈された。
 藩主が代替わりする毎に、改めて全家臣に、それぞれの領地を安堵する朱印状が発給されたとのこと。
 幾つかが展示されていたが、その中に、紙に汚れも痛みもなく新品同様で、墨痕も鮮やかでまるで今書いたかと思われるようなものがあり、このようなものは見たことがなかったので、驚いた。

5代藩主吉村公 領知朱印状 湯村八太夫あて 宝永元年(1704)6月
6代藩主宗村公 領知朱印状 湯村助九郎あて 延喜元年(1744)6月

 朱印文は次の通り(縦読み)。
 左、5代藩主吉村公、赤地に白抜き。
 右、6代藩主宗村公、白地に赤字。

 
 藤 廿 伊   藤 弐 伊
 原 壱 達   原 十 達
 朝 當 氏   朝 弐 正
 臣 主 第   臣 世 胤


 なお、安堵された湯村家の領地は何れも同じで次の文面。

 栗原郡富村之内并所々、都合
 弐拾四貫百七拾四文
 本丸を後にして、登るつもりだった道を下る。
 詰門跡を出て右(東)。
 高石垣に沿って歩く。
 実に立派なもので圧倒される。
 もっともこれは北面のみで、他は崖なり山坂だから、あってもごく低いものばかりのようである。


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