J・J・オブライエンとH・I・ハンコック


ニューヨーク・タイムズ  October 31, 1900, Wednesday
http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9B05E4D8153FE433A25752C3A9669D946197D6CF


Japanese Self-Defense Exhibited.

日本式護身術の公開

 A novel exhibition witnessed by a number of prominent sporting men and representatives of the Police Department yesterday afternoon was a demonstration of jiu jitsu, a form of the Japanese art of self-defense, in the New York Theatre. The exhibition was by J. J. O’Brien and K. Inoue, both skilled in the Japanese exercise. Jiu jitsu, as the exhibition showed, is neither wrestling nor boxing, but consists of a variety of movements, grasps, and grips, by which a man attacked by another may render his assailant powerless by seizing and holding him. An adept in the exercise may overcome a person vastly stronger by the use of the Japanese art, and that without great effort or violence. Both the men who gave the exhibition are proficient in the Japanese system of defense, and their demonstration of its uses caused great surprise and won the admiration of the spectators. O’Brien is said to be the first man other than a Japanese to master jiu jitsu.

 数多くの著名な運動家と市警の代表の目の前で昨日午後、ニューヨーク劇場にて公開されたのは、新奇な日本式の護身術、柔術の実演であった。演武を行ったJ・J・オブライエンとK・井上の両者は、その日本式の運動に練達していた。柔術は、演武に示されたように、レスリングでもボクシングでもないが、多種多様な動作、掴み、握りから成り、他者に攻撃された者はそれらによって襲撃者を捕まえ押さえて無力にせしめることができる。その運動の熟達者ははるかに強い者にも日本式の技術を用いて勝つことができ、それには大きな労力も暴力もいらないのである。演武を行った両者はその護身の日本の流儀に熟練しており、彼らのその実演は大きな驚きを呼び観客の称賛を得た。オブライエンは日本人以外で柔術を会得した最初の人物と言われる。



山下 義韶 Yamashita Yoshiaki
 From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Yamashita_Yoshiaki

 ウィキペディアによると、オブライエンはフィラデルフィアの警察官で、長崎で柔術を学び、セオドア・ルーズベルト大統領に柔術を教えた、とあります。


The Household Physician
http://householdphysician.com/chapter32.php?page=5
 こちらのサイトでは、オブライエンの著作から採ったと思われる写真が紹介されています(Lessons1から12までをクリックして見て下さい)。オブライエンについての記述は文章の最後にあります。


 東勝熊対G・ボスナー戦では、ボスナー方のジャッジを務めています。ニューヨークタイムズは、その際はJohn J. O’Brienと表記しています。
(なお、当時のプロレスにおけるジャッジは、レフェリーとは違って中立な立場でなく、両陣営から各1名選ばれて選手の利益を代弁する立場のようです。)


Ezine @rticles
http://ezinearticles.com/
A Beginning History of Old School Jujitsu - Part 1
http://ezinearticles.com/?A-Beginning-History-of-Old-School-Jujitsu---Part-1&id=16593

 Carl Cestariさんのこの記事には、東対ボスナー戦で東サイドのジャッジを務めたH・アーヴィング・ハンコックも、長崎で「イノウエさん」から柔術を習った、とあります。
 また、Risher W. Thornberryが1905年に書いた“Jiu-jitsu - As taught by Prof. Inouye”という本があり、長崎警察の柔術教官Kishoku Inouye(井上きしょく)の写真もあるそうです。


ニューヨーク・タイムズ  August 29, 1903, Saturday
http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9A07EED71339E333A2575AC2A96E9C946297D6CF

 ハンコックの“Physical Culture in Japan”という本の書評です。後段に次のような文章があります。

 The author writes from experience, he says. Seven years ago he became interested in the Japanese method of physical culture. Through friends he learned the system. Afterward he underwent a “severe but satisfactory” course of instruction under Inouye San, instructor of “jiu-jitsu” in the Police Department at Nagasaki. Subsequently, in Yokohama and Tokio the author went more deeply into the study of the science, and later he again came under the tuition of Inouye San when the instructor came to this country on a visit.

 著者は実体験に基づいて書いている、と本人の弁。7年前彼は日本式の身体文化に興味を覚えるようになった。友人を通じて彼はその流儀を学んだ。後に彼が「厳しいが申し分のない」教科過程を受講したのは井上さん、長崎県警の柔術教師の下においてであった。それに続いて、横浜と東京において著者はその技術をより深く研究し、更にその後彼が再び井上さんの授業を受けたのは、教師が我が国を訪問した時であった。


 以上より、次のような推測をしてみましたがいかがでしょうか。
 オブライエンとハンコックは、共に長崎の「井上さん」の下で柔術を学んだ同門(19世紀末のことだが、時期が重なっているかは不明)。オブライエンは米国で柔術を普及すべく、師匠を日本から呼んだ。その際ハンコックも師に再会し、再び教えてもらった。井上は(恐らく)程なく日本に帰ったが、東勝熊が現れ、ハンコックと協力関係になる。作家であるハンコックは、本を次々に出版して柔術の普及に務めていた。一方オブライエンは、ルーズベルト大統領の柔術教師になる等の成果を上げていた。東がレスラーのG・ボスナーと闘うことになると、オブライエンは同国人のボスナーに付き、(恐らく)ボスナーに柔術の闘い方を教えた。試合ではオブライエンとハンコックは両陣営のジャッジとして相対した。…


西郷四郎
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E5%9B%9B%E9%83%8E

1882年(明治15年)上京し、当時は陸軍士官学校の予備校であった成城学校(新宿区原町)に入学、天神真楊流柔術の井上敬太郎道場で学んでいる間に、同流出身の嘉納治五郎に見いだされ、講道館へ移籍する。

 井上きしょくは、あるいは井上敬太郎の同族でしょうか?


追記2010.5.22

ニューヨーク・タイムズ  June 18, 1904, Saturday
http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9C06EED71130E233A2575BC1A9609C946597D6CF

JIU JITSU.

柔術

Three Books on Japanese Physical
Training for Men, Women,
and Children.*

男性、女性、及び子供の為の日本式体育の三冊


… Inouye San, a noted instructor in the art, can, according to Mr. Hancock, smile at a blow in the face that would carry an American athlete off his feet. He will take hold of an opponent as gently as if he were handling an infant―and the next instant that opponent is on his back on the floor, uninjured and unable to comprehend why or how he fell. If an American pugilist should contest with a master of jiu-jitsu, each according to his own methods and rules, the Japanese, in Mr. Hancock’s opinion, would speedily vanquish the other.


(前略)井上さん、著名なる柔術教師は、ハンコック氏によれば、顔への一撃に対しても笑って米国人運動家の足をさらうであろうということである。彼はあたかも幼児をあやすが如く優しく相手に技を掛け、しかして次の瞬間その相手は床上に仰向けになっている。彼は無傷で、何故或いは如何にして己が倒れたのかを理解できない。もし米国人拳闘家が柔術の達人と、互いに自身の流儀と規則に従って試合すれば、日本人は、ハンコック氏の考えでは、速やかに相手を征するであろうとのことである。
(後略)


   JAPANESE PHYSICAL TRAINING.
   PHYSICAL TRAINING FOR WOMEN BY JAPANESE METHODS.
   PHYSICAL TRAINING FOR CHILDREN BY JAPANESE METHODS.

 上記ハンコックの著作3冊の書評です。上に抜粋した文章は、右のページの3行目から始まります。


biblio.com
http://www.biblio.com/rare-book/martial-arts-books/jiu-jitsu-the-yielding-way-a-obrien-john-j-1905-for-the-author-and-the-american~87003~281191173#

 このウェブ・サイトでオブライエンの著書が販売されています。
 その説明書きでは、オブライエンは「田中と井上先生(井上きしょく)の弟子」とあります。

 参考画像の一つで次のような文章が読めました。
 (一部漢字を変えています。またカナに濁点を振っています。)

    送別ノ詞
セーゼーヲブライヱン君足下 君ハ天資英邁ニシテ謹直ナリ 君ハ明治二十八年十一月本県梅香崎警察署ニ職ヲ奉ジ能ク其任務ヲ尽セリ 当時我帝国ハ他各国ト尚ホ旧来ノ條約ヲ改訂セズ 警察ノ事務亦君ノ手ニ待ツモノ多カリシ 而シテ爾来君ハ我警察ト長崎ニ居留スル外国人間ニ於ケル警察事務ニ鞅掌シ勤勉恪直熱心ニ懇切ニ防護ノ任務ヲ全フシ其労ヤ多ク功ヤ大ナリト謂フベシ
君ハ此繁劇ナル職務ヲ帯フル身ヲ以テ尚ホ熱心ニ日本語ヲ練習シ今ヤ習熟シテ日常ノ事幾ント弁ゼズト云フコトナク又日本ノ文字ヲ能クシ将ニ日本文字ノ文章ヲ綴ラントスル域ニ達ス 而シテ啻ニ日本語及其文字ヲ能クスルノミナラズ日本固有ノ武道タル柔術ヲ能クシ所謂文武両道ヲ心得タルノ人ト云フベシ
君ハ今職ヲ辞シテ故国ニ慈母ノ病気ヲ看護セントス 嗚呼本官ハ此四年三箇月ノ間一日ノ如ク孜々トシテ怠ラズ勤勉恪直能ク其任務ノ本文ヲ尽シタル君ニ対シ袂ヲ別タザルヲ得ザルハ洵ニ惜ム所ナリト雖モ又君ガ職務ニ熱心ナリシ観念ノ数倍ヲ以テ慈母ニ薬飼ヲ捧ゲ扶養看護ノ責ヲ竭サザルベカラザルヲ念ヘバ実ニ止ムヲ得ザルナリ
君行ケヨ 而シテ慈母病気ノ全快ヲ期シテ再ビ日本ニ来遊センコトヲ望ム 蓋シ我日本ガ君ノ再遊ヲ待ツモノ豈山河ノミナランヤ 茲ニ君ノ功績ヲ頒シ聊カ蕪辞ヲ綴リ以テ贐スト爾云
 明治三十三年一月二十日
        大日本帝国
         長崎県警部長増永洋吉 (長崎県警部長之印)


 「日本固有ノ武道タル柔術ヲ能クシ」とあります。
 (“JIU-JITSU DIPLOMA”「柔術免状」というタイトルはご愛嬌というべきでしょう。)
  明治二十八年は1895年、三十三年は1900年です。ハンコックが柔術に興味を覚えたのが1903年時点で7年前、その後長崎で習い、1900年に渡米した師と再会したということですから、習っていた時期は重なるように思います。

Lulu Marketplace
http://www.lulu.com/product/paperback/a-complete-course-of-jiu-jitsu/5059699
A Complete Course of Jiu Jitsu
http://accesstodestiny.com/Documents/Complete_Course_of_Jiu-Jitsu.pdf
(PDFファイル)
 同じ本の復刻版でしょうか。「送別ノ詞」もありました。


更に追記2010.5.26

長崎県警察部
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E9%83%A8

明治期に存在した外国籍警察官
 ピーター・ドール (Peter Doel、イギリス人)−在籍期間:1879年10月15日〜1895年3月31日
 J・J・オブライエン(J. J. Obrien、アメリカ人)−在籍期間:1895年12月14日〜1899年3月31日

 「送別ノ詞」に記された在職期間とはややずれがあります。



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