カジノのレスリング


La Culture physique 1913/06/15
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5422765w/f9.image
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5422765w/f10.image


 “Histoire de la lutte et de la force”(格闘と力の歴史)シリーズ、今回は署名記事です。書き手は運動家にして写真家、“La Culture physique”他を創刊してフランス身体文化を牽引した、エドモン・デボネです。

Edmond Desbonnet
 From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Edmond_Desbonnet (英語)

http://fr.wikipedia.org/wiki/Edmond_Desbonnet (仏語)



 記事に沿って、フランスの格闘興行史を探ります。

 1867〜1868年、パリのプロレスは絶頂期を迎えます。主要な会場はカデ街のカジノの大広間でした。次のレスラー達が活躍しました。


 Richoux,
 Marseille, le Lion de Lapalud,
 Vincent l’Homme de fer, dit Canon ou le Rempart de l’Isere,
 Faouet le boulanger, dit le Fauve des jungles.

 リシュー、
 マルセイユ、ラパリューの獅子、
 鉄人ヴァンサン、又の名を大砲あるいはイゼールの城砦、
 ファウエ・ル・ブーランジェ、又の名をジャングルの野獣。


 カデ街はフリーメイソンのフランス本部「フランス大東社」“Grand Orient de France”のある所で、今は「フリーメイソン博物館」“Musee de la Franc-Maconnerie”もあります。


 1868年には、カデ街からもそう遠くないル・プルティエ街に、ル・プルティエ闘技場がありました。次のレスラー達が活躍しました。


 Richoux,
 les deux Marseille,
 Dumortier, de Nantes,
 James le negre, dit le Farnese africain,
 Dubois, de St-Denis,
 Milhomme, de Bordeaux, dit Sans pitie,
 Bonnet,
 le Boeuf,
 Laroche,
 Ancelin,
 les freres Masson,
 Stockmann, le Rempart de la Belgique,
 Faouet, le Fauve des jungles,
 Paul le negre, dit l’Anguille senegalaise,
 Creste, le Taureau de la Provence,
 Perier, dit l’Anguille parisienne,
 Alfred le Beau Modele parisien,
 des lutteurs masques, le Masque noir et le Masque rouge,
 Pierre le Cocher.

 リシュー、
 二人のマルセイユ、
 ナントの、デュモルティエ、
 黒人ジャム、又の名をアフリカのファルネス、
 サン・ドニの、デュボワ、
 ボルドーの、ミロム、又の名を情け知らず、
 ボネ、
 ル・ブーフ、
 ラロシュ、
 アンスラン、
 マッソン兄弟、
 ストックマン、ベルギーの城砦、
 ファウエ、又の名をジャングルの野獣、
 黒人ポール、又の名を セネガルの鰻、
 クレスト、又の名をプロヴァンスの雄牛、
 ペリエ、又の名をパリの鰻、
 パリの美しきモデル・アルフレッド、
 覆面レスラー達、黒覆面と赤覆面、
 御者ピエール。



 当時のポスター、ないしチラシの見本が紹介されています。

ARENES LE PELETIER 49, Rue Le Peletier
GRANDES LUTTES ROMAINES
Programme du 1868

ル・プルティエ闘技場、ル・プルティエ街49番地
ローマ式大レスリング
1868年の番組表

Amis et Admirateurs de la Lutte,

 Dans l’antiquite, les plus grands par le rang comme par la naissance ne dedaignaient pas de descendre dans l’arene pour y disputer la palme de la force.
 L’ere moderne n’a plus rien a envier aux temps anciens.
 Demain, aux arenes de la rue Le Peletier, M. Falcet, agree au Tribunal de commerce, dont l’eloquence a souvent retenti sous les arceaux du temple de Themis, luttera contre M. le chevalier de Carrieres, artiste dramatique, dont les veines charrient un des sangs les plus nobles et les plus genereux de France...
 Ceci est beau, ceci est grand. Quand l’homme connait mieux sa force, il est moins tente d’en abuser...

レスリングの愛好者と賛美者達は、

 古代に於いて、その生まれによるのと同様にその地位によってもっとも高貴であり力によって勝利の栄冠をそこで争うための闘技場の中に下りることを厭わなかった。 
 今の時代が古の時代に比べてうらやむべきものはもはや何もない。
 明日、ル・プルティエ街の闘技場にて、ファルセ氏が、法の女神の神殿のアーチの下に雄弁な声がしばしばそこから鳴り響いた所の、商事裁判所にて承認されて、レスリングするであろう対手は騎士カリエール氏、舞台俳優、その血管にフランスで最も高貴にして高潔な血の一つが流れる所の…
 これぞ見事なり、これぞ偉大なり。人が己の力をよりよく知る時、それを濫用すべく試されることはより少なくなる…



 別ページ「「ル・フィガロ」より・1868.1.1 覆面のヘラクレス」で紹介した、1868年元日の「ル・フィガロ」紙には、“les lutteurs du midi et du nord, les Hercules masques”(南と北のレスラー達、覆面のヘラクレス)という記載があります。「黒覆面と赤覆面」と同じ人達でしょうか。

 その正体は、後に共に渡米して米国にグレコ・ローマン・レスリングを広めた、ティエボー・ボーエルとアンドレ・クリストルではないか、と考えています。こちらのページ「覆面レスラーの起源」にリンクしている各ページで、ニューヨーク・タイムズ等の記事を紹介しています。


 ル・プルティエ闘技場には、他にも覆面レスラーが登場していたようです。
 彼は社交界の人物のように粋な箱馬車に乗り、召使を伴って来場。首から両足まで包むぴったりしたタイツを着用し、手袋をはめ、両目の部分に穴の空いた、黒い絹布の袋のような覆面で顔を隠していました。しかしその実態は見掛け倒しで、そのレスリングはコメディに過ぎず、シャルベという名のマッサージ師が正体で、客の怒りを買った後は元の商売に戻ったそうです。


 Les arenes de la rue Le Peletier furent fermees en 1870 a la suite d’un coup fatal, ≪ collier de force ≫ qui causa la mort d’un lutteur. L’administration intervint et interdit les luttes a Paris.

 ル・プルティエ街の闘技場はある致命的な技、一人のレスラーの死を引き起こした「力のネックレス」の結果として1870年に閉じられた。役所が干渉してパリでのレスリングを禁止した。


 「力のネックレス」とは絞め技のことです。フランソワ・ル・ボルドレ著「レスリング第二学課」(1907)では、禁止技として紹介されています。詳しくはこちらのページ「1907 グレコ・ローマンにおける危険技・禁止技」をお読み下さい。




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