(資料)嘉納治五郎の立技重視論


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嘉納治五郎「嘉納治五郎著作集 第三巻」(五月書房、1983)より

柔道家としての私の生涯   (「作興」昭和2年1−昭和3年12月号)

   …

   講道館の方針 
(P51〜)
    開館当初
 この機会に自分が講道館柔道を開いた当初から、ことに明治二十年前後、本当に講道館柔道を完成したときからの方針についてざっと説いておこう。
 当初から自分は柔道を錬体法、勝負法、修心法に別けて説いていた。錬体法は言い換えれば体育としての柔道であり、勝負法は武術としての柔道である。修心法は智徳の修養ならびに柔道の原理を実生活に応用する研究と実行とである。それ故に自分の説くところの柔道は、それによって身体をば理想的に発達せしめ勝負の法にもすぐれしめ、また知徳を進め柔道の精神を自分の行ないに実現せしめ得ることを期していたのである。ゆえにまず、体育の方からいえば身体の凝り固まることなく、さらりさらりと自在にかつ敏捷にしかも強くなることを期し、攻撃防禦の法としても咄嗟に襲われた場合にこれに応じて巧みに動作し得べく、また稽古の間にも絶えず練習の機会を利用して知徳を磨き百般のことにこれを利用することを努めるのが理想である。
 講道館柔道の起こった初めの頃は毎日自分自ら道場に出てこの意味をもって指導したのだ。もとより自分は、当時まだ若年でもあり、精神は今と違ったところはないが方法等についてはなお未熟であったから効果の徹底にはあるいは遺憾があったであろうが、乱取の指導の仕方はよほどその理想に近いもので、今日一般に行なわれている講道館柔道の仕方とはよほど違ったものであった。
(P52〜)
    稽古の崩れてくる理由
 今日柔道の稽古の仕方が崩れてきたのには二つの理由がある。すなわちその一つとして柔道奨励のためには勝負を争わしめるが便法であるがゆえに、月次勝負あるいは紅白勝負等を行なって修行者をはげましたということをあげねばならぬ。もとより勝負をさすにはある規定のもとに審判をせねばならぬ。いつも師範が審判をするわけにもいかない。またかりに自分が審判するにしたところがある簡単なる箇条によって勝負をきめるようにせねば、勝ち負けをはっきりとわからすことが出来ない。ましてや師範以外の種々の人が審判する際には余り複雑でない簡明なる規則にしたがうようにしなければならぬのである。そういう規定によって勝負を決するということになると、自然その規定になじむの弊として勢い理想的の姿勢とか、こなしとかいうことに遠ざかってくる原因をなすに至るのである。
 第ニの理由として急に柔道が普及して多数の人が稽古をするようになったがため、善い正しい方法で乱取を教える資格を有するものが欠乏したということを挙げ得る。この指導者欠乏のため結局、修行者中本当の方法をならわず互いに捩じくり合いをする場合が生じ、講道館創設当初の乱取の仕方が十分伝わらずに力と力とねじあい、本当の方法にかなわない乱取がふえて来たのである。
(P53〜)
    弊害の正しかた
 かくのごとくして本当の方法にかなわない乱取の仕方がふえて来たとするとどうしても修行者めいめいが十分心して、この弊害を将来に救済することに努力しなければならぬ。これを救うにはどういう風に心掛けるべきであるかというに、体育としてはた武術として、まず着眼点を明らかに定めなければならない。どんな身体をもっともよい身体とするか。首を前の方へ出して、前こごみになった姿勢で始終全身に力をいれているのはもちろん理想的の姿勢ではない。立つときは自然的に立ち、ふだんにからだに力を入れず、必要に応じて首・四肢・胴いずれでも敏捷にかつ自在に力をいれ、意志の命令に応じて種々の調和した運動が即時に出来るというのが体育上の理想である。
 また武術からいうても、いつ相手が蹴ってきても突いてきても体をかわすことも出来、身体が自由にかつ軽快・敏捷に働くということでなければならぬ。講道館では乱取をする際、襟をつかみ袖を捕らえて稽古をするが、これは初心者を導くに必要なのでこれを最後まで用うべき形というのではない。仮に袖を捕り襟を握ってもきわめて軽く握り、これに力を入れてはいかぬ。しからざれば急速に身体をかわすことが出来ない。
 以上の注意に着眼して稽古をするならば、立っている場合に今日往々にして見るがごときむやみに力を入れてねじくり合うということがなくなって、ボクシングをやるものの姿勢などに類した一種の姿勢が乱取の姿勢になり得るのである。西洋の角力の姿勢は先方であて身をせぬということがあらかじめきまっているからあのような姿勢をするけれども、もしも当て身を予期するならばボクシングのようにせねばならぬはずである。
 柔道は突くばかりでなく投げもする、また逆もとるからボクシングのようにつねに離れていなければならぬのではない。あるいは接近して着物をつかみ、手を捕え、または首をとらえる。この場合においても相手が突いて来たり、蹴ってきたときに応じ得る身構えして接近せねばならぬ。その接近するに当たりどういう風に接近するかというに、あるいは相手の右の手首なり袖なりを引張る。自分は相手の右側に身を進める。すると向こうの右手は取られているから攻撃が出来ない。左手は自由であるが距離が遠いから危険が少ない。左の足も同様である。また右の足は接近しすぎて攻撃に不便である。こういう工合に考えて接近しなければならないのである。むやみに接近してはならない。
 そこで、体育として武術として有効なる乱取の仕方はどうかということになると、結局、講道館創設当時の乱取の仕方にかえらねばならぬということになるのである。
    …


嘉納治五郎「嘉納治五郎著作集 第二巻」(五月書房、1983)より

講道館柔道


   講道館柔道概説    (「柔道」大正4年2−4、6−11月号、大正5年1−5月号)
    …
(P18〜)
    柔道修行の直接の目的 
 柔道の定義とその説明とは前段述べたとおりであるが、その修行は攻撃防禦の練習によって身体精神を鍛錬修養し斯道の神髄を体得する事であるということをこれから詳説するつもりである。それにはまず「攻撃防禦の練習」ということはどんなことをいうのであるかを明らかにしておかなければならぬ。柔道でいう攻撃は、便宜上、投(なげ)、固(かため)、当(あて)の三種に分けることにしている。投とは場合場合でいろいろの動作をして対手を地に倒すことをいい、固とは絞業、関節業、抑業(おさえわざ)の区別はあるが、要するに対手の体躯(からだ)、頸(くび)、四肢(てあし)などに拘束を加えて動けなくしまたは苦痛に堪えられぬようにすることをいい、当とは手、足、頭、時には器物または武器をもって対手の身体の種々の部分に当て苦痛を感ぜしめ、または死に至らしめることをいうのである。そうして防禦とはこれらの攻撃に対して己を全うするために施すいろいろの動作をいうのである。これらのことはだんだんに説明することにしようが、順序として投業(なげわざ)から説き始めよう。
 投業はその種類においても最も多く、その理論の込み入っていることからも高尚な点からも、柔道の各種の業の中で最も大切なものとなっている。また体育の上から論じても一番価値のあるものであるから、その説明に最も力を用いる必要があると思う。
 昔柔術を捕縛術として修行した人々は固業(かためわざ)を主として練習したものであるから、それらの人の中には投業の真味を解しない人もあってあまり重きをおかない風もあるようであるが、投業の理合が分ると深い興味が出て来るものである。また投業と固業との修行の順序において、投業を先にすべきであるという理由が三つある。一は、前に述べたように業も沢山あり理論も込み入っておりまた高尚であるから早くから始めて久しく続けて練習しなければなかなかひととおりのことも学び得られない。ニは、固業はずいぶん練習が苦しいが、投業は比較的興味があるから早く柔道の興味を覚えるために都合がよい。三は、固業の練習を先にしたものは投業が上達しにくいが投業を先に練習したものは固業を覚えることが容易である。そのわけは少し複雑だが、対手が投業で試合をしようと思っても己が固業で向かおうと思ったら固業の方に引付けてしまうことが出来るが対手が固業で掛かって来た場合に投業で応じようと思ってもそれはなかなかむずかしい。固業の得意のものが対手の稽古着を確とつかまえて寝てしまうか足に搦みついて放さぬときは、対手はいきおい固業で応じなければならなくなる。それだから固業が出来て投業の不得手の者は対手に負けることを好まぬからしぜんと投業を用いず固業でするようになる。そこで固業はますます上手になるが投業はいっこう進まない。これに反して投業が上手で固業の不得手の者は、自分は投業でやりとおそうと思っても対手が固業で向かって来ると止むを得ず不得手の固業で応じていかねばならぬ場合もあり、また投業の得意の対手と試合をしている時自分の方から固業で行こうと思えばいつでもこれを試みる機会が得られる。こういう理屈があるから最初は主として投業の練習をするのがよいのである。ある者は難じて「投業の上手なものは投業でやりとおしにくいが、固業の上手なものは固業でやりとおしやすいという理屈があるならば固業の方が投業よりも大切なわけになる。そうすれば柔術は投業に重きをおかないで固業に重きをおくべきでないか」というであろう。それはただ一面から考えたからであってやはり間違った考えである。
 固業の上手なものは己の得意の方に引付けて投業の上手なものをしてその得意の業を施す機会を得させなくすることが出来るというのは、それは普通の道場でする乱取の場合のことで、真剣勝負になるとそういうわけにゆくものでない。固業の得意のものが搦みついて来ても真剣勝負の場合なら当身を当てても蹴ってもよいわけであるから決して引付けられるわけのものでない。真剣勝負の時は身体の敏捷な動作を貴ぶのであって、そういう練習は投勝負でするに限るのである。殊に多数のものを対手にして闘うときの如きは、投勝負で鍛錬した身体精神の自由敏捷なる働きを特に必要とするのである。しかのみならず柔道の修行は広遠なる目的をもっている、しかるにもし投業の練習を怠って、込み入ってまた高尚な理論の研究をする機会が十分に得られなかったならば、修行の目的を果すことが出来ないことになる。また投業の練習を十分にせぬと、身体を自由自在に働かして運動する機会が得られなくなるから、体育としての柔道は大いにその価値を失うようになる。
 以上述べた理由によって、投業が柔道の修行上いかに大切なるものであるかが明らかになったであろうと思う。

 (後略)

   講道館柔道乱取審判規定   (「柔道」大正5年6、7月号)
(P55〜)
 柔道乱取の審判法は本来一定のきまりのあり得べきものでない。定め方でどうでも出来る。しかし何か標準をきめておかぬと実際上差支えるから、従来の規程と慣例とに基づいてこの度左のとおり決定したのである。
 一、講道館において柔道乱取の試合を為す時は、勝負は投業または固業をもって決せしむ。
(解説)真剣勝負ならば当業(あてみわざ)を加える必要があるけれども、乱取の試合では相互に怪我のないようにしなければならぬから、投業と固業とに限ったのである。
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(P65〜)
 十五、絞業中胴絞、関節業中指及び手頸足頸の関節業及び足搦は勝負の数に加えざるものとす。
(解説)絞業中胴絞を勝負の数に加えぬ理由は、この業は同輩の間ではあまり利く業でないし、段の違ったものの間では利くがあまり我慢をすると内臓を損じることもあり肋骨を傷めることもあるからである。指や手頸足頸の関節業を勝負の数に加えぬ理由は、これらの業は急に利くので合図をする間にそれらの関節を傷めてしまう恐れがあるからである。また足搦も急に利く業であって少し我慢をするとすぐ怪我をするから、これもその中に加えたわけである。
 十六、試合においてはなるべく投及び固の各種の業をあわせ試むる機会を与うるを本旨とす。よって審判者は試合者相互が対手の意志に反して投または固の一方のみにて試合することを許さざるを要す。
(解説)固業の出来ぬものが対手が組みついて来るのを恐れて逃げ廻ってその間に時が立ってしまうことがある。そういうことでは実力を試みさせることが出来ぬから、しばらくぐらいは構わずにおいてよいが、あまり永くそういうふうに逃げ廻っている時は、審判者は接近して互いに稽古衣なり帯なりを取ることの出来るようにせよと命令するがよい。また投業の出来ぬものは立って試合をすることを避け、ちょっと立つとすぐ寝て対手を引っ張り倒して寝勝負で試合をしようとする。それもしばらくは棄てておいてよいが、試合の時間の三分の二もそういうふうで、立つことをせぬ場合は、審判者は立って試合をせよと命令することを得るのである。その命令は、時間の半分も過ぎればしてよい、三分の二にもなればしなければならぬというくらいが原則で、実際は審判者の判断に任せておいてよいのである。もし双方が好んで固業で試合をしようと思っていると審判者が考えれば終始立たさないでもよいし、双方がしいて寝勝負を好む模様がなければ立ったまま何時まで捨てておいてもよいわけである。
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※ 明治32(1899)年、嘉納が制定委員長となって制定した大日本武徳会の審判規定には、次の条文がありました。老松信一「改定新版 柔道百年」(時事通信社、1976)より引用します。なお、ここでは旧字を新字に改めます。

    武徳会柔術試合審判規程
 一、武徳会ニ於テ柔術ノ試合ヲ執行スルトキハ投業又ハ固業ヲ以テ勝負ヲ決セシム。
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 十二、試合者双方ヲシテ可成(なるべく)投及固各種ノ業ノ力ヲ試ミシムルヲ本会ノ本旨トスレバ、固業ヲ好マザルモノモ接近シテ組合フコトヲ避ケ離レテノミ試合スベカラザルモノトス、又投業ヲ好マザルモノモ立ツコトヲ避ケ地ニ膝ヲ附ケ又ハ寝テノミ試合スベカラザルモノトス、依テ之ニ違背スルモノアルトキハ、審判者ハ此ノ規程ヲ遵守セシムル為注意スベキモノトス。
 十三、関節業中手足ノ指ノ関節業及ビ足首ノ関節業ハ勝負ノ数ニ加ヘザルモノトス。
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   講道館柔道修行者の進級昇段の方針   (「柔道」大正7年6月号)
    …
(P69〜)
    寝業は最初に稽古すべきでない 
 それから業であるが、多くの業を知っていることが一の価値。多くは知らずとも業に熟しているということが第二の価値。実際には熟しておらなくとも、その理屈をよく弁えているということが第三の価値である。これらの総ての点に通じて優良なることがもとより願わしいのであるが、いずれかに長所があれば、それだけは認めなければならぬ。また業ということも、形の上から見ることも出来、乱取の上から見ることも出来る。そして、形にいくたの類があり、乱取に投業、固業の別があり、投業も固業もその数が甚だ多い。そこで、自然初心者の学ぶべき順序があって、順序よく学んだものはのちに伸び易く、間違った順序で学んだものは進歩し難いものである。たとえば乱取では、初心のうちは投業に重きを置かせる。もとより最初からでも、少しずつ抑込業(おさえこみわざ)を投業に加えて練習するようなことは、差支えないことであるけれども、初めのうちに寝業に慣れて立業(たちわざ)が出来ぬと、立てば負けるから平素とかく寝てばかり稽古をするようになり、寝業はだんだん上達するが立業はいよいよ不得手になる。そうすると、柔道の乱取において最も変化も多く理論も高尚であり、面白味もある方面のことが分らずに済んでしまうことになる。そういうことでは、真正の柔道はついに会得することが出来ぬ。しかるに最初立業を主として修行したものは、のちに寝業を練習することは決してむずかしいことでない。自分は三十余年来多数の門下を取り立てた経験から見て、最初寝業から入って巧妙な投業の出来るようになったものを記憶しない。それに反して、最初投業を主として修行したものが、のちに寝業においても寝業を専門にしている大家に劣らなくなった例はいくらも見ている。それは大いに理由のあることである。寝業に巧みな者が立業を避けて寝業で勝負しようと思えば、自分はなるべく立たぬようにして、対手の体に絡みついて、己の方に引きつければ、一方のものがそれを引きあげて投げ倒すというようなことは、段違いな実力の者でなければ出来ることでない。いきおい対手に応じて寝勝負をしなければならぬようになってくる。そういう次第であるから、立業の出来るものが寝業をしようと思えば、意の如く出来るのである。これは立業寝業の性質上然るのである。
(P70〜)
    立業に重きをおかねばならぬ理由 
 かくいえば、素人は難じていうであろう。寝業がそれ程勝負上都合のよいものならむしろ立業をやめて寝業ばかりを修行したらばどうかと、これは一見もっともらしい考えであるが、実際そうはいかぬ。なぜならば、前に述べた柔道の高尚な理論や面白味が、立業の修行からでなければ分らぬばかりでなく、勝負の上からも立業の修行が大切である。不断道場で行なう勝負は、便宜上定めた審判規則に基づいてするのであって、柔道の修行上目的とする真正の勝負は真剣勝負でなけれだならぬ。真剣勝負の時には、固業を用いる場合もあるけれども、主として投と当とでなければならぬ。対手が当身を用いず、また殊更に重なりあって怪我させるようなことをせぬということを承知しているから、絡みついたりぶら下がったりすることが出来るのである。真剣勝負の時役に立つように平素練習しておこうと思えば、どうしても身体を自由自在に動かし、機敏に当てもすれば投げもすることの出来るような修行をしておらねばならぬ。もちろんある場合には固業を用いる必要もあるが、重きを置くべきは立業である。殊に多人数に襲われでもした時は、寝業ではその一人にしか対抗することが出来ぬ。以上の説明で便宜上定めた勝負の審判規定で、寝業が利益であるからとて、寝業が特に貴いという理由にならぬことが分るであろうと思う。
    …
(P73〜)
    一高と二高の柔道の試合について 
 進級昇段の方針とその審査の仕方は大略これで分ることと考えるが、近頃東京と仙台との両高等学校の柔道試合に関して種々世論を惹起し、あるいは仙台高等学校の修行者の態度を非難するものあり、東京高等学校の選手を非謗するものも出て、講道館において三段を得たものが低き段のものに負けたという事実から押して、講道館の昇段銓衡が杜撰であったのではないかと疑うものもあるようである。これは柔道の専門家から見れば容易に解釈の出来ることであるが、世人の惑いを解くために一応ここに説明をしておこうと思う。
 この度の勝負は、自分は直接に見たのでなく、当時の審判員その他から聞いた事実に基づいて判断するのであるから、聞き違いがあれば自然判断の上にも違いが生ずる次第である。けれども、大体において聞き違いはないと信じている。この度の勝負は仙台の高等学校の方が勝った。それは正当に勝ったと信ずる。審判員の審判の仕方にも、非難すべきことはなかったようである。仙台の方は体力において優っておった。また意気込みが甚だ盛んであった。是非勝とうと思って、特に教師を頼んで練習して貰った。その頼まれた教師は講道館において、平素特に道場における勝負に勝つに早途である寝業を研究しておった人であって、しかもその人は勝気の性質で、自分が特に教えた修行者になんでも勝たせようと思って身を入れて教えた。学ぶ方でも真剣に練習した。東京の高等学校の修行者も、やはり勝負前に本気に練習したが、平素講道館で行なう勝負の有様を見ているから、特に道場の勝負で勝つに早途である寝勝負を練習しようというような考えを起こさなかったものと思われる。投業でも固業でも、なんでも用いて勝とうと考えておったのであろう。殊に東京の方は段の上のものが多く、なに負けるものかと多少油断をしていたかも知れぬ。しかるに実際ぶっつかってみると、先方は体力も優れているし、意気込みも盛んであるし、意外に強かったから多少気負けした気味もあったかも知れぬ。かくて東京は仙台に負けたのであり、東京の方に高い段のものが多かったということも事実である。しかし、それが東京の高等学校のものに講道館が実力以上の段を与えておったという証明にはならぬ。この度の東京の選手の中には、年功や経歴で昇段したものは一人もおらぬと記憶している。いずれも実力の審査の結果昇段したものであると信じている。だから、仙台の選手が果たしてそれ以上の実力がありとすれば、仙台の選手が昇段すべきである。仙台の選手は一層高い段に相当する実力があるのに、遠方のことで講道館の審査員に分らなくて昇段せずにおるのかも知れぬ。それともまた、その時の拍子で勝ったので、必ずしも東京の選手に優った実力がないのかも知れぬ、一ぺんの勝負だけでは明らかには分らぬ。殊におもに寝業で戦ったということであるから、立業は存外出来ぬのかも知れぬ。もし立業が出来ず、寝業だけを練習していたのなら、柔道の修行者として高い価値のないものと認めなければならぬ。要するに、それらは審査の結果でなければ何ともいうことは出来ぬ。
(P75)
    負けても勝負の仕方は正しい 
 次に勝負の仕方について批評を加えてみよう。もし東京方も仙台方も、当日の勝負に重きをおいて試合をしたのであるならば、仙台方は全然勝利を得たのである。もし然らずして、仙台方は当日の勝負に重きをおき、東京方は柔道修行の大目的に着眼しつつ試合をしたのであるならば、東京方は負けはしたが勝負の仕方は正しかったといわなければならぬ。およそ柔道を修行するものは、柔道の大目的に適うように平素修行せねばならぬ。道場における試合では便宜上、業を局限し、一定の形式を要求することになっているが、本来は真剣勝負のつもりですべきであるから、前に述べた理由で立業を避けるようではならぬ。それだから将来各学校道場において勝負をする場合に、その時の勝ち負けにのみ重きを置かず、平素如何なる練習をしているか、その実力を各方面から示すような試合をして欲しいのである。

   …

   近く講道館に設けんとする乱取特別練習課の目的について   (「柔道」昭和12年6月号)
(P133〜)
 私が毎々説く通り、柔道の乱取は武術と体育とを主要の目的とするのである。武術といえば、真剣勝負で人に勝ち己を守り得ることが眼目であり、体育といえば、身体を強くし健かにしまた役に立つようにするのが本旨でなければならぬ。
 しかるに今日広く行なわれている乱取は、余り急に普及したために指導が行き届かず、修行者はしらずしらず過ちに陥り、真剣勝負の練習としては不適切であり、体育としても適当ならざる仕方が実行されているのである。道場においては誰も本当に当身を用いたり、短刀で突いたり、刀で斬りつけるものもないから、脚を開き腰を下げ顔を前に出して、対手から攻撃された時、急に体を交わすことの出来難いような姿勢を平気で遣っているものが少なくない。また体育としては、身体を円満均斉に発達させることを本旨としなければならぬのであるのに、その趣旨に反するような筋肉の遣い方をしたり、むやみに手足や全身に力を入れて敏活自在な動作をなし得ざらしめるようにしている。
 右の如く今日広く行われているような仕方は一日も早く改めないと、武術という方からも体育という方からも、乱取の価値は甚だ低くなってしまうのであるから、講道館に特別の練習科を設けて正しい乱取の仕方を教え、その練習をさせようと思っているのである。多数のものを一時に訓練することは不可能であるから、まず少数のものを選抜してそれらに特別指導をなし、それらの人々が相当の訓練を受けた後は稽古振りが従来よりも著しく違って来るから、一般に修行者もそれを見習って稽古振りを改め、漸次一般に及ぼすようになるものと思う。当分のうちは自分も出来るだけ出席して、自ら指導しまた高段者のうち適当と認むるものには特に出席せしめて指導の任に当たらしめるつもりである。
 かく乱取の仕方について直接指導することの必要なることはもちろんであるが、従来の審判の仕方にも種々改善を要する点があると思う。従来は真剣勝負の場合ならば一刻も許されないような姿勢をそのまま看過していた場合が往々あったが、将来は一々注意を与え、それにもかかわらずしばしば過ちを繰返すようなものがある時は、それを負けにするというように審判の仕方に改良を加えれば、ついに稽古の仕振りは一変するものと私は信ずる。そういう特別科を設けた場合は道場に掲示し本誌にも記載して一般に分らせるつもりであるが、この記事を読んだものはあらかじめ心構えをしてその練習の仲間入りをするがよい。もちろんその仲間が余り多数になった場合は、適当の数を選抜してその練習をなさしめ、漸次その数を殖やすことにしようと思っているのである。

   近く講道館に設けんとする特別練習課について   (「柔道」昭和12年7月号)
(P135〜)
 前号において近く講道館に乱取の特別練習科を設けるつもりであることを発表したが、ここにまたいささかそのことにつき述べてみたいと思う。
 今日一般に行われている乱取の仕方は乱取修行の本来の目的にそわない点が多々あるから、それを改めたいという考えは久しき以前からあったが、さてそれではどうすればよいかというと直ちに名案がなかったので、今日まで等閑に付せられていたのである。さりとて何時までもそのままに打過ぐべきでないから、最近漸く一案を得それを実行することに決したのである。
 前号にも述べたように柔道の乱取は体育と武術を兼ねたものであって、その体育という方は誰にも分り易いが武術の方はどうすればよいのかちょっと分り難い。斬ったり突いたり蹴ったりすることは形では危険なく出来るが乱取では実際には行い難い、それ故に、危険のない方法で勝負を決する仕方が行われるようになったのである。それはもちろんやむを得ぬことではあるが、そこに一つ考慮の足りない点のあったことに気づかなかったのである。それはどういうことであるかというに、乱取の際、双方共当身その他対手に怪我をさせるような技を施してはならぬことはもちろんであるが、さらばといって、双方共容易に当身をあてられるような姿勢なり態度があってはならぬ。一方は対手に怪我をさせるようなことを実際に行ってはならぬが、他方はもし対手が実際に当てて来た時はそれを外すとか避けるというような心構えがなければならぬのである。今日行われている乱取は、実際に当身を用いないということは当然のことであるが、一方が当てないからといって、実際の場合先方が当てて来た時の用意まで怠るということになった。それが欠陥というべきである。乱取の際における姿勢態度が、そういう間違いから今日のようになって来たのである。手足に力を入れ両脚を開き体躯を低く下げ対手と組合うときは、動作が遅くなり敏速に体を交わすようなことは出来難いのである。だから乱取の時の姿勢は出来るなら自然体、しからざるも何時でも体を交わし得る程度の自護体で、対手と相対することが願わしいのである。そういう姿勢でいると対手の攻撃を避け易く、仮に避け損ねても正面から強く当てられるようなことを免れることが出来る。また体育という方面から見る時は、明らかに自然体で右にでも左にでも自由自在に変化することの出来るような姿勢で練習することが願わしい。時には不断に隆々たる筋肉を有することを理想的の身体と考えている人もあるが、理想的の身体はそういうのでなく、不断はそう目に立つような筋肉は認められぬが、一度力を入れると、たちまち隆々たる筋肉が現われ、力は必要に応じて如何なる方向にも働き得るようなものでなければならぬ。そういう身体を作るには、乱取の折不断に力を入れているようなことはならぬのである。
 以上述べたような姿勢を養い態度に慣れしめようと思えば、今日普通行われているように、乱取の勝負に拘泥しないで正しい姿勢態度で練習する習慣を養う必要がある。平素倒れまいということに余り拘泥していると、巧みに倒れることが出来難くなる。巧みに倒れることが出来ないと無理にも頑張るようになる。そういうことから怪我もすれば負けもする。これに反して投げられることを厭わず、先方の技が相当に利いたら強いて残ろうとせず、潔く倒れるように心掛けているとついに倒れることに熟練し、それが少しも苦にならなくなる。そういう熟練が積むと、倒されながら技を掛けることが出来るようにもなり、また倒されながら体を交わし起き上がることも出来るようになる。かくの如き練習によって身体を軽妙自在に働かし得るようになるので、そういう身体がよく鍛えられた優良の身体なのである。それから考えてみると今日のように倒れまいとのみ考えず、むしろ倒れることを練習し、それによって身体の自在を得、自然と巧みなる技を考え出し得るように留意しなければならぬ。


柔道講義

     …

   一般の修行者に形の練習を勧める   (「有効の活動」大正10年11月)
(P244〜)
    今日は乱取ばかり盛んにやる
 柔道の修行は、一面には講義問答により、一面には乱取、形によるのであるということは、毎々説いていることであるが、今日の実際は乱取以外の方面は比較的閑却されている。将来講義問答も形も、乱取の修行と並び行われるようにしたいと思う。講義は業の説明から勝負上の理論、駈引き、精神修養の方法、勝負の理論を人生百般の事に応用する仕方等、その範囲は甚だ広いのであって、修行者の階級に応じていろいろの種類があるべきである。第一次に講義が必要であるが、講義ばかりで実地の練習をしなければ身体の鍛錬も出来ず、勝負上の本当の意味も分らぬから、乱取は大いに必要である、しかし単に講義を聞き練習をしただけでは、徹底した了解が出来難い。そこで問答ということによって修行者相互に錬る機会を得るのである。それらのことはいずれも必要であるが、また形というものも等閑に付することは出来ぬ。昔は乱取はほとんど行われず、専ら形を修行したものである。乱取が盛んになったのは、維新前あまり遠いことでない。以前に形ばかりやっていたのが、なぜ乱取を盛んにするようになったかというに、形はあらかじめ順序がきまっているから、身体的にも精神的にも臨機応変の働きを為さしむるように練習することが出来ぬ。また身体の鍛錬においても、運動の種類がきまっているから、乱取のように所有種類の筋肉を働かせる機会がない。それ故に、形ばかりの修行では真剣勝負で本当に強い人は出来難い。また形より乱取の方が面白味が多い。殊に維新後教授法が進んで、怪我もなくなれば格別苦痛を感ぜずに修行が出来るようになったから、ますます乱取が流行するようになった。しかし、物には一利あれば一害がこれに伴うもので、形が廃ったため、柔道のある一方面はほとんど忘れられたようになってきた。元来柔道に勝負という一面がある以上は、切ることも突くことも蹴ることも、すべて対手を殺すとか制御するとかの方法の研究も怠ってはならぬ。しかるに乱取ではすべて危険なことは禁じてあるから、そういう方面の練習は、形を持ってはじめて出来るのである。また乱取においては運動の種類は甚だ多く、ほとんどすべてを尽くしているような観があるが、緻密に考察してみると、まだある種類の運動を欠くとか、ある種類に偏しているというような嫌いもある。そこでこれを補うために、形を乱取に加えてやらせたいと思うのである。形を適当に加味する時は、柔道の勝負の方面も遺憾なく出来、体育の方面も欠陥がなくなる次第である。
(P245〜)
    形を練習する順序
 さらば如何なる形を如何なる順序に練習すればよいかというに、まず柔の形から始めるが適当である。将来は種々新しい形も出来るであろうが、今日では柔の形が二つの理由によって最初に学ぶべきものであると思う。第一、この形は柔道の最も大切な方面である。対手の力に順応して勝ちを制するという理屈を理解せしむるに都合がよい。次に投げられることもなく、かつ静かな運動であるから、初心者に習い易い。それからその次は、投の形を学ぶのが順序であろうと思う。投の形で投勝負の仕方が何もかも分るというわけではないが、投の形の理論と実際とに通暁しておれば、投勝負の大体の意味合いを了解することが出来る。乱取は、最初は投勝負に重きを置くべきであるから、どうしてもそれが順序である。その次は固の形である。投の練習がひととおり出来た上は、抑業、絞業、関節業もおいおい学ばなければならぬ。これらも形を習っただけで十分であるとはいわないけれども、大体の意味合いは分るから、だんだんそれ以上のことの研究に進んで行くことが出来る。その次には、極の形を学ぶのが順序である。極の形の中には乱取に応用出来ぬのが幾つもあるけれども、真剣勝負では投、固だけでなく、打つこと突くこと蹴ることはもちろん、場合によっては斬ることも発砲することもある。極の形では、これらのことを何もかも教えるわけではないが、その学んだことを応用すれば、大体のことは分るだけに仕組んであるから、柔道の全体を学ぶ上には、是非この種類の形も必要である。これらの外に、今日まで講道館で教え来った形といえば五の形、古式の形、剛の形等である。五の形はおのおの深い意味を含蓄していて、よく味わってみれば面白味もあるのであるが、今日はまだ完成していないのである。他日なお数も増し、ある部分は外の形に結び付いて、今日の組合せは変わる運命をもっていると思う。だからこれは、有志の者は練習して差支えのないことはもちろんであるが、今日の講道館柔道として必ずしも学ばなくともよいのである。古式の形は起倒流の竹中派に伝えられた形をそのまま伝えたものである。これは柔道の勝負上の高尚なる意味合いを理解せしむるため、また柔術が柔道に移って行く経路を示す上にきわめて適当のものであるから、今日昔のままに伝えているのである。しかし、これも講道館柔道の本体でないから、必ずしも学ばなければならぬのでない。剛の形、ある時は剛柔の形と称えて、以前に教えたことのある形であるが、まだ研究が十分でなく、十本作ったうち三、四本はなにぶんにも気にいらなかったから、おって考え直そうと思ってそのままになっているのである。この形は、最初は互いに力をいれて押し合ったり、引き合ったり、ねじ合ったりして対抗し、ついにその力に順応して勝ちを制する仕組みである。将来はこの形も完成して講道館で教えようと思っているが、今日は上述のように未製品であるから、学んでも学ばなくてもどうでもよいのである。
(P247〜)
    形は教師がなくとも学べる
 これらの外に、対手を要せず単独で練習する当身の形がある。これはこれまで道場ではあまり教えたことはないが、その単独で出来るということと、柔の形のように平服のままで座敷ででも往来ででも、どこででも出来るというわけで、また同時に老若男女の別なく誰にでも適するというのであるから、広く行われるようにしたいと思う。形は若いものには乱取の及ばざるところを補うという意味において、年取ったものには乱取は運動が激烈過ぎるという理由において、奨励したいと思う。従来とても形は奨励する方針であったが、なにぶん形は相当の年月苦しまぬと本当に分らぬ。したがって乱取程面白味がない。そういうわけで形を教え得るものが少ない。誰にでも習えぬということからつい億劫になって、あまりやらなくなったのである。将来は講道館においても形の練習上になるべく便宜を与えるつもりであるから、修行者においても、従来よりも一層多くその方面の修行に志して貰いたいと思う。十分の教師の得られぬ場合は、柔道会の雑誌をたよりにして、自分の同士で練習しても出来ぬことはない。ひととおり順序が分っていれば、よしや間違って覚えていてもそれを直すことは容易である。予はこのことを切に希望する。

   …



 「武術としての柔道」「体育としての柔道」については、次の研究論文がそれぞれ参考になります。


JAIRO
http://jairo.nii.ac.jp/
永木耕介「嘉納治五郎が求めた「武術としての柔道」−柔術との連続性と海外普及−」
(スポーツ人類学研究 第10・11合併号 2009.3.31)
http://jairo.nii.ac.jp/0052/00002359
http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/3500/3/nagaki_200903.pdf


筑波大学附属図書館
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/lib/
藤堂良明「実践学としての柔道」
(筑波大学体育科学系紀要 26巻 2003年3月)
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M74/M744147/3.pdf


北海道大学学術成果コレクション HUSCAP
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/index.jsp
北海道大学大学院教育学研究院紀要 第101号 2007.3.30
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/journals/index.php?jname=197&vname=2132
池田拓人「嘉納治五郎による柔道教材化の試み −「体操ノ形」を中心として−」
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/20487/7/101_69-84.pdf



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