1898.8.25 タケザワ 対ヘラクリデス


ニューヨーク・タイムズ  August 26, 1898
http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=FB0A10FF3F5C11738DDDAF0A94D0405B8885F0D3


HERAKLIDES NEARLY KILLED.

ヘラクリデス殺されかける。

The Greek Wrestler Caught in a Death
Grip by Opponent.

ギリシャ人レスラーが敵の必殺技を食らう。

 ATLANTIC CITY, AUG. 25.―While wrestling to-day at the Inlet Park for the championship belt turned over to Richard K. Fox by Ernest Roeber, the “Horrible Greek,” Heraklides, and the strong Jap, Takezwa, became involved in such a heated struggle that the Greek was made unconscious by the fearful pressure exerted by the Japanese wrestler.

 アトランティック・シティ、8月25日―今日の入り江公園におけるリチャード・K・フォックスにアーネスト・ローバーが返上したチャンピオン・ベルトを賭けた、「恐怖のギリシャ人」、ヘラクリデスと、屈強な日本人、タケザワとの間のレスリングは、困ったことにあまりに闘いに熱が入りすぎてギリシャ人が日本人レスラーの及ぼした恐るべき圧力に失神させられた。

 The Jap weighed only 149 pounds, being 20 pounds lighter than his opponent. When the match was stopped, the Greek was black in the face and was in spasms. To-night he lies in a precarious condition, and his death is expected.

 日本人は体重が149ポンド(※約68kg)しかなく、彼の敵より20ポンド(※約9kg)も軽かった。試合が止められた時、ギリシャ人は顔が黒く引き付けを起こしていた。今夜彼は不安定な状態にあり、死ぬ恐れがある。



 この日本人については不肖にして知る所がありません。体重からすると相撲取りではないように思われます。柔術家でしょうか。

 リチャード・K・フォックスは、19世紀米国の東京スポーツ、とも言うべき「ナショナル・ポリス・ガゼット」の経営者。
 別ページ「大正元年のドント・ムーブ」にも名前が出て来ています。


 アーネスト・ローバーは、「米国プロレスの父」ウィリアム・マルドゥーンの後継者たるグレコ・ローマン王者。
 別ページ「アリキックの元祖?52歳のバーンズ、ボクサーと闘う」にも少し書いています。


 パリのマットを席巻した「テリブル・ターク(恐怖のトルコ人)」ユーソフが1898年、米国に上陸。アーネスト・ローバーは二度闘って大ダメージを負いました。記事中、王座を返上したとあるのはそのせいかと思われます。

 同じ時期、「ホリブル・グリーク」ことヘラクリデスも米国で活躍しており、ユーソフとも闘っています。ストラングル・ホールドで首を折られかけたとのことで、ここでも散々な目にあっています。

ニューヨーク・タイムズ  June 12, 1898  (試合は前日、於MSG)
http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F00E13F6355D11738DDDAB0994DE405B8885F0D3

 ※こちらのページ「1898.6.11 ユーソフ 対 ヘラクリデス」で翻訳しました。



追記 2010.12.9

Graham Noble  
 The life and death of the terrible turk
http://www.eurozine.com/articles/2003-05-23-noble-en.html

 グラハム・ノーブルさんの論文「恐怖のトルコ人の生と死」に次のような文章がありました。
(ちょうど真ん中辺りです。)

… Even Joe Humphreys admitted, “Heriklides received his chance, but he failed to live up to expectations,” a condition he repeated in Atlantic City in August 1898, when “the strong Jap Takekawa” rendered the Greek unconscious with a strangle that left him “black in the face and in spasms.”

 日本人の名前を“Takezwa”(タケザワ)でなく“Takekawa”(タケカワ)としており、“a strangle”(絞め技)を用いたとあります。“Joe Humphreys”はヘラクリデスのマネージャーとのことです。



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