アリキックの元祖?52歳のバーンズ、ボクサーと闘う


James J. Corbett Claims Wrestling
Superior for Self Defense
ジェームス・J・コーベットの主張
レスリングは最高の護身術

World’s Most Scientific Boxer States: “Wrestlers can defeat fighters in matches.”
FITZSIMMONS lost to ROEBER.

世界で最も科学的なボクサーの声明「レスラーはボクサーと闘って勝てる」
フィッシモンズはローバーに負けた

FARMER BURNS, at 52 Years of Age,
52歳のファーマー・バーンズは、

pins Billy Papke’s shoulders to mat in 3 seconds and then
ties Papke’s arms behind him.

パプケの両肩をマットに3秒間ピンし、その上
腕を後ろ手に締め上げた。

Read the following article by Corbett himself.

コーベット自身による次の記事を読まれたし。

Copyright, 1919, by King Feature Syndicate, Inc.

1919年、キング特別記事シンジケート配信

 “Who would win?” asks a reader, “if a wrestler and a pugilist, evenly matched in size and weight, met in the same ring, each using his own tactics and no result counting until the wrestler secured a fall or the fighter a knockout?”

 「一体どっちが勝つんだい?」一読者の質問である。「プロレスとプロボクの、同体格同体重の選手が、同じリングに上がって自分の技を使い、レスラーがフォールを決めるか、ボクサーがノックアウトするまで目一杯闘ったらさあ?」

 This is the answer;

 これが答である。

 NINETY-NINE times out of one hundred the wrestler would win.

 百回に九十九回、レスラーが勝つ。

 About the only chance for victory the fighter would have would be to shoot over a knockout punch before the echo of the first gong handled away. If it landed, he would win. But if he missed, he’d be gone. And every ring fan knows that the scoring of a one-punch knockout is almost a miracle achievement in pugilism.

 ボクサーが勝つ唯一のチャンスは、開始のゴングの音色の消えない内に、KOパンチを一発お見舞いすることである。それが入れば、彼は勝てるだろう。だがしくじれば、屠られる。格闘技ファンなら誰でも、プロボクにおいて一発KOがほとんど奇跡的なことだと知っている。

 Years ago Bob Fitzsimmons attempted to battle the debate. Fitz was a powerful man, almost a hercules. His strength was prodigious. And Fits knew quite a bit about wrestling―and how to avoid holds and how to break them. So he scoffed when some one remarked that in a contest between a wrestler and a boxer that the former would win.

 数年前、ボブ・フィッシモンズが討論を試みた。フィッツはパワフルな男で、ヘラクレスのよう。その強さは驚異的であった。そしてフィッツはレスリングをかなり知っていた。ホールドを避け、あるいは破る方法を知っていた。それで彼は誰かがレスラーとボクサーとの試合でレスラーが勝つだろうと言ったとき、鼻で笑ったのである。

 “It can’t be done” said Fitz. “If you don’t believe me, bring on a wrestler.”

 「ありえねえぜ!」フィッツは咆えた。「俺が信じられねえんなら、レスラーを連れて来い!」

ROEBER WINS WITH EASE

ローバー難なく勝つ

 So they did. I think Ernest Roeber was the man―a star grappler of that era. The match was nothing but a burlesque. Fitz took a punch or two. Then Roeber grabbed him, tied him into knots, and the show was over.

 それで試合が行われたのである。わたしはアーネスト・ローバーこそが適役だと思った。その時代の花形グラップラーである。試合は滑稽劇に過ぎなかった。フィッツは一、二発のパンチを放った。そしてローバーが彼を掴み、手もなく締め上げて、ショーは終ったのである。

 Back in 1910 when Farmer Burns assisted in training Jim Jeffries for the Johnson fight, Billy Papke dropped into the Reno camp. Having nothing else to do Billy, then at the great of his career, took to kidding Burns in particular and whole wrestling fraternity in general.

 1910年に戻ろう。ファーマー・バーンズがジョンソン戦を控えたジム・ジェフリーズのトレーニングを手伝っていたとき、ビリー・パプケがそのリノのキャンプに立ち寄った。手持ち無沙汰にビリーは、偉大な経歴を鼻にかけてか?バーンズその人のみならず、世間的にはボクシングの兄弟であるレスリング全体をもからかったのである。

 “A fighter can whip a wrestler any day in the year,” said Papke.
 “Rough and tumble style?” asked Burns.
 “Sure,” was the Papke answer.
 “I’ll bet $1,000 that you can’t whip me,” said Burns.

 「ボクサーがレスラーを打ち負かすなんていつ何時だってできるって!」パプケは咆えた。
 「ガチンコでかい?」バーンズが尋ねると、
 「もちろん!」それがパプケの答えであった。
 「お前さんがわしを打ち負かせない方に千ドル賭けるよ」バーンズは言った。

PAPKE AGREES TO MATCH

パプケ試合に同意する

 Papke thought it a cinch. He was in his athletic prime and Burns was then fifty-one or fifty-two years of age, nearly fifteen years beyond the age when he ranked as one of the greatest wrestlers in all history. So Papke replied.

 パプケはちょろいもんだと考えていた。彼は運動家として全盛期にあり、一方バーンズは五十一か五十二歳で、プロレス史上最も偉大なレスラーの一人としてランクされた頃から十五年程は経っていたからである。それでパプケは繰り返した。

 “You’re on.”

 「逃げんじゃねえぜ!」

 Jim Jeffries was asked to serve as stakeholder. But Jeff refused.

 ジム・ジェフリーズは賭け金の保管人になるように言われたが、断った。

 “Why?” asked Papke.

 「どうしてだい?」パプケが聞くと、

 “Because I want to bet on Burns,” answered Jeff.

 「俺もバーンズに賭けたいからね」ジェフはそう答えた。

 So another stakeholder for the $2,000 was found while Jeff hustled around for Papke backers and covered everything they offered.

 そのためニ千ドルの賭け金保管人が別に探し出され、一方ジェフは急いでパプケのためにタニマチを募り、彼らの提供で全てを用意した。

 The men met the next day in a regular boxing ring. Papke weighed 170, Burns, 160. Just before the men donned their togs Burns went to Papke and said.

 男達は翌日、正規のボクシング・リングに集合した。パプケのウェイトは百七十ポンド、バーンズは百六十ポンドであった。試合着を身に着ける直前になって、バーンズはパプケに歩み寄りこう囁いた。

 “Billy, I’ll call off the match now if you want to.”

 「ビリー、なんならやめてもいいんだぜ?」

 “Ho, ho, he’s getting scared,”laughed Papke.

 「は、は、爺さんびびっちまったのか?」パプケは嘲笑した。

 “You’ re dead wrong, Billy, dead wrong,”replied Burns. “I’m just giving you an eleventh-hour chance to save your $1,000.”

 「ひでえ間違いだ、ビリー、ひでえ間違いだぜ」バーンズは繰り返した。「わしはお前さんに、お前さんの千ドルを守る最後のチャンスを与えようとしてるんだがなあ!」

BURNS TIES ARMS OF FIGHTER

バーンズ、ボクサーの腕を締め上げる

 “Save it,” jeered Papke. “Why that $1,000 will come back to me with 100 percent interest. And I won’t have to work hard for it either. Just about two pokes, Farmer, and you’re through.”

 「金は守るさ!」パプケが嘲る。「どうしてって千ドルは俺の元に返って来るからなあ、百パーセントの利子を付けてさあ!それに俺はどっちにしろ金のためにハード・ワークをやる必要はねえんだ。たった二突きだぜ、なあ爺さん、それであんたは終わり!」

 “If that’s the way you feel about it,” retarded the veteran, “I’ll test out your confidence. I’ll bet you $100 to $50 right now that you won’t hit me one punch and another $100 to $50 that in less than thirty seconds after the bell rings I’ll have your shoulders to the mat.”

 「お前さんがそう思うのなら、」古豪が遮った。「わしがお前さんの自信を試してやろう。わしは今すぐ五十ドルに対して百ドル、お前さんのパンチが一発もわしに当たらない方に賭けよう。それからもう一丁五十ドルに対して百ドル、わしがお前さんの両肩をマットに着けるのにゴングから三十秒もかからない方に賭けよう。」

 Papke took both bets with frantic angriness.

 パプケは両方の賭けを受けたが、怒りで頭に血が上っていた。

 The gong hanged.

 ゴングが鳴らされた。

 Both men rushed from their corners. Papke hustled to the center of the ring and took the boxing attitude, with his left foot extended about eighteen inches. Quick as a flash Burns whirled sideways and kicked Papke’s leg from under him. Papke went down with Burns on top and eighteen seconds later Burns had pinned Billy’s shoulders to the mat.

 二人ともコーナーから飛び出した。パプケはリングの真ん中を取り、ボクシングの構え。左足を十八インチほど前に出している。電光石火バーンズは体を横向きに回し、パプケの脚を下から蹴った。パプケはバーンズと共にマット上に倒れ、十八秒後バーンズはビリーの両肩をピンした。

 “Now to teach you fighters a learn about monkeying with wrestlers. I’ll have to tie you up,” said Burns.

 「ボクサーがレスラーをからかうとどうなるか今からお前さんに教えてやる!かわいがってやるぜ!」バーンズは言った。

 And the aged Burns dragged Papke to the ropes, snapped a strand and, white Papke shrieked protects and the crowd howled with laughter, tied Papke’s arms behind him and then jumped out of the ring and collected a total of $2,300 of which $1,100 was clear profit.

 そして老バーンズはパプケをロープまで引っ張って行って投げ付け、青くなったパプケが金切り声で助けを求め群集が大笑いする間に、パプケの腕を後ろ手に締め上げリングの外に放り出した。そして〆て二千三百ドルを徴収したのだったが、うち千百ドルが純利益であった。



 下記サイトからテキストをもらいました。翻訳は門茂男さんの文体をまねてみました。

G Physical Culture Wrestling の24ページ
http://www.sandowplus.co.uk/Competition/Burns/pcw/pcw02.htm
 This 30 page promotional leaflet was published around 1920 and is full of facts, photos and testimonials
 Contributed by Gordon Anderson


 バーンズとジェフリーズが練習している写真を、下記サイトで見ることができます。

OLDTIMESTRONGMAN BLOG
http://www.oldtimestrongman.com/blog/2009/05/wrestling-for-boxers.html



 バーンズがビリー・パプケを、タックルではなくロー・キックでテイク・ダウンしたのは、後年の猪木アリ戦の前兆でしょうか。キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルには、昔は蹴りと肘打ちがあった、と言います。
 試合後のことですがバーンズがパプケをリングの外に放り出したのも、これまたアンドレ・ザ・ジャイアント対チャック・ウェップナー戦を彷彿とさせます。

 アーネスト・ローバーは、近代プロレス史以前のグレコローマン世界王者、ウィリアム・マルドゥーンの後継者でしたが、1898年、「恐怖のトルコ人」ユーソフに完敗。
 グレコローマン王座はその権威と人気を失い、プロレスの主流がキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルに転換するきっかけになったと言われます。

出典:「プロレス大研究」田鶴浜弘著、講談社


 登場するボクサー達については、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の記事をご覧下さい。

ジェームス・J・コーベット(第2代世界ヘビー級王者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BBJ%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88
ボブ・フィッシモンズ(第2代ミドル級、第3代ヘビー級、第3代ライト・ヘビー級世界王者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BA
ビリー・パプケ(第6代、8代、10代世界ミドル級王者)
http://en.wikipedia.org/wiki/Billy_Papke
ジェームス・J・ジェフリーズ(第4代世界ヘビー級王者)
http://en.wikipedia.org/wiki/James_J._Jeffries
ジャック・ジョンソン(第7代世界ヘビー級王者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3_(%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%BC)
 


 特に、上記エピソードには直接登場しないジャック・ジョンソンの記事を読んでいただくと、1910年当時のボクシング界の状況がわかります。
 一方プロレス界は、バーンズの愛弟子フランク・ゴッチが君臨して黄金期を迎えていました。
「…当時プロボクシング世界チャンピオンを黒人のジャック・ジョンソンにうばわれ(ジョンソンはパリに亡命)白人の格闘王不在という白人社会のヒケ目、こうした事情が、ゴッチ人気、いやプロレス人気をグンと高騰させる社会思潮の背景だったと伝えられる。」
と、田鶴浜さんも書いておられます(「プロレスオール強豪 世界編」有峰書店新社)。


追記
 ジョンソン対ジェフリーズ戦(1910.7.4)後の7月11日、ニューヨーク・タイムズに掲載された記事によると、次にフランク・ゴッチをジョンソンに挑戦させる計画があったそうです。
http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9505EEDC1230E233A25752C1A9619C946196D6CF

 これは異種格闘技戦ではなくボクシングのタイトル・マッチで、トレーナーを務める予定のコーベットが「ジョンソンを倒すのはゴッチだ」と語り、ゴッチもその気になっている、とのことでした。