1872-1878 グレコ・ローマンとキャッチ・アズ・キャッチ・キャン


 NATIONAL LIBRARY OF NEW ZEALAND(ニュージーランド国立図書館)のPAPERSPAST(過去の新聞)というウェブ・サイト
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=p&p=home&e=-------10--1----0-all
(ちなみに表記を英語とマオリ語とで切り替えられます)で見つけた、古い新聞の記事をご紹介します。


Local and General.  Star , 12 March 1872
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=TS18720312.2.6&e=-------10--1----0--
(真ん中ぐらいにある記事です)

Wrestling Match. ― Yesterday the first wrestling match held in this province came off at Dilloway’s, on the Riccarton road. The contestants were H. H. Manning, one of the Auckland representatives at the recent sports, and a man named Bray, who is now employed on the Lyttelton and Christchurch Railway. There were two matches for £20 each, the first being for the best of three falls at collar and elbow, and the second for the best of three in the Cornish style, of “ catch as catch can.” …

レスリング試合。昨日我が州における最初のレスリング試合がリッカートン街道の、ディロウェイズで行われた。出場者はH・H・マニング、その近代スポーツのオークランドの代表者の一人と、ブレイという名の、現在リッテルトン・アンド・クライストチャーチ鉄道に勤める男であった。それぞれ20ポンドを賭けた二試合が行われ、初戦は肘と襟式の三本勝負で、第ニ戦は「掴めるように掴んでよい」、コーニッシュ式の三本勝負であった。(後略)


Cornish wrestling
 From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Cornish_wrestling

 英国南西部、コーンウォール州の、柔道に似たローカル・レスリングです。掴んでよいのはジャケットのみで、手首や指を握ったり、腰より下を掴んだりしてはならない、とあります。こうしたルールで「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」という条件は、「上着のどこを掴んでもよい」というぐらいの意味でしょうか。
 なおスター紙は、オタゴの隣、カンタベリー州の新聞です。



SPORTING NOTES.  Otago Witness , 29 March 1873
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=OW18730329.2.22&e=-------10--1----0--
(真ん中やや下から始まる記事です)

 Bell's Life gives the following account of a wrestling match which was commenced at the Higginshaw Grounds, Oldham, on the 21st December :― Close upon 4000 persons passed the check-takers at these grounds to witness a wrestling match, the best of three back falls, catch as catch can, for the Gold Challenge Cup presented by the deceased proprietor at 135 lbs. In addition to the Cup, there was also £50 depending on the issue of the contest, the competitors being J. Lees of Glodwick (the present holder of the trophy) and J. Butterworth (alias Dockum) of Oldham. Both of these men are in the front rank of their profession, but Butterworth, when the match was made, was thought to have the best of the conditions, inasmuch as he was nicely suited at the limited weight, while it was well known that the Glodwick man would hazard his strength if he dared to reduce himself below the wrestling weight.  …

 ベルの生活紙が提供する次の報告はオールドハムの、ヒギンシャウ運動場にて、12月21日に始められたレスリング試合に関するものである。 ― 4千に近い人々が改札を通ってこれらの運動場で観戦したレスリング試合は、三本勝負の、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンで、最近亡くなった所有者から贈られた135ポンドの金杯を賭けたものだった。杯に加えて、競技の結果により更に50ポンドがあり、競技者はグロドウィックのJ・リーズ(現トロフィー保有者)とオールドハムのJ・バターワース(又の名をドッカム)であった。両者とも彼らの同業者内での一線級だが、バターワースは、試合が組まれた時、制限体重にきっちり一致していたが故に、最良の状態にあると考えられたが、一方グロドウィック人は競技体重以下に思い切って減量する場合に体力面の危険を冒すであろうと理解されていた。(後略)


 北イングランドでのキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイル(ランカシャー・スタイル)のプロレス興行と思われます。



WRESTLING IN AMERICA.  Otago Witness , 3 July 1875
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=OW18750703.2.73&e=-------10--1----0--

WRESTLING IN AMERICA.
 Spirit of the Times states that a match has been arranged in London, between J. H. M’ Laughlin, the American club champion, and R Snape, better known as “ the Dipper ” in his own circles. We have heard nothing of Snape lately, nor have we seen the smallest note on the matter in any contemporary. Snape at one time, viz , in ’73, challenged the world to wrestle “ catch-hold ”, or Cumberland, but when Jamieson accepted the Cumberland style, Snape subsided. There is no doubt that Snape is the best catch-hold wrestler we have. He stands 6ft 4in, and weighs over 15st. M’Laughlin has exhibited at some of our music halls with clubs, &c., but as yet he has done nothing in the wrestling line. The Spirit of the Times says that mixed rules will be used―the best three out of five falls― two Cumberland and two American, viz , “ collar and elbow,” and then a toss for the odd style. This mixture and tossing is a most unsatisfactory way of bringing off any championship match. We can all of us remember the fiusco at the Agricultural Hall, when Jamieson and Wright wrestled the two Frenchmen, Le Boeuf and Dubois. Wrestling is a sports that is not sufficiently patronised, but it is on the increase, and one or two big genuine matches will soon bring it to the prominence it deserves. It is mentioned in the Spirit that Vanderdecken, the Belgian wrestler, is matched with Bauer, the Frenchman, to wrestle two out of three falls, Roman style, in a few days. We have no idea of what Roman style is ; perhaps they grease themselves, and wrestle naked, as they did in the Augustan ages. This is probably the way, for Vanderdecken stipulates that the match shall take place in the presence of five or ten person only. This is a reservation on the score of modesty which reflects great credit on Monsieur Vanderdecken. What next? Why not wrestle at midnight, with the gas out?

米国のレスリング
 時代の精神紙曰くロンドンにおいて取り決められたのは、J・H・マクラフリン、米国のクラブ王者と、R・スネイプ、仲間内ではむしろ「北斗」として知られる男との間の試合であると。我々が近頃スネイプについて聞く所は何もなかったし、同時期にいかなる印刷物上においてもっとも小さな記事も目にすることはなかった。スネイプはある時、すなわち73年において、「キャッチ・ホールド」、もしくはカンバーランド・レスリングで世界に挑戦したが、ジェイミスンがカンバーランド・スタイルを受諾すると、スネイプは意気消沈した。疑いなくスネイプは我らが最高のキャッチ・ホールド・レスラーである。彼は身長6フィート4インチ(※約193cm)、体重は15ストーン(※約95kg)を超える。マクラフリンは幾つかのクラブの音楽堂等に、姿を見せたが、今までの所はレスリング方面では何もしていない。時代の精神紙曰く混合ルールが用いられよう ― 三本先取の五本勝負で ― 二本はカンバーランドで二本は米国式、すなわち、「肘と襟式」、それから最後の形式は硬貨投げで決めると。混合と硬貨投げはいかなる王座戦を遂行するにももっとも不満足なやり方である。我々は皆農業会館における失敗を思い出すことができる。ジェイミソンとライトが二人のフランス人、ル・ボウフとデュボワとレスリングをした時である。レスリングは十分に後援されている競技ではないが、それは次第に増加して、一つや二つの本物の大試合が近い内にそれにふさわしい傑出をもたらすであろう。精神紙において話題にされているのはヴァンデルデッケン、ベルギー人レスラーが、ボーエル、フランス人との、二本先取の三本勝負を、ローマ式で、数日後にレスリングすべく試合を組まれたことである。我々はローマ式について知る所がない。ことによると彼らは身に樹脂を塗り、裸で闘うのかもしれない、アウグストゥス帝時代においてしたように。これは多分、ヴァンデルデッケンが契約条件として要求したためのやり方であろうが、試合は五人ないし十人のみの面前で行われる。これはヴァンデルデッケン氏に多大な信用をもたらす慎み深さの故の制限である。次は何か?なぜ真夜中に、ガス灯を消してレスリングしないのか?


 見出しが“WRESTLING IN AMERICA.”となっているものの、“Spirit of the Times”は英国の新聞ではないかと思います。「キャッチ・ホールド」は、ここではスタイルの名前でキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの別称でしょうか。グレコ・ローマンは、英国ではまだあまり知られていなかったようです。その名称(ギリシャ・ローマ式)の由来は、古代オリンピックにおいてと同様、裸で闘う所にあったのでしょうか(もちろん裸と言っても古代のように全裸ではないでしょうが)。大勢の観衆の前に裸体をさらすことを拒否したベルギー人レスラーの慎み深さを「時代の精神」紙は皮肉っていますが、英国のローカル・レスリングの各スタイルも着衣で競技されたようではあります。
 ボーエルは、ティエボー・ボーエルでしょうか。こちら「覆面レスラーの起源」でご紹介しています。



Electronic Journals of Martial Arts and Sciences(EJMAS)
http://ejmas.com/index.html
 The Odyssey of Yukio Tani  By Graham Noble
http://ejmas.com/jalt/jaltart_Noble_1000.htm

… the catch hold [freestyle], or North country [Cumberland and Westmorland backhold] styles. …

 “Health and Strength in January 1902”(健康と体力 1902年1月号)からの引用文に、グラハム・ノーブルさんが注釈をつけています。ここにおいてノーブルさんは、キャッチ・ホールドをフリースタイル(1902年当時で言うならキャッチ・アズ・キャッチ・キャンでしょう)、ノース・カントリー・スタイルをカンバーランド・ウェストモーランとしています。



Untitled  Nelson Evening Mail,  2 December 1876
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=NEM18761202.2.15&e=-------10--1----0--
(真ん中より下から始まる記事)

 The London correspondent of a northern contemporary writes as follows:― “ wrestling is certainly an English game, but certain Frenchmen have visited our shores to show us that we are not always superior in athletic exercises. Their style is “ catch as catch can,” and a man is not considered thrown until both his shoulders touch the ground simultaneously. Our champion found no difficulty in disposing of them when wrestling in the Cumberland and Westmoreland style, but in turn had to cry peccavi when tackled in the French manner. One of the Frenchmen, “ Boulanger,” is called “ the man with the iron jaw and steel arms,” and his feats certainly deserve the title. He throws 561b weights about as though they were cricket balls ; he places an iron bar weighing 112lbs across his shoulder, on each end of which a man seats himself and a third man having got on his back, he walks about with little apparent inconvenience ; and finally he takes up a chain with a man seated in it in his teeth, walks round with him, and then waltzes with his burden to the music of the band.

 北の同時代人のロンドン通信員は次のように書いている―「レスリングは確かに英国の競技だが、あるフランス人達が我が方に海を渡って来て我々が運動競技において常にうわてではないことを示した。彼らの形式は「掴めるように掴んでよい」、そして選手はその両肩が同時に地に着くまでは倒されたとみなされない。我々の王者はカンバーランド・ウェストモーラン式のレスリングの際は彼らを片付けるのに何の困難も見出さなかったが、フランス流で組み合った際は今度は懺悔しなければならなかった。フランス人の一人、「ブーランジェ」は、「鉄の顎と鋼の腕を持つ男」と呼ばれており、彼の離れ業は選手権に値する。彼は56ポンド(※約25kg)の重りをあちこちにまるでそれらがクリケットの球であるかのように投げる。112ポンド(※約51kg)の重さの鉄棒を肩に担ぎ、その両端に男を座らせその背に第三の男を乗せ、明らかな不便をほとんど見せずに歩く。そして最後は男をその中に座らせた鎖を歯でもって持ち上げ、そのまま歩き回り、その次にはその重荷を持ったまま音楽隊の演奏に合わせてワルツを踊るのである。


 ここではフランス人のレスリングのスタイルをキャッチ・アズ・キャッチ・キャンと言っていますが、これは(北イングランドのローカル・レスリングである)ランカシャー・スタイルを意味するのではなく、グレコ・ローマンのはずです。在英の通信員の書いた記事ですので、ニュー・ジーランドのみならず英国においても、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンという言葉をランカシャー・スタイルの別称に限定しないで使用する例があったことになろうかと思います。



Page 3 Advertisements Column 1  Tuapeka Times, 26 December 1877
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=TT18771226.2.14.1&e=-------10--1----0--


       B L U E  S P U R
       A N N U A L S P O R T S
          Will take place on
      N E W Y E A R ’ S D A Y ,
         1st January, 1878.
          PROGRAMME―
                     Ist  2nd   
                     Prize Prize Ent.

WRESTLING (catch- as-catch
     can above the belt) … 40s 10s 2s 6d
….

             青い拍車
             年次競技会
              開催は
              元旦、
           1月1日、1878年。
             予定表―
                一等賞   二等賞   参加料
(中略)
レスリング(帯より上を
   掴めるように掴め)…40シリング 10シリング 2シリング6ペンス
(後略)


 1875年、フランス人のティエボー・ボーエルら、グレコ・ローマンのレスラー達がニューヨークへ来て興行を打った際、ニューヨーク・タイムズもそのスタイルについて“The Greco-Roman style of wrestling is “catch as catch can” above the hips,…”( ギリシャ・ローマ式レスリングは腰から上は「掴める所を掴んでよい」)、と説明しています。
 こちらのページ「1875.9.13 ニューヨークでローマ式レスリング」もご覧下さい。



 別頁「1870-1877 ノース・カントリー・スタイルとキャッチ・アズ・キャッチ・キャン」では、ニュー・ジーランドのオタゴでのレスリング大会の記事を紹介しました。そこではコーニッシュ、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンも行われていましたが、ノース・カントリー・スタイル(カンバーランド)が最も主要な種目として行われていました。ノース・カントリー・スタイルのみが体重制限あり・なしのニ階級で行われ、そしてその無差別級の優勝者のみ、賞金の他にチャンピオン・ベルトを贈られていました。
 想像するに、組み手や間合いに自由度がないカンバーランドに対して、自由度のある規定でレスリングを行う場合に、その相違点を強調するために「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」という言葉が用いられたのではないでしょうか。ビル・ロビンソンが言うようにそれがランカシャー地方の方言だとしても、ランカシャー・スタイル・レスリング以外にもその言葉は使われています。

 「1866,1867 キャッチ・フー・キャンとランカシャー・レスリング」では、ウェスト・コーストでのレスリング大会の記事を紹介しましたが、こちらではカンバーランドは行われていず、そしてそのせいかどうかランカシャー・スタイルはそのままの名称で表記され、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンという言葉は使われていません(代わりにキャッチ・フー・キャンというものが見られますが。他にはコーニッシュとカラー・アンド・エルボーが行われています)。

 ただしこの表現の相違は、時代(ウェスト・コーストの記事のほうが数年前である)、ないし地域性(植民者の出身地の傾向)の違いによるものかもしれませんが。
 当世、レスリングと言えばオリンピックで行われるフリー・スタイルとグレコ・ローマンのニ種目であり、フリー・スタイル、ないしはその源流のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンは、その特徴について「下半身を攻められないグレコに対しどこでも攻めてよい」という説明の仕方をされますが、北イングランドのローカル・レスリングだったランカシャー・レスリングがキャッチ・アズ・キャッチ・キャンと呼ばれるようになった時代には、まだグレコ・ローマンはフランスから英国に入っていなかったとすれば、それはやはり同じ地域の有力なスタイルであるカンバーランドに対して、組み手や間合いが自由という特徴を強調するためのネーミングだったのでは、と想像するのですがいかがでしょうか。
 英国人にとってはグレコ・ローマンでさえ、カンバーランドに比較して自由度が高いため、「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」(掴めるように掴め)という表現にふさわしい。そう考えられていたように思える例も、上記のように見られます。確かに寝技、ピン・フォールがある点で、ランカシャー・スタイルが他のどの英国ローカル・レスリングよりもグレコ・ローマンに似ていると言えるのは事実でしょう。



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